婚約に至らない私の呪いは溺愛してくる義兄の策略でした
「──練習台ですか?」
「たとえば、ソフィにエスコートが必要なときは必ず俺にしてもらうとか、こうしてふたりきりの時には近づいて少し触れてみるとか。そんなことから始めてみるのはどうだ?」
まるで始めてみるのは私かのような言い回しに曖昧に頷けば、ルシアスはふいに私の掛けていた長椅子に移動して真横に腰を下ろすと、がっつり肩を抱いてきた。
「へっ……!?」
「ああ、思ったとおり、大丈夫だ」
覗き込まれる顔が近い。
ルシアスは騎士団員として、私は高等学校でのカリキュラムがあって、二年ほど離れて過ごした期間があった。もちろん、その間も、仲良し兄妹計画は手を抜かず、頻繁に近況を知らせる手紙のやり取りをしたり、長期休みには顔を合わせブラストラーデの別荘でラインハルトと共に楽しく過ごすなんてこともした。
しかし、男子三日合わざればというのはよく言ったもので、二年の月日はルシアスの男性的な急成長を実感させるには十分過ぎるものだった。
私が何ひとつ大丈夫ではないが?! とかなり動揺したものの、ルシアスは満足そうだった。
「だ……」
「だ?」
「だい、じょうぶなら、はい……ま、まぁ身近ですし、確かに妹くらいからはじめるのがいいのかもしれませんね」
「何度も言うが、ソフィ、おまえは俺の妹ではない」
──あ、まただ。
「俺の兄弟は血を分けたラインハルトだけ、おまえにとってもそうだ。だから、外では仕方がないが、こうしてふたりきりのときには兄とも呼ばないよう約束した。そうだな、ソフィア」
「はい……ですね、すみません……」
ラインハルトが生まれてしばらくしたころ、私はルシアスからはっきりと言われたことがある。
『気付いたんだ。ソフィアは妹じゃない』
『僕の兄弟はラインハルトだけ』
『もう兄妹ごっこはやめだ、ソフィ。──僕をお兄様と呼ぶな』
清々しく澄み切った少年の青い目で告げられたのは、私にとって衝撃的な出来事だった。
ルシアスにとって、私は気安い相手だけれど、どこまでいっても血を分けた兄弟には及ばない存在なのだと突きつけられた。
私たちの関係は、言うなれば、魔王と下僕とか、飼い主と滑稽なこまねずみに過ぎない。
飼い主にとってこまねずみは愉快な愛玩の対象だから傷つけることはない。それだけのこと。
人目のあるところでは、さすがに兄妹として振る舞うことを許されたが、ふたりきりになるとルシアスは私が彼を兄と呼ぶことを嫌い、ルシェと愛称で呼ばせた。
私は昔から不思議とルシアスの言うことに逆らえない。
けど、女性に慣れるための練習台はいつの間にかエスカレートして、手を握ったり肩を抱かれたりするくらいだったはずのそれが、いつしかベッドに潜り込んでくるようになった。
一般的に考えて、それがたとえ兄妹だとしても成人した男女が同じベッドで抱き合って寝るのはおかしいし、うなじにキスなど言語道断だ。もしや私の常識がこの世界の非常識なのではと疑ってそれとなく探ってもみたが、何の問題もなく、普通におかしな話だった。
──どう考えてもまずい……。
リリーナの物語が始まる以前の問題だ。万が一こんなことが露見すれば、この家における私の立場は終わりを迎える。切り捨てられるとすれば当然私。
「はぁ……」
「ソフィねえさま、つかれちゃった?」
思わずこぼれたため息に、ガゼボの下でお茶と焼き菓子を頂きながら休憩をとっていたラインハルトは心配そうに首を傾げた。その隣では、トーマもお菓子を頬張っている。
庭の大冒険は順調で、庭師のジョンソンに夏の草花を教えてもらったあとは、野うさぎを見つけて追いかけ回し、トーマは素手で容赦なく虫や蛙を捕まえては、怯えるラインハルトの手にそれらをプレゼントしてくれた。
「そうね、少しだけ。でももう大丈夫よ。ありがとう、ライリー」
微笑んでみせると、彼は色水をつくるためにトーマと集めた草花のカゴから赤い小さな花を取り出して私に向かって差し出した。
「はい、ねえさまにあげます。元気になりますように」
「ライリー……」
受け取って自然と目じりを下げながら、私はラインハルトの白銀の髪を撫でた。
「ありがとう。ライリーは優しいのね。きっと素敵な紳士になるわ」
「ぼく、お話に出てくる騎士になりたいの」
「ええ、もちろん。それにもなれる」
トーマも同じくなりたいのか、好奇心に目を輝かせた。
「王子さまは?」
「なれるかも。ライリーなら他国のお姫様を射止めることも出来そうだし。何だって出来るわ。その時、トーマは宰相か大臣になってライリーを支えてね」
力強く頷くトーマを前に、そばに控えたクロエが笑っていた。
「じゃあ、ぼく、ねえさまと結婚できますか?」
「──残念だが、それはできない。ライリーとねえさまは姉弟だからね」
降ってきた低い声に振り返ると、いつからそこにいたのかガゼボの脇にルシアスが立っていた。
「ルシェにいさま!」
「お戻りになっていらしたのですか」
「ああ、すぐ済んだ」
たちまち駆け寄ったラインハルトを抱き上げ、ルシアスは「顔を合わせるのは久しぶりだ。元気だったようだな」とにこやかに笑う。人には滅多に見せない顔だ。
「トーマも。息災か」
「ええ、恐れ入ります」
クロエが深く頭を下げる。
「にいさまも、お菓子めしあがりますか?」とラインハルトが尋ねると、ルシアスは笑って小さな弟の口元についていた菓子の食べかすを拭ってやった。
衣服や玩具を買い与えても愛情をくれるわけではない両親よりも、ラインハルトは時として叱られてもともに過ごす時間の多い私やこうして抱き上げて可愛がってくれる兄に懐いている。
「俺はいいよ。それよりライリー、すまないが少しの間、ねえさまを借りてもいいかな。にいさまのお仕事の話をしたいんだ」