婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
(3)
「──ああ、わかった」
いざ決戦とばかりに意気込んで乗り込んだルシアスと私を前に、義父はあまりにもあっさりとすべての件を了承した。
ルシアスがブラストラーデの家を出て、新たな家名を名乗ること。
そして、義妹だった私を妻として迎え入れること。
拍子抜けして、これには何か裏があるのではないかと横目を合わせた私たちに、重厚な執務机で手を組む義父は「なんだ、望みが叶ったというのに喜ばんのか」と鼻を鳴らした。
「おまえが私に相談もなく爵位を得たという話を聞いていたうえ、王家から私のほうにもフィリップ殿下との話はなかったことにしたいという旨が届いた。これはあくまで向こうの都合であって、正式に婚約を取り交わしていたわけではないから家門が傷つくこともない。むしろ今回のことで、政局内におけるブラストラーデの立ち位置が明確となって、王家にひとつ貸しを作ることができた」
「……こうなる予想はついていたと?」
ルシアスの問いに父侯爵は頷く。
「当然だ。過去の実績が物語っている。だが、殿下との縁談すら流れたいま、ソフィアの結婚できない呪いの噂とやらは確実なものとなって、嫁に出せるようなまともな宛はひとつもなくなった。妻と娘というものは、いるだけで金がかかる。始めたのはおまえなのだから、責任を取って幕を引け、ルシアス」
「知って、いたのですか」
「上手く立ち回っていたようだが、さすがに用意した話にことごとくケチがついて、その奥におまえの影を感じれば私とて訝しむ。最初の婚約の話に限って言えば、まさか十四の子供に、奴隷売買に関わっていることを暴かれるなど向こうも思ってもみなかったことだろう。言葉巧みに駆け落ちをそそのかし、おまえからそれとなく良さそうな家柄の名前を挙げて、話が前に進んだところで潰しをかけてきたときもあった。その汚いやり口は誰に似たのか」
「参考になる方がそばにおりましたから」
義父は鼻で笑って厳しい視線を私に向けた。
「ひとつ条件がある。ソフィア」
「はいっ」
「ラインハルトが就学するまでは、あれにどういう教育が必要で何をさせるのかをおまえに任せる。決裁は私が下すが、考えることは依然おまえの仕事とする」
「よろしいのですか……関わっても」
「ああ、私にその暇はないし、オリヴィアには無理だ。それから、今ルシアスにつけている秘書は返してもらう。引退予定を返上することになれば、手が足りん。あとは小規模過ぎて、いちいちそこに時間をかけるのも面倒な店の経営権もおまえにいくつか渡すから、ルシアスのもとでそれを軌道に乗せろ。事業整理にはいい機会だ。ティムは連れて行ってもらって構わんが、あれは実直ではあるがそこまで器用でもない。ルシアスの補佐はおまえがして、人員が必要であれば他から採るなり、育てるなりしろ。忙しくなるぞ」
「は、はい。承知いたしました」
「弟の件はともかくとして、事業や人員の件は俺の範疇では」
「ソフィア、言い返せ」
どういう命令だ。
「あの……言いにくいのですが、ルシアスは、何事も自分でやったほうが早いとお考えで人に任すことをしないので、下が育たないのです。ティムもわからないことを尋ねると、ルシアスが後はいいと引き上げてしまうので、結局どうしたらよかったのかわからないままだと……」
「そういうことだ」
ルシアスはショックだったのか黙り込んだ。
「向いていないことはソフィアに任せろ」
「……ありがとう、ございます。父上」
「もはやおまえの父ではない。準備が整い次第、おまえは屋敷を出ろ。諸々の準備はしておく。──言っておくが、厳しい道だ」
「覚悟しています」
「わたくしも同じです」
「オリヴィアには私から話をしておく。が……あれは、ともすると厄介なことになるかもしれんな」
厄介とは。
母のことだ。外聞を気にして反対するだろうことは予想しているが、侯爵として下された決定に逆らうことはしないはずだ。「いずれにせよ、今後のことは自分たちで対処しろ」と告げた義父に頷いたところで、彼の青灰の瞳はきろりと動いて私を捉えた。
「ソフィア、嫌になればここに戻るといい。私の手伝いをしろ。しばらく見ていて、おまえの能力は申し分ないとわかった」
にやと口の端を引き上げた義父に驚いて目を瞠ると、ルシアスはむっとした表情を隠さず私の肩を抱き寄せた。
「お返しするつもりは毛頭ない」
「そうか。せいぜい好きに足掻け。──おかげで私は、ラインハルトにブラストラーデを堂々と継がせてやれる。礼を言う、出来の良すぎた目障りな息子よ」
*
ルシアスは義父との話合いが済むとすぐに、新たな領地との行き来がしやすい王都の端に、目を付けていたという小さな貴族屋敷を買い求め、長らく空き家となっていたそこの改築が済むまでの仮住まいとして、ウィリアムの伝手で街中に家を借りた。
諸々の手はずが整ってから、正式にルシアスの廃嫡と新たな名が公表された。
──ルシアス・リトブラスト子爵
姓は義父が餞別として用意したそうで、息子を目障り呼ばわりしたにしては、関わりをすべて断つつもりはないらしい。
加えて、私との婚約がなされた。
正式な結婚は屋敷の改築が済んで春となってからで、ちゃんとした結婚式をする予定もない。けれどもそれでよかった。
結婚は通過点であって、そこが終わりなのではないのだから。
クロエやマーサ、ティムやロバートといった近しい者には事前に伝えてあったものの、全員が知るところとなると当然屋敷中に衝撃が走った。でもまぁ若様とお嬢様か、なぁんだやっぱりとか、ワシはバラ園でおふたりが抱き合ってるところを見たことがあるわいヤキモキさせよってとかで、あっさり済まされたのは納得しがたいところがあったのだが、ひとりだけ、誰より納得しなかった者がいた。
「ソフィアッ! おまえという奴はどこまでも役に立たない! えぇい忌々しい!」
義父が危惧した通り、母オリヴィアの反発はすさまじいものがあった。
義父はどういうつもりか、母に私たちのことどころか、フィリップ殿下との縁談がすでに立ち消えたことさえも伝えずに事を進めたようで、すべてを知って白金の髪を振り乱し離れに怒鳴り込んできた母は、ラインハルトの目の前で私を掴み倒して殴りかかり、止めに入ったルシアスをひっかいて金切り声を上げるという大立ち回りを繰り広げた。
普段侯爵夫人として取り澄まし、美しい顔でサロンの主を務める母の顔しか知らぬラインハルトは、これに非常に驚いてしまい、母を見るたび怯えるというので、私はラインハルトとトーマと数人の使用人を伴って母の様子がある程度落ち着くまで山際にある侯爵家の別荘に避難することになった。
別荘地であるエルトの森は、王都からそこまで離れてもいないが、母が気軽に来れるような場所でもない。
季節は間もなく雪も降ろうという頃だ。
母から祝福されようとは端から思っていなかったものの、罵りと共に殴りかかられたことには、想像以上に堪えた。
母は王家とのつながりに期待していたのだ。
正式な婚約にすら至っていなかったというのに、彼女はご自慢のサロンで第三王子と娘の縁談について口にしていたに違いない。それが駄目になって、息子だった男が子爵に下って娘と結婚するというのだ。醜聞はサロンの評判に、その評判は彼女自身の価値に影響する。
「使えない! どうしてそう使えない! 産んでやった恩を仇で返しよって!」
金切り声が耳にこびりついて離れなかった。結局、私はあの人にとって、娘という名前の道具に過ぎなかったのだと改めて突き付けられた気がした。