婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
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現時点で小説のストーリーが始まっているのかどうかすら私にはわからない。
自分が小説の中の一人物になっていると気づいたとき、私は、覚えている限りのストーリーを忘れないようメモに起こしてあった。
主人公のリリーナが十七歳だったことは、私の薄い記憶にもある。物語の主人公と自分の実年齢が離れすぎて、共感というより、リリーナの行動を追う親みたいな目線になっていることに気付いたからだ。結末として愛の逃避行を選んだ彼らの行く末も、現実はそんな甘くないのではと心配になった。
覚えているのは物語の主要な出来事と、描かれた氷の貴公子ルシアスがひどく冷徹であり、貴公子どころか恐ろしい魔王のようだったことくらいで、始まりが春だったのか夏だったのか、汚名を着せられたソフィアがルシアスの計略によって山小屋で燃やされたのが秋なのか冬なのかも思い出せない。こんなことになるんだったら、もっと気合を入れて作品を読むべきだったと後悔したが、今更どうすることもできない。
私が義兄ルシアスの支配から穏便に逃れる手は大きくふたつある。
ひとつは、ルシアスが私を虐げ、体のいい手駒とすることがないよう、彼と良好な関係を築く兄妹仲良しルート。
そしてもうひとつは、早々に結婚してこの家を脱出するルートだ。
焼き殺されることを回避したい私は、これまでどちらのルートに転んでもいいように努めてきた。
だが、六度目の縁談失敗という現状を鑑みるに、直近このふたつめのルートに進むことはかなり厳しい。婚約にすら至らないという呪いじみた状況に、私は小説の筋書きから脇役を逃すまいとする世界の吸引力を感じていた。
振り返れば、初めて私に婚約者が出来たのは、十二歳になろうという時だった。
弟であるラインハルトが誕生し、家の安泰を確実にするためか、義父は私にブラストラーデと並び名門と謳われる侯爵家の次男を婚約者に据えた。この話自体は事業の会合や社交界で顔をわせるたび侯爵同士の口の端に登っていたそうだが、無事に末息子も生まれ落ち着いたところでいよいよという運びとなったらしい。
小説では、ソフィアがどこかに嫁いでいるような描写はなかった。
そもそもどこかの夫人となれば、行く先々で未婚のうら若き令嬢リリーナを貶めるような動きができるはずもない。いつも恨みがましそうな暗い目付きをしていた無口なソフィアは、貴公子の仮面の裏に魔王の狡猾さを隠したルシアスに虐げられ、侯爵家で飼い殺しにされていたはずだ。
だが、あの日池に落ちて以来人が変わった──正しくは中の人が変わったソフィアは、義兄の手先となって汚名を被って死ぬようなろくでもないルートを脱するべく努力を重ね、明るく優しく品行方正な令嬢となることを目指してきた。素地も時間もなかったので本当に苦労した。
名門ブラストラーデの家名に惹かれ、その家の令嬢と位置付けられる私に確実に方々から声がかかるようするためには手を抜くことなどできなかった。
だから、義父から婚約者の話を聞かされた時は、顔には「まぁわたくしが」なんて貞淑でいて、年相応の恥じらいを浮かべつつ、努力が報われた瞬間に、内心ヨッシャキターと渾身のガッツポーズをキメていたくらいだった。
悪いが、私は後に家門を巻き込むことになるこの泥沼のデッドレースから早々に一抜けさせてもらう。たとえ愛はなくとも未来さえあれば、あとは己の努力次第!
──と意気込んでいたというのに、正式に婚約してしばらくするとお相手のお父上、すなわち侯爵様が禁じられている奴隷(しかも少年)の売買に手を出していることが発覚し、三歳上で高等学校に通っていた婚約者自身も校内で教師や下級貴族の子女に強引に手を出していたことなどが露見。
大騒動に巻き込まれる前に、義父はこの婚約を綺麗さっぱりなかったことにした。
なるほど、不運だが致し方なし。むしろ危険な橋を渡らずに済んだことに胸をなでおろし、私には間もなく次の縁談が浮上した。
けれど、その話もその次の話にも、そのまた次の話にも、私のお相手として名前が上がり、双方がいくらか話を進めようかという頃になると不思議と相手に瑕疵が見つかった。
多額の借金。あるいは良くない筋とのつながり。事業上の競合関係と不法な取引の浮上。
実はお相手には本命がいて駆け落ちされたこともあった。
さすがにおかしい。私の耳に入る前に義父なりに相手の精査をしているはずだから、実際立ち消えとなった縁談はもっとたくさんあったのだと思う。候補として上がる相手の格は徐々に落ち、年齢は上がり、ブラストラーデの名があっても端から相手に舐めてかかられることも増えた。
そうして今回で六度目が潰れた。