婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした

 (2)

 学んだことがひとつある。
 心の健康のために、気が重い用件を梯子しないほうがいい。

 リリーナとのやりとりで精神を消耗した私は、止せばいいのにその足でフィリップに話したいことがあるので会えないかと使者を通じてメッセージを送った。私からの手紙は何よりも先駆けて彼の元に届くようになっているそうだ。
 初めて会ったカフェで待っていると告げた私のもとに、それほど時間が立たないうちに、フィリップは息を切らしてやってきてくれた。

「これって、本当にちょっとした脅迫だね。実感した……」
「フィル。来てくださってありがとう」

 最後に手紙のやり取りをしてひと月あまり。忙しくしていただろうことはわかっていたが、対面したフィリップは少しばかりやつれて見えた。
 給仕された紅茶を進めると彼は温かいカップを手にとって口を付け、ほうと息を吐く。

「ちゃんとお食事されていますか?」
「食べてるよ。ソフィこそ何だか疲れて見えるけど、大丈夫?」

 大変鋭い。

「……それはここに来る前に本当に疲れることがあったというか、なんというか」
「そう、だったんだ? あ……聞いたよ。大変だったね、ルシアスのこと」
「さすがお耳が早いですね」
「ごめんね、見舞いにも行けなくて。ルシアスのことだからと思ってはいたけど、問題はなさそうかい?」
「ええ、昨日からはベッドで身体を起こして、秘書を手足として使いながら普段通り執務をしていますよ。今のところ後遺症もなさそうで、頭を打って人が変わるようなこともありませんでした。幸いにも」
「そう。彼の回復を心から願っているよ。ただ、その様子だと噂はあくまで噂のようだね」
「お相手のご令嬢と好い仲なので貴公子ルシアスが身を呈して庇ったとかいうロマンスのことですか?」
「うん」
「残念ですが、ルシアスは貴公子というより魔王なので、毛ほども思っていないご令嬢を庇ったりしないのです」

 フィリップは碧い目を瞬かせると、突然笑いだした。

「おばあ様から聞いたけど、ソフィ、彼のこと本当に魔王って言ってるんだ」
「ルシェ本人に言ったことはありませんが、フィルなら彼の魔王感おわかりになりません?」
「わからなくはないね。あの目で睨まれると身震いする。──ルシアスが褒賞として求めたものが爵位だと聞いた。彼がなそうとしていることを理解したよ。次期侯爵が約束されているのに、それを捨てて低い身分を得ようとする意味を捉えあぐねて文官たちが戸惑っていた。実力、功績すべてにおいて文句の付けようもなく、ついでだと言って不正を働いていた者たちの証拠まで揃えて寄越して、もっと高い地位を与えて城に囲いこんでおいたほうがよいのではと揉めたくらいだ。僕とティーセルとの縁談が再度動いたのも、調べてみたら当然裏でルシアスが関わっていた」

 ──げ、やっぱり……。

「正確には背後で暗躍してくれたのは、ルシアスと仲良しのオーウェルの次男坊殿だ」
「ウィリアム様が?」
「彼、ただの遊び人かと思えば、なかなかどうして頭が回るみたいだね。ルシアスの優秀な情報源は彼だ。ウィリアムは外交官である弟妹と自身の豊富な人脈を活かして、ティーセルの高官に、僕が国内有力貴族の娘と結婚しそうだとそれとなく話を流した。ついでに、ウィリアムにとっては父親の従姉にあたる僕の母上に、ソフィの過去の縁談話を面白おかしく語って聞かせてくれたらしい。友達の妹の話なのだから詳しいし、確かな筋からの話になるのだから説得力がある。ブラストラーデの娘はまさに呪われている、王家にそのような血を入れて大丈夫なのかと母は思うわけだ。母とティーセル女王は懇意にしているのだし、当然母はティーセル国との話を進めようとなった。してやられた」

 なるほど、俺は(・・)何もしていないというわけだ。

「知らず僕が後手に回っていた。……ルシアスがまさかブラストラーデを捨てるとは思わなかったよ。君を奪うのにこんな正攻法で来るなんてさ。ん? 裏で画策していたんだから正しい攻め手というわけでもないのかな?」
「実は、私のこれまでの縁談もすべてルシアスが消してきたらしくて……」
「魔王は君を手に入れるためなら世界の破滅も目論むかもね」

 どこか寂しそうな眼差しのフィリップに、私は彼から目を逸らさずに向かい合った。

「殿下、今日お越しいただいたのは」
「聞きたくない」
「せっかくのお話をわたくしからお断り申し上げる無礼を、どうかお許しください」
「許したくないよ」
「フィル」
「僕にとってソフィのような人は他にはいない」
「心から想う相手をパートナーにしたいという気持ちは私も一緒です」
「君たちの関係が好意的に受け止められるとは限らないだろう」
「きっと、そうだと思います。おっしゃる通り。ですが、私ももう自分でもどうしようもないほどわかってしまったんです。ルシアスがずっと好きだった。こんなに素敵な人が目の前にいるのに、私、あの人のそばを離れたくないんです。一緒にいたい。手を取って、互いを支えたい。ですので、……たとえ進む先が茨の道だとしても、私は彼とやっていきます」

 ややあってフィリップは噛み締めるようにひとつ頷いて目を伏せた。

「──わかった。君が、決めたことならああぁ……こんなことになるなら、ちゃんとキスしておけばよかった! 自分の紳士具合が嫌になる!」

 頭を抱えてテーブルに突っ伏すフィリップに笑みがこぼれる。

「フィルったら、いい人すぎて」
「そんないい人を振るなんて、君は悪い人だ。魔王にお似合いだよ」
「フィル、ここで初めてフィルとたくさんお話した時、あの日は時間を忘れるくらい夢中になって、とても楽しかったのを覚えています。知り合ったばかりの人と、こんなに気があって笑って話せるなんてって」

 顔を上げたフィリップは「僕も」と微笑む。

「フィル。私を選んでくださってありがとうございました。それから、本当にごめんなさい」
「……僕、経験がないんだけど、こういうのって友人に戻れるものかな?」
「私たち次第ではと思うのですが、いかがですか? 少なくとも私は、この後手もみしながらどうかどうかとお願いするつもりでした」
「なるほどね。残念ながらそれは阻止させてもらうよ」
「え」
「僕から言うってこと。このままさよならなんてしてやるもんか。ソフィ、僕とまた友達になってほしい。あの時は下心があったけど、いまは無二の友として君を放すつもりはない」
「ありがとう、フィル」

 差し出された手に握手を返して、私たちは小さく笑い合った。


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