婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
(2)
「──先日話をしたマディソン子爵の息子の件だが、縁談の話はなくなった。よって明日予定されていた茶会も流れる。おまえは家にいなさい」
「え……ああ、はい、承知致しました、お義父様」
本邸に呼ばれ、義父であるブラストラーデ侯爵から告げられた決定事項に、またですかと言いかけた私はその言葉をどうにか飲み込んで、いつも通りの返答をした。
「新たな機会を探す。おまえが心配することはない」
「ありがとうございます。ご面倒をおかけして、申し訳ありません。お義父様」
笑顔や愛想を振りまく必要はない。義父はそういったあからさまな媚びを嫌う。
義父というより社長の執務室から下がる心づもりで、頭を下げて退出し、そそくさと庭に面した渡り廊下を使って離れの邸宅へ。
ドアノブに手をかけたまま、私はため息をこぼした。
「……またか」
いよいよ口に出してしまった。
ブラストラーデ侯の義娘となって七年が過ぎた。その年月の中で、私の縁談が立ち消えとなるのは、これで六度目。
義父は詳しいことを話さなかったが、おそらく今回も相手に看過できない問題があることが発覚したのだろう。
──いつもそうだ。
先日、私は盛りを迎える新緑と共に十七歳の誕生日を迎えた。
顔見知りのご令嬢の皆々様を見渡せば、誰にも当然のように将来を見据えた婚約者がいる。職業婦人もそれなりに活躍する時代とはいえ、いまだ貴族社会においてその家の娘は家門同士を繋げ、あるいは政治的な派閥を結びつけるために生きることがほとんどだ。
そんな中、どういうわけか婚約にすら至らない私は見事な役立たずで、名高き侯爵家の家門に泥を塗りたくっているに等しい。社交界では、ブラストラーデ侯爵のご令嬢は呪われているなどという噂が密やかに、しかしながらまことしやかに囁かれている。
結婚できない呪い。
あのお美しいオリヴィア様の娘なのに?
まぁお可哀そうに。
そんな馬鹿馬鹿しい噂が両親の耳に入らぬわけもなく、貴婦人の間で美貌と叡智と名声を活かしてサロンを営む母は、娘の私をどれほど疎ましく思っていることだろう。
課せられていた教育課程は終わりを迎え、成人を過ぎた私の身の振り方に両親は苦慮している。
王城の行儀見習いに出すにしては侯爵という高い家柄が邪魔になり、私に残された道はどこぞの家庭教師か文官の道かというところ。
今のところは家の手伝いをしつつ、忙しい両親に代わって年の離れた弟の面倒をみる毎日だった。
私の部屋が宛てがわれているのは本邸ではなく、それと内庭を挟んで渡り廊下で繋がった離れの小屋敷だ。
本邸には義父と母と、彼らの実子であるラインハルトが住んでいる。これに別に不便はない。侯爵邸に移ってからも味方を増やすために続けている使用人懐柔作戦は効いており、身の回りの世話をしてくれる彼らはみな顔なじみであるし、優しくて、本邸と比べても和気あいあいとした離れの雰囲気は過ごしやすい。毎日母の顔色を伺いながら暮らすよりずっとよかった。
それに何より──
「ソフィねえさま!」
「ライリー、もう来ていたのね。トーマもこんにちは」
「ち、あ!」
可愛い動物や生き物のイラストで壁を飾り、子供向けに改装した温かな色合いの一室では、ラインハルトと、彼の乳兄弟である一つ年上のトーマが私を目にして満面の笑みを浮かべていた。
五歳になるラインハルトは、兄のルシアス同様に銀の柔らかな髪に、透ける蒼い目をした天使のような愛らしさで、むしろ天使そのもので、私にとってライリーこそが世界の癒しだった。
ラインハルトさえいれば、本邸も離れも関係ない。
私は日々なんとなく立てた時間割にしたがって、彼らに遊びや人とのコミュニケーションを通じて、教養や簡単な読み書きを教えることが日常となっていた。子供など育てたことなどないし、記憶の限り見様見真似の幼児教育ではあるけれど、ラインハルトはそんな中でも、持ち前の利発さを発揮してくれて、言葉に遅れのあるトーマとも彼らは心で通じあっている。あのどちらも美形ではあるけれど、どちらも冷ややかな両親から、これほどの天使が生まれるという神の配剤には感謝しかない。