婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

七章 対峙の時


 (1)

「──カフス? ああ、アメジストの装飾がされたボタンのことですわね」

 急な訪問にも関わらず私を歓迎してくれたリリーナは、私の問いかけに何処からか小箱を手にして戻ると、その箱の中に収められた銀縁に薄くけずったアメジストを飾ったカフスを示した。

「ええ、確かにこれですわ。ありがとう。では、お返しくださいませ」

 右の掌を差し出すと、リリーナは驚いた顔で私を前に肩を小さく震わせ、カフスを握りこんで胸の前に隠した。

「こ、これはわたくしにとって、ルシアス様との大切な思い出ですので」
「いいえ、それはわたくしがルシアスに贈ったものです。一対のものですので、お返し頂かなくては困りますわ。ルシアスからは、それをあなたから取り返そうとして、転落したと聞いています。差し上げたつもりはございません」

 それまで対面してきた私とは異なる有無を言わせぬ雰囲気にリリーナは戸惑い、大きな瞳に怯えすら浮かべながら細い指先でカフスを手渡した。

「も、申し訳ございません、わたくし……」
「過ぎたことを蒸し返すつもりはございませんわ、リリーナ様。わたくしたちも、真相をご存知でない方にわざわざ訂正して回るほど暇ではございませんし、何より結果としてリリーナ様にお怪我がなかったことは喜ばしいことと思っておりますの。ただ、あなたが方々で声高におっしゃっている、ルシアスがあなたを庇っただの愛を感じただのという根も葉もない話については、吹聴なさるのをお控えいただきたいのです。以降一切、まったく、すっかり。それさえ守ってくだされば、この件の責任をこれ以上追求するつもりはございませんわ」
「そう、ですの、それは、あのわたくし、一度にたくさんお話されますとよく……」
「混乱してしまわれますわよね」
「え、ええ……」
「リリーナ様、ですからわかりやすく、はっきり申し上げます。大事なことは三つ。ひとつ、この事故について、あなたの口からこれ以上誰かに話をしてはなりません。なぜなら事実にないことが含まれるからです。ふたつめ、ルシアスはこの先、あなたと会うことはありません。そしてみっつめ、あなたとお話することもありません。以上です」

 ゆっくりと指を折る私に、リリーナは本当にわからないという顔で見やる。

「どうして、ソフィア様がそんなことをおっしゃるの」
「どうしてって、彼はもうあなたと会うことも、お話することもないのですから、代理のものが伝えるしかありませんよね。その代理がわたくしです。カフスも返して頂きたかったことですし」
「で、でも……お話できないと困ります」
「こちらも困ります。ルシアスはとても怒っていて、顔も見たくないそうですから。それにわたくしとしても、これ以上ルシアスに何かされるのは嫌です」
「そんな、顔を合わせてお話できなかったら、結婚の意味がありませんわ!」

 結婚?

「ルシアス様は、あの時、お養父(とう)様と話があるとおっしゃったのです。わたくしとの婚約の件ですわ」
「伯爵様に、あなたのお父上には、お暇のご挨拶をしに行っただけです。わたくしも、弟も後を追って」
「そんなことはありません。お養父(とう)様がお養母(かあ)様とこっそりお話されているのをわたくし聞きました。ルシアス様は近く新たに爵位を得て侯爵家を出るおつもりだ、きっとすべて結婚を含めた準備なのだろうって」

 ローワン伯とは今後も領地に絡んでルシアスは個人的な繋がりをもつことを考えている。それを踏まえて、ブラストラーデの名がなくとも協力を得られるよう、新たに家名を持つことを伯爵には伝えたに違いない。

「お養母様に、以前、侯爵家とわたくしでは釣り合わないと言われました。でも、ルシアス様がブラストラーデの方でなくなるのであれば、釣り合いは取れるのですよね? ルシアス様はわたくしと結婚するために、お家を出て、お養父様やお養母様のことを思って事件も解決してくださったのだわ! ずっと思ってくださっているわたくしと結婚するために!」
「何、言ってるの……?」

 あまりのことに思わず素が出た。
 私だ私、と言いそうになったが、まだそれを口にすることは出来ない。

「ルシアス様は、わたくしを身を挺してかばってくださったのよ? わたくしのことを愛していなければそんなことできないわ!」
「あなたがカフスを取って手を放さなかったからでしょう。ルシアスにそのつもりはなかった。全部あなたの思い込みです」
「……ソフィア様、ひどいわ。一体どうなさったの。わたくしとルシアス様の仲を裂こうとしないで」

 どうなさったのはこっちの台詞だ。

「私はどうもしていません。リリーナ様、あなたがルシアスを思う気持ちはわかりました。本当にルシアスのことしか見えていない。というか、自分が見たいようにしか見ていない。現実をきちんとご認識なさってください。あなたがルシアスと出会ったのは王家のティーパーティーの席です。そこで言葉を交わしてすらいないのに、あなたは当家に押し掛けてきて、無礼を叱責されて追い返された」
「わたくしを思って叱ってくださったの」
「違います。違うの、ルシアスは知りもしない相手から無遠慮に名を呼ばれ、押しかけられて、あなたに対して怒りを覚えていた」
「でもお茶会でわたくしに笑いかけてくださったわ。楽しくお話したもの」
「目的はあなたではなく、ローワン伯と懇意にすることです。ルシアスのこれからの事業のために、伯爵家の領地に用があったの。伯爵ご自身に協力を取り付けたかったから、伯爵に敬意を払って娘のあなたを邪険に扱わなかっただけ。ろくに言葉を交わしてもいない、叱責しかしていないあなたをずっと思っていたというのはおかしいでしょう」
「……ずっとでなくても、お茶会の時にわたくしを見染めてくださったのだわ」

 どうしてそうなる。
 噛み合わない話に怖気が走る。どうしたらこの夢見る胆力女に現実を理解させることができるのか。

「言っていることが何か変だとご自分でもわかっているのではないのですか? お認めになりたくないのかも知れません。でもね、リリーナ様、あなたの気持ちとは無関係に、今後ルシアスはあなたとはお会いすることも、親しくお話することもないのです。──これは他ならぬルシアスが決めたこと、彼からの通告です」

 私はルシアスから預かった短いメッセージカードをテーブルに置き、リリーナの前に差し出した。

<以降の接触を禁ず。二度とその愚かな顔を見せるな。 ルシアス>

 手段として持っておけと渡されたものだったが、使うことになるとは私の認識が甘かった。
 リリーナにとって、待ち焦がれていたルシアスからの初めての手紙がこれとなってしまったのだから。
 言うべきことは言った。
 通じたのかどうかは別だが──

 私が席を立っても、リリーナは大きな瑠璃色の瞳を震わせ、唇を噛んで食い入るようにカードを見つめていた。


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