意地悪な兄と恋愛ゲーム


 その日の夜、風呂を終え、脱衣室から出ると晴斗がこちらへ向かって歩いて来た。

 晴斗は今学校から帰って来たらしく、まだ制服姿だ。

 切れ長の二重瞼の瞳と目があったその瞬間、自分の心臓がドクンと嫌な音をたてた。


「お、お帰り…」


 頑張って平然を装うが、表情筋が不自然に引きつった。  
 
 晴斗と目が合うと、いつもこうなってしまう。


「ただいま」と、晴斗はそんな美咲とは対象的に、形のいい唇の口角を上げたが、その顔には少し、疲れの色が広がって見えた。



 美咲と晴斗は兄妹だが、美咲が晴斗と一緒に暮らしていたのは美咲が4歳になるまで。

 父親はその後、晴斗だけを引き連れ、海外へ一度出張に出た。

 そして半年前、晴斗だけが12年ぶりに日本に帰ってきた。

 しばらく独り暮らしをしていた晴斗を、母親がこの家に再び呼び寄せ、昨日から3人での生活が始まったのだ。



「今日の部活、見に来てた?」


 晴斗に急に会話を繋がれてドキリとした。


「え、う、うん…」


 私がフェンス越しに見てたの、ば、ばれてたんだ…。

 警察官に職務質問されるのってこんな感じなのかな?

 何も悪い事なんてしてないのに、勝手に身体が固くなってしまう。


「サッカー部に、誰か気になる人でもいるの?」


「え?」


「結構、女の子見に来るから。うちの部活」


 それは皆、主将でエースのあなたを見に来ているんですけど?

 まさか、本人無自覚とか?


「い、いないよ、そんな人。友達に呼ばれて立ち寄っただけ」


「そっか…、ならいいや…」と、なぜか安堵するようなため息が聞こえてきた。


 そして、そのままあっさり会話が途切れた。

 も、もうこのまま、自分の部屋に行ってしまってもいいよね…?


 ビクビクしていると、晴斗がジッとこちらを見ている。


「まだ、俺の事怖い?」
 

 怖い。

 怖いよ。

 生まれてからこの人には、恐怖の念しか抱いた事がないもん。


 美咲は正直に首だけをコクンと縦にふった。


 晴斗の存在は美咲にとって、トラウマ以外の何者でもない。

 今は、優しい優しいと学校で人気の兄。

 何がどうなると、人はこうも変わるのかというくらい、子供の頃は全くの別人だった。

 当時、家の中で絶対的な権力者だった5歳のこの男は、美咲の一番のお気に入りだったウサギの人形も、おままごとセットも、バービー人形も、何もかもを取り上げてはグチャグチャにした。

 美咲自身に対しても、親の見ていないところで皮膚をつねったり、髪を引っ張られたり、陰湿で横暴な態度で接されて、泣かされた記憶しかなく、その記憶を残したまま、晴斗は父親と外国へ行った。


 そして12年。 

 更に大きく成長した晴斗と、また一緒に生活する事になった。

 当然、当時の恐怖心も肥大するに決まっている。

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