婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

 (2)

 王城から戻って翌日、フィリップからは、非礼を詫びる短い手紙と花束が届いた。
 私こそフィルの気持ちに心から応えられず申し訳なかったと伝え、あの後エイミア様にお目にかかったこと、できれば少しだけ落ち着いて自分がどうありたいのか、この先のことを考えたいと綴ったものの、それについての返事はなかった。

 深まりゆく秋と共にしばしの時が静かに流れ、そんな折に舞い込んだローワン伯爵家主催のパーティの招待状は、珍しいことにブラストラーデ家のリカルド侯ならびに侯爵夫人、私たち三兄弟のすべてを招くものだった。
 パーティは、以前ローワン家を襲った詐欺事件の犯人を含む犯罪組織が検挙され、事件が解決に至ったことを祝うもので、私もそれは新聞報道で知っていたが、めでたいことだとはいえ関係の薄い当家を招くというのもおかしな話──

 ではなかった。
 この犯罪組織の検挙に当たっては、なんとルシアスが関わっていたというのだ。

 事業経営に関わる情報を収集する中で、少々不穏な動きをする下級貴族の存在に気づいたルシアスは、調査を進める中で彼らが犯罪組織と繋がっている証拠を掴み、懇意にしている騎士団長にそれらの件を相談した。
 騎士団はすぐさま本格的な捜査に乗り出し、今回の検挙に至ったというのである。

 ──いつの間にそんなことを?

 ロバートはいくらか関わっていたようだが、ティムなどそんな情報収集を行っていたことさえ知らずにいた。
 泣き寝入りをしていたローワン伯は、騎士団の働きに感激し、多額の寄付を申し出た。すると騎士団長はこれを王国の治安を預かる騎士として当然のことであると固辞し、そして実の所、この件の功労者がルシアス・ブラストラーデであることを、ポロッとこぼしてしまったらしい。

 ここまで聞いて、私はすべてがルシアスのお膳立てであることに気が付いた。
 騎士団長がポロッとするか。
 ポロッとするよう頼まれたのだ。おそらくは、ルシアスがほとんどすべての証拠を揃え、あとは検挙のため騎士団が動けばいいだけの状況を整えられたものだから、手柄と引き換えに、馴染みも功績もあった彼の頼みを引き受けないわけにはいかなかった。

「──正解だ」

 和やかなパーティ会場で偶然にも同年代の子供たちと知り合う機会を得たラインハルトの初々しい社交の様子を眺めながら、私の推測の是非を密やかに問えば、ルシアスはそう言って不敵に笑った。

「これも例の計画のうちですか?」
「ああ。順調だ。おまえのほうは彼の君との破局も近いのだろう? 手紙が途絶えた」
「……念の為の確認ですが、ルシェが彼の周囲に何かしているということはありませんよね?」
「さあな」
「否定しないんですか」
「当然周辺は探った。それだけだ。俺は何もしていない」
「本当に? さすがにこれまでの相手とは違うんですよ、迂闊なことをしては」
「俺の身を案じてくれているのか。安心しろ、ヘマはしない」
「私は火の粉が飛んでライリーにまで何かあることを恐れているだけです」
「なるほど、あいつとの縁談がダメになること自体は気にしていないと」
「なんでそうなるんですか」
「だってそうだろう? おまえが惚れているのは俺なのだし」
「その自信どこからくるんです」
「何年一緒にいると思っている」
「くぅ、本日もオニーサマにおかれましてはご機嫌麗しいようで何より」
「ああ、今日は特にな」

 ルシアスはシャツの袖口を飾る、銀縁に淡紫の石を飾ったカフスボタンをさりげなく示した。
 私が贈ったものだ。
 ローワン家のパーティには、ルシアスと私、そしてラインハルトが出席することとなった。
 ラインハルトは時折両親に連れられて昼の茶会に顔を出すことはあるが、夜会は初めてのことで、また少し背が伸びた彼の衣装を調整するのに併せて、私からタイピンを贈り、似たデザインのカフスをルシアスに贈ったのだ。さほど高価なものでもなかったが、ふたりとも大袈裟なほど喜んでくれた。

「ソフィ」
「何です?」
「戻った後、少し時間をくれないか。いい知らせがある」
「知らせって、今のやり取りに関係あることですか?」
「言ってしまったら面白くないだろ。支度が済んだら俺の部屋に来い」
「わかりました。けど……ヒントくらい頂けませんか」
「ダメだ」
「少しも?」
「当然」
「ルシェのびっくりは本当に洒落にならない時があるでしょう。嫌な予感がします」
「驚く顔がみたい」
「虐めたいって顔してますが」

 意地の悪い顔でルシアスは目を眇め、私の耳元で声を潜めた。

「ライリーの手前なかなか言えずにいたが、ソフィ、おまえは今宵もまた美しい。夜空の髪、白磁の肌、その瞳からは目をそらすことが出来ず、自然と吸い寄せられる。月の女神もおまえを前にすれば霞むだろう」
「や、やめてください、こんなところで」
「先程からみながおまえを目にして足を止めるのに気づいているか? 話しかけたそうにしている男どもを睨みつけるのに俺がどれほど忙しいと思う。本当は──誰の目にも触れさせたくない。ソフィ」
「ルシェ!」

 否応なく熱の集まる頬を扇子で隠し、心底愉快そうなルシアスを睨みつけていると、視界に淡い桃金色の髪が広がった。

「ルシアス様!」

 リリーナだ。
 彼女がルシアスの目に映るように私の前に割り込んだものだから、思わずよろめきそうになる。すぐさまルシアスの手に支えられ何も問題はなかったが、彼の目元は一気に険しいものに変わった。

「どういうつもりだ」
「え? わたくし、何か」
「とぼけるな、ソフィアが目に入らなかったとでも言うのか」

 つと振り返って私を見つけたリリーナのきょとんとした表情を見た途端、わかってしまった。
 彼女には本当に私が見えていなかったのだ。その瑠璃の瞳には、ルシアスしか映っていなかったから。

「お兄様、ローワン伯爵家の祝いの席です、どうか」
「不愉快だ。ソフィ、ライリーを連れてこい。帰るぞ」
「そんな、ルシアス様、お待ちくださいませ! わたくしお話したくって、ああ、ソフィア様、どうしましょう」

 どうしたもこうしたもない。
 茶会に出て、リリーナの淡い恋心には終止符が打たれたはずだ。あの日私たちが帰ったあと、ルシアスには心に秘めた相手がいること、そもそも伯爵家とはいえ、それまで縁もゆかりも無い名門ブラストラーデの家柄とは釣り合わぬこと、リリーナには彼女を大事にしてくれる相応の婚約者を探していることなどを、伯爵夫妻はリリーナに噛んで含めるように諭したのだと夫人から届いた手紙に書かれていた。

 今夜、伯爵に招待の礼と事件解決に至った言祝ぎを伝えた時も、そばにいたリリーナは余計なことを口にしないよう事前に釘を刺されていたのか、必死に唇を結んで、潤んだ瞳でルシアスを懸命に見つめていた。
 失恋の痛手なのかと思っていたが、それすら違っていたのか。
 ルシアスを追いかけることにしたらしいリリーナを気にしながらも、私は子ども同士で愉しそうにケーキを食べていたラインハルトに声をかけた。

「ライリー、残念ですが、わたくしたちはお暇する時間となりました。お兄様は伯爵様にご挨拶に行かれましたので、わたくしたちも」
「はい」

 素直な彼の手を取って、天井絵の見事な広いホールにルシアスを探す。

「ねえさま、ぼく、お友だちができたかもしれません」
「それはよかった」
「ジョシュアという名前で、六さいなんですって、だからぼくよりもおにいさんで、少しとおくに住んでいるらしくて、おてがみをかきたいのですけど、いいですか?」
「もちろん。ねえさまがライリーのお友だちのジョシュアくんがどこのジョシュアくんかを全力で調べるわ。そういうのはルシェ兄様のほうが得意かもしれないけど」
「そうなんですか! じゃあ、ぼくからにいさまにおねがいします!」

 ラインハルトの弾んだ声に微笑んで、吹き抜けとなっている二階へ繋がる白い手摺の階段にルシアスの後ろ姿を見た。

「あ、にいさま」

 ラインハルトの視線の先で、ルシアスは後から追いついたリリーナに腕をとられた。足を止めた彼が、冷酷なほどの眼差しで振り返る。
 何事か発し、ルシアスが掴まれた腕を引こうとした時のことだった。

 リリーナが階段から足を踏み外したのだ。
 その瞬間、私の視界が捉えたルシアスはリリーナに向かって手を伸ばし、彼女を掴むと大きな音を立てて階段から共に転がり落ちた。

「ルシアス!」

 一瞬にして会場に悲鳴が響き渡る。騒然とする中、人をかき分け躍り出た私が見たものは、リリーナの下敷きとなって倒れ込み、頭から流れ出た血で絨毯に染みを作るルシアスの姿だった。


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