ReTake2222回目の世界の黒田美咲という世界線

1:出会い

 神奈川県江ノ島にある、祖母が開院したこの病院が私の実家だ。代々家に財力があったとはいえ、時代を考えれば女性が医師になり開業した事実は、とんでもない苦労があっただろう事は想像に難くない。
 黒田診療所として開設し、20床の入院患者を受け入れられるようになった黒田病院を、医師となった私の母が跡を継いで120床の黒田総合病院まで育てた。祖父も父も婿養子となり事務長として院長である祖母や母をフォローしていった為、母方の姓を受け継いでいる。
 祖母は応慶幼児舎の女性一期生らしいので、曾祖母の前の代から、性別の枠を壊そうとする能力と実行力があった事は確かであろう。同じ道を母も歩き、中学生になった私も同じ道を歩いている。

 私の名前は黒田美咲(くろだ みさき)
 文武両道を旨として運動もさせられている。コロコロ変える事を良しとしない家風な為、一度始めた事は続けなければならない。本当は球技をやりたかったけれど、母の勧めは空手と水泳であり、祖母の勧めは合気道と陸上競技であった。強い女の家系だ。
 双方の顔を立てるため、小学3年生から水泳と合気道をやっている。どちらも大会で勝ち進むような能力はなかったし、運動に特化する事を望まれてもいなかった。

 中学2年生になった私は、所属しているスイミングクラブで、勉強会として東京都の地区大会を見学に来た。
「美咲は平泳ぎだから、次の平泳ぎは注目だね」幼児舎から一緒で、同じスイミングクラブに通う親友と呼べる一ノ瀬花楓(いちのせ かえで)が言った。
「いや平泳ぎっていっても、小学生の部を見ても問題点しか目につかないけどね……」
「どんなところからも得るものはあるって!身体が小さいからこその効率的な推進力の生み出し方は注目だよ!」
 
 私は血筋のおかげで……責任を血筋に押し付けているとも言えなくはないが……血筋のおかげで気が強い。キツイ性格である事は自覚している。言葉も行動も荒いところがあるし、自分から相手に合わせようという気も更々ないので、友人関係は限定されてしまう。そんな私と同じ位キツイ性格の花楓とは、お互い言葉を選ばずに付き合えて理解しあえる仲だ。私がネガティブベースのキツイ性格だとすると、花楓はポジティブベースのキツイ性格。同じ答えに行き着くが、式が全く違う二人だ。

 ――「小学5、6年の部。男子平泳ぎ50メートル決勝」
「ほら美咲、始まるよ、小さいね~」
「細いよね」
「お!スタート良いね、良いじゃん良いじゃん」
 私は2コースに目を奪われた。私はあの泳ぎ方が好きだ。すごく好きだ。伸びを優先した泳ぎ方。最近の流行もあるけれど、短距離では特にピッチ泳法。水を掻く回数を増やしてスピードを上げるのが主流だけど、搔く回数を減らして、一搔きで進む距離を延ばす。両手を前に伸ばした時に、グイ~ンと進む泳ぎ方。目を奪われて離せない。彼の泳ぎに恋をした。
「――ちょっと美咲!聞いてるの?」
「え?ごめん、なに?」
「ちょっとあんた顔赤いよ、大丈夫?」
 2位になった彼は、水の中でゴーグルとキャップを外して、嬉しそうに私の方に手を振ってくれている。呼吸が止まるかと思った。振り向くと私たちの後ろに彼が所属するクラブの応援団がいた。なるほどテレビドラマでは見た事がある展開だ。

 ゴーグルとキャップを取った小学6年生の彼に、私は恋をした。医者の家系だから、私もいずれ医者になるのだろうけれど、この胸の痛みは医術ではどうにもならない事はわかる。胸が締め付けられる。「心地良い」は言い過ぎだけど、それでも言葉にするならば、心地良い痛み。心地良い苦しさ。
 ……この私が、小学6年生に恋をした。あり得ないけど……恋をした。

 全競技が終わり、私達のクラブはマイクロバスに乗り地元に向かっていた。
「ちょっと、あんた本当に大丈夫?熱でもあるみたいよ?」
「あ、ああ、ゴメン。問題ない。5、6年の部の平50。準優勝だった男の子なんだけど……」
「え?5、6年の部の平50の準優勝の事は覚えてないよ。それがどうしたの?」
「えぇと、ファンになった」
「は?!東京都大会の小学生の準優勝のファン?なにそれ?地区大会小学生の部なんて価値ないでしょ?!」
「……ね」
「いやいや、ここは嚙みついて来るところでしょ?得るものはあるとか言ってたやないかい!とか言ってさ。どうしたのあんた、変だよ?」
「……ね」
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