婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
第十話 王子は帰還する
◇◆◇
「もう一度」の約束から、十ヶ月後。
寝たきりの状態となったクロエの元を、訪れる者があった。
スティーブである。
きらめいていた金髪はくすんで荒れ、所々白く傷んでいる。
輝くサファイアブルーの瞳は、その片方を長い前髪と眼帯で覆われ、その下には頬まで走る傷があった。
腕にも脚にも、逞しい筋肉が付いている。
細く気品に満ちた姿からは見違えるほど、強靱で野性的な体付きだ。
そして。
彼の身体中、至る所に、切り傷や火傷の痕が残っていた。
「クロエ、久しぶり。随分待たせてしまったな」
返事は、ない。
その瞼は、依然として固く閉ざされたままだ。
「だが、待っていてくれて、よかった。君も、頑張ってくれていたんだな」
スティーブは、眠るクロエの髪を優しく撫でる。
「私も……少しだけ、頑張ったんだ。だから」
そうしてスティーブは、懐から小さな瓶を取り出す。
中には、光を反射して七色に光る、不思議な液体が入っていた。
「――私に、どうか、ご褒美をくれないか?」
スティーブは小さな瓶の蓋を開けて、その中身を一気に呷る。
液体を口に含んだまま、クロエの乾いた唇に、自身の唇を触れ合わせた。
(同意もなく口づけをすること……許してほしい)
スティーブは心の中でそう謝罪すると、クロエの唇を、自身の唇で割り開いていく。
口の中の液体をクロエに少しずつ流し込んでいくと、彼女は黒いまつげを僅かに震わせた。
長い長い口づけを終え、スティーブは身を起こす。
そして、婚約者の瞼が開くのを、ただじっと待った。
待つ。
ただ、じっと、静かに。
クロエの傍らで。
目をそらさずに。
ただじっと、待つ。
口づけから、どれくらいの時が経ったか。
ようやく、ルビーのような美しい瞳が、姿を見せた。
「……クロエ……!」
クロエはゆっくりと瞬きをして、目の前にいる逞しい美丈夫を見た。
渇ききった喉は言葉を発せず、瞬きを繰り返す。
「クロエ、体調はどうだ? 水を飲むかい?」
クロエはかすかに頷くと、細い飲み口のついた水差しから、少しずつ、ゆっくりと水を飲む。
「貴方は……」
ようやく出るようになった声は、掠れて弱々しいが、はっきりとしていた。
「目が覚めて、良かった。身体の調子はどうだい?」
「ええ……こんなに調子がいいのは、久しぶりですわ」
「ああ……! 本当に良かった……!」
スティーブは、感極まって、目元を押さえた。
クロエは、それをあたたかな眼差しで見つめる。
「お約束通り……もう一度、来てくださったのですね」
「君は……私が誰だか、分かるのかい? 随分変わってしまったと思うのだが」
スティーブの顔つきも身体も、たった十ヶ月にもかかわらず、非常に精悍になっている。
その上、服装も王子然とした豪奢なものではなく、騎士の着るような、飾り気がなく動きやすいものを着用していた。
ここへ通してくれた公爵も、彼が王家の紋章を見せるまで、スティーブだと気づかなかったぐらいだ。
しかし、クロエは自信たっぷりに断言する。
「いいえ、変わっていませんわ。わたくしの大好きだった、あの頃と同じです。空のように澄んだ、綺麗な目。お日様のように優しい笑顔」
そう言って、クロエは破顔した。
子供の頃のように。柔らかに、嬉しそうに。
「――スティーブ殿下……おかえりなさいませ」
「……ああ、ただいま。ただいま……!」
スティーブは、クロエの手を取り、優しく握る。
細くて折れてしまいそうな手だが、その手は確かに温かかった。
「もう一度」の約束から、十ヶ月後。
寝たきりの状態となったクロエの元を、訪れる者があった。
スティーブである。
きらめいていた金髪はくすんで荒れ、所々白く傷んでいる。
輝くサファイアブルーの瞳は、その片方を長い前髪と眼帯で覆われ、その下には頬まで走る傷があった。
腕にも脚にも、逞しい筋肉が付いている。
細く気品に満ちた姿からは見違えるほど、強靱で野性的な体付きだ。
そして。
彼の身体中、至る所に、切り傷や火傷の痕が残っていた。
「クロエ、久しぶり。随分待たせてしまったな」
返事は、ない。
その瞼は、依然として固く閉ざされたままだ。
「だが、待っていてくれて、よかった。君も、頑張ってくれていたんだな」
スティーブは、眠るクロエの髪を優しく撫でる。
「私も……少しだけ、頑張ったんだ。だから」
そうしてスティーブは、懐から小さな瓶を取り出す。
中には、光を反射して七色に光る、不思議な液体が入っていた。
「――私に、どうか、ご褒美をくれないか?」
スティーブは小さな瓶の蓋を開けて、その中身を一気に呷る。
液体を口に含んだまま、クロエの乾いた唇に、自身の唇を触れ合わせた。
(同意もなく口づけをすること……許してほしい)
スティーブは心の中でそう謝罪すると、クロエの唇を、自身の唇で割り開いていく。
口の中の液体をクロエに少しずつ流し込んでいくと、彼女は黒いまつげを僅かに震わせた。
長い長い口づけを終え、スティーブは身を起こす。
そして、婚約者の瞼が開くのを、ただじっと待った。
待つ。
ただ、じっと、静かに。
クロエの傍らで。
目をそらさずに。
ただじっと、待つ。
口づけから、どれくらいの時が経ったか。
ようやく、ルビーのような美しい瞳が、姿を見せた。
「……クロエ……!」
クロエはゆっくりと瞬きをして、目の前にいる逞しい美丈夫を見た。
渇ききった喉は言葉を発せず、瞬きを繰り返す。
「クロエ、体調はどうだ? 水を飲むかい?」
クロエはかすかに頷くと、細い飲み口のついた水差しから、少しずつ、ゆっくりと水を飲む。
「貴方は……」
ようやく出るようになった声は、掠れて弱々しいが、はっきりとしていた。
「目が覚めて、良かった。身体の調子はどうだい?」
「ええ……こんなに調子がいいのは、久しぶりですわ」
「ああ……! 本当に良かった……!」
スティーブは、感極まって、目元を押さえた。
クロエは、それをあたたかな眼差しで見つめる。
「お約束通り……もう一度、来てくださったのですね」
「君は……私が誰だか、分かるのかい? 随分変わってしまったと思うのだが」
スティーブの顔つきも身体も、たった十ヶ月にもかかわらず、非常に精悍になっている。
その上、服装も王子然とした豪奢なものではなく、騎士の着るような、飾り気がなく動きやすいものを着用していた。
ここへ通してくれた公爵も、彼が王家の紋章を見せるまで、スティーブだと気づかなかったぐらいだ。
しかし、クロエは自信たっぷりに断言する。
「いいえ、変わっていませんわ。わたくしの大好きだった、あの頃と同じです。空のように澄んだ、綺麗な目。お日様のように優しい笑顔」
そう言って、クロエは破顔した。
子供の頃のように。柔らかに、嬉しそうに。
「――スティーブ殿下……おかえりなさいませ」
「……ああ、ただいま。ただいま……!」
スティーブは、クロエの手を取り、優しく握る。
細くて折れてしまいそうな手だが、その手は確かに温かかった。