異世界もふもふ死にかけライフ☆異世界転移して毛玉な呪いにかけられたら、凶相騎士団長様に拾われました。
64.今はまだ、届かなくても
ルーナさんの行動は迅速だった。
新たな神託が下されたのは、早くもその日の夜のこと。今回もまた、キースさんがすぐに屋敷まで知らせに来てくれた。
「……前代未聞です。たった一日の間に、二度もルーナ様のお言葉をいただけるなど」
キースさんが感極まったようにため息をつく。
深夜、ヴィクターの部屋の中。
屋敷の中はすでに寝静まっていて、私たちはひそめた声で会話する。今この場にいるのは、キースさんとカイルさん、そして『人間の』私の三人だけ。
枕を抱き締め、私は恐る恐るキースさんに確かめる。
「神官長さんたち、ちゃんと納得してくれましたか?」
「ええ。何せルーナ様自らが、厳しくお命じになったのですから。『何人たりともシーナ・ルー様の行動を妨げてはならない』とね」
自信たっぷりに受け合うキースさんに、私は心から安堵して力を抜いた。傍らで見守ってくれていたカイルさんも、優しく目を細める。
「よかったね、シーナちゃん。ヴィクターから離れずに済みそうで」
「はいっ。ルーナさんに感謝しなくっちゃ」
私も笑顔で頷いた。
カーテンの隙間、窓から見える月はくっきりと明るく輝いている。お陰で今夜も無事に人間に戻ることができた。
前回と同じくヴィクターには席を外してもらっていて、家主不在の部屋の中はどこか寂しい。こんな夜更けに外に出てもらうのは、ヴィクターに心底申し訳なかった。
今頃どこにいるのかな、とそわそわする私に、キースさんが心配そうに眉根を寄せる。
「シーナ・ルー様。もしや呼吸がお苦しいですか?」
「え? いえ、違います! 元気いっぱいです!」
激しく首を振って否定すれば、カイルさんが「どうどう」と身振りで私を制した。
「落ち着いて、シーナちゃん。確かに顔色は悪くないけど、もし倒れでもしたら大変だからね?」
「ご、ごめんなさい」
反省して、ヴィクターのベッドに深く座り直す。
キースさんがソファからじっと私を見つめ、ややあって頬をゆるめた。
「ですが本当に、以前に人間に戻られた時よりずっと血色がいい。健康そのものといった感じです」
「そうなんですか?」
言われてみれば確かに、息苦しくもなければ心臓の鼓動も正常だ。
少しも違和感がないのは、そういえば初めてかもしれない。
「魔素への耐性をつけるための、訓練の成果が出始めたということでしょうか。……はッ、もしやシーナ・ルー様、魔素を見るのに成功されたとか!?」
「ええっ、そうなのシーナちゃん!?」
あ、いけない。
報告するの忘れてた。
かぶりつくように身を乗り出すキースさん、そして目を輝かせるカイルさんに、慌てて事の次第を説明する。
ヴィクターだけでなく、ミミズ魔獣の魔素も見えたこと。しっかりと集中すれば、戦闘時じゃなくてもヴィクターの魔素が見られるようになったことも。
二人とも熱心に耳を傾け、手を打って褒めそやしてくれる。私も一緒になって喜びながらも、内心では後ろめたさを抱えていた。
(……本当は、魔素を見るだけじゃなくて魔素の吸収にも成功したんだけどね)
が、そちらに関しては打ち明けるわけにいかない。
魔素は魔力の源、そして魔力は魔法を使うための動力源。魔法についてはこの世界の人々に教えてはならない、とルーナさんに釘を刺されているのだから。
(それに……)
二人に知られるのは、なんとなく気恥ずかしい。
ヴィクターの魔素がほんのり甘くて、心地いいものなんだって。側にいたら、しあわせすぎて体から力が抜けていくんだって。
てれてれと枕を抱き締めていると、カイルさんが不思議そうに首を傾げた。
「あれ? シーナちゃん、なんか顔赤くなってない?」
げっ!?
「な、ないです全然まったく、これっぽちも! ああそうだ、そんなことより『月の巫女』に関してなんですけどっ」
強制的に話題を変える。ごめんよカイルさん。
「月の舞はルーナさんが教えてくれる、っていうのは神託で伝えられた通りなんですけど。天上世界にいられる時間はそんなに長くないし、正直私、自信がなくって」
なにせ運動音痴ですから、と言い訳する私を、キースさんが朗らかに笑った。
「それは杞憂というものですよ。過去の文献によりますと、歴代の巫女様方も儀式の前には気を失いそうなほど緊張されていたそうです。が、いざ壇上に上がれば、皆様それはそれは立派にお役目を勤めあげ」
「あ、違うんです。それが実は――」
キースさんをさえぎって、実際に舞ったのはルーナさんなのだと説明する。
キースさんもカイルさんも、口をあんぐり開けて驚愕した。
「な、なんと! ならばなぜ、巫女様方は儀式の後で自己申告されなかったのでしょう! 胸を張って賛辞を受け入れていた、と文献にはっきり記されておりましたが!?」
「……いやぁ、言えないんじゃないかなぁ。周囲から拍手喝采を浴びてさ、『何も覚えてません、私は踊ってません』だなんてさぁ」
「ですよねぇ」
私とカイルさんは顔を見合わせ、うんうんと頷き合う。キースさんは頭を抱え込んでしまった。
カイルさんはひとつ苦笑して、「まあ、大丈夫でしょ」と気楽に告げる。
「シーナちゃんの体調がよければだけど、月夜に人間に戻ったときに練習すればいいんじゃないかな。オレとキースも喜んで付き合うし」
「そ、そうですともっ。本番の儀式を前にして、シーナ・ルー様の舞を先取りして見られるとは……! なんという役得っ」
復活したキースさんも頬を上気させて同調した。うーん、やっぱり私が踊る方向性は変わらないのね……。
(……けどまあ、こうなったら頑張るしかないか!)
ともかく、やれるだけやってみよう。
もし本当に駄目そうだったら、土壇場でルーナさんに丸投げするって手もあるしね!
さばさばと割り切ったところで、窓の外に目をやったカイルさんが「あっ」と声を上げた。
「やばい、もうそろそろ時間みたいだ。ヴィクターがこっちに歩いてきてる!」
「そ、それはいけません。シーナ・ルー様、今すぐ聖獣様へお戻りに――……ってえええっ!?」
気づいたら体が勝手に動いていた。
キースさんの手をすり抜け、窓辺へと走る。
止めようとするカイルさんに首を振り、大きく窓を開け放った。窓枠をきつく握り締めて身を乗り出す。
(――ヴィクター!)
まるで心の声が聞こえたように、ヴィクターがふっとこちらを見上げた。緋色の瞳が驚愕に見開かれる。
二階からだと遠いのに、少しだけ胸の鼓動が早まった気がした。だけど大丈夫、苦しくはない。
そう自分に言い聞かせ、地上のヴィクターに向かって手を伸ばす。
すがるように見つめれば、棒立ちになっていたヴィクターもためらいがちに片手を上げた。
(ヴィクター……!)
届かない。
お互い精いっぱいに手を伸ばしたって、私たちの間にはこれだけの距離がある。
――今は、まだ。
震えそうになるのをこらえ、きつく唇を噛みしめる。
すうっと深く息を吸い込んだ。
「ヴィクター! 待っててねっ」
「……っ」
大きく手を振り、とびっきり明るく笑ってやる。
息を呑んだヴィクターも、ややあってほろ苦そうに微笑んだ。手のひらを私にかざし、しっかりと頷きかけてくれる。
(待っててね……)
その手に向かって、私も手のひらを突き出した。月が明るすぎるせいだろうか、じわりと視界がにじんでいく。
ヴィクターの大きな手と、私の頼りないぐらいに小さな手。
たとえ触れ合えなくても、二つの手が確かに重なり合った気がした。
新たな神託が下されたのは、早くもその日の夜のこと。今回もまた、キースさんがすぐに屋敷まで知らせに来てくれた。
「……前代未聞です。たった一日の間に、二度もルーナ様のお言葉をいただけるなど」
キースさんが感極まったようにため息をつく。
深夜、ヴィクターの部屋の中。
屋敷の中はすでに寝静まっていて、私たちはひそめた声で会話する。今この場にいるのは、キースさんとカイルさん、そして『人間の』私の三人だけ。
枕を抱き締め、私は恐る恐るキースさんに確かめる。
「神官長さんたち、ちゃんと納得してくれましたか?」
「ええ。何せルーナ様自らが、厳しくお命じになったのですから。『何人たりともシーナ・ルー様の行動を妨げてはならない』とね」
自信たっぷりに受け合うキースさんに、私は心から安堵して力を抜いた。傍らで見守ってくれていたカイルさんも、優しく目を細める。
「よかったね、シーナちゃん。ヴィクターから離れずに済みそうで」
「はいっ。ルーナさんに感謝しなくっちゃ」
私も笑顔で頷いた。
カーテンの隙間、窓から見える月はくっきりと明るく輝いている。お陰で今夜も無事に人間に戻ることができた。
前回と同じくヴィクターには席を外してもらっていて、家主不在の部屋の中はどこか寂しい。こんな夜更けに外に出てもらうのは、ヴィクターに心底申し訳なかった。
今頃どこにいるのかな、とそわそわする私に、キースさんが心配そうに眉根を寄せる。
「シーナ・ルー様。もしや呼吸がお苦しいですか?」
「え? いえ、違います! 元気いっぱいです!」
激しく首を振って否定すれば、カイルさんが「どうどう」と身振りで私を制した。
「落ち着いて、シーナちゃん。確かに顔色は悪くないけど、もし倒れでもしたら大変だからね?」
「ご、ごめんなさい」
反省して、ヴィクターのベッドに深く座り直す。
キースさんがソファからじっと私を見つめ、ややあって頬をゆるめた。
「ですが本当に、以前に人間に戻られた時よりずっと血色がいい。健康そのものといった感じです」
「そうなんですか?」
言われてみれば確かに、息苦しくもなければ心臓の鼓動も正常だ。
少しも違和感がないのは、そういえば初めてかもしれない。
「魔素への耐性をつけるための、訓練の成果が出始めたということでしょうか。……はッ、もしやシーナ・ルー様、魔素を見るのに成功されたとか!?」
「ええっ、そうなのシーナちゃん!?」
あ、いけない。
報告するの忘れてた。
かぶりつくように身を乗り出すキースさん、そして目を輝かせるカイルさんに、慌てて事の次第を説明する。
ヴィクターだけでなく、ミミズ魔獣の魔素も見えたこと。しっかりと集中すれば、戦闘時じゃなくてもヴィクターの魔素が見られるようになったことも。
二人とも熱心に耳を傾け、手を打って褒めそやしてくれる。私も一緒になって喜びながらも、内心では後ろめたさを抱えていた。
(……本当は、魔素を見るだけじゃなくて魔素の吸収にも成功したんだけどね)
が、そちらに関しては打ち明けるわけにいかない。
魔素は魔力の源、そして魔力は魔法を使うための動力源。魔法についてはこの世界の人々に教えてはならない、とルーナさんに釘を刺されているのだから。
(それに……)
二人に知られるのは、なんとなく気恥ずかしい。
ヴィクターの魔素がほんのり甘くて、心地いいものなんだって。側にいたら、しあわせすぎて体から力が抜けていくんだって。
てれてれと枕を抱き締めていると、カイルさんが不思議そうに首を傾げた。
「あれ? シーナちゃん、なんか顔赤くなってない?」
げっ!?
「な、ないです全然まったく、これっぽちも! ああそうだ、そんなことより『月の巫女』に関してなんですけどっ」
強制的に話題を変える。ごめんよカイルさん。
「月の舞はルーナさんが教えてくれる、っていうのは神託で伝えられた通りなんですけど。天上世界にいられる時間はそんなに長くないし、正直私、自信がなくって」
なにせ運動音痴ですから、と言い訳する私を、キースさんが朗らかに笑った。
「それは杞憂というものですよ。過去の文献によりますと、歴代の巫女様方も儀式の前には気を失いそうなほど緊張されていたそうです。が、いざ壇上に上がれば、皆様それはそれは立派にお役目を勤めあげ」
「あ、違うんです。それが実は――」
キースさんをさえぎって、実際に舞ったのはルーナさんなのだと説明する。
キースさんもカイルさんも、口をあんぐり開けて驚愕した。
「な、なんと! ならばなぜ、巫女様方は儀式の後で自己申告されなかったのでしょう! 胸を張って賛辞を受け入れていた、と文献にはっきり記されておりましたが!?」
「……いやぁ、言えないんじゃないかなぁ。周囲から拍手喝采を浴びてさ、『何も覚えてません、私は踊ってません』だなんてさぁ」
「ですよねぇ」
私とカイルさんは顔を見合わせ、うんうんと頷き合う。キースさんは頭を抱え込んでしまった。
カイルさんはひとつ苦笑して、「まあ、大丈夫でしょ」と気楽に告げる。
「シーナちゃんの体調がよければだけど、月夜に人間に戻ったときに練習すればいいんじゃないかな。オレとキースも喜んで付き合うし」
「そ、そうですともっ。本番の儀式を前にして、シーナ・ルー様の舞を先取りして見られるとは……! なんという役得っ」
復活したキースさんも頬を上気させて同調した。うーん、やっぱり私が踊る方向性は変わらないのね……。
(……けどまあ、こうなったら頑張るしかないか!)
ともかく、やれるだけやってみよう。
もし本当に駄目そうだったら、土壇場でルーナさんに丸投げするって手もあるしね!
さばさばと割り切ったところで、窓の外に目をやったカイルさんが「あっ」と声を上げた。
「やばい、もうそろそろ時間みたいだ。ヴィクターがこっちに歩いてきてる!」
「そ、それはいけません。シーナ・ルー様、今すぐ聖獣様へお戻りに――……ってえええっ!?」
気づいたら体が勝手に動いていた。
キースさんの手をすり抜け、窓辺へと走る。
止めようとするカイルさんに首を振り、大きく窓を開け放った。窓枠をきつく握り締めて身を乗り出す。
(――ヴィクター!)
まるで心の声が聞こえたように、ヴィクターがふっとこちらを見上げた。緋色の瞳が驚愕に見開かれる。
二階からだと遠いのに、少しだけ胸の鼓動が早まった気がした。だけど大丈夫、苦しくはない。
そう自分に言い聞かせ、地上のヴィクターに向かって手を伸ばす。
すがるように見つめれば、棒立ちになっていたヴィクターもためらいがちに片手を上げた。
(ヴィクター……!)
届かない。
お互い精いっぱいに手を伸ばしたって、私たちの間にはこれだけの距離がある。
――今は、まだ。
震えそうになるのをこらえ、きつく唇を噛みしめる。
すうっと深く息を吸い込んだ。
「ヴィクター! 待っててねっ」
「……っ」
大きく手を振り、とびっきり明るく笑ってやる。
息を呑んだヴィクターも、ややあってほろ苦そうに微笑んだ。手のひらを私にかざし、しっかりと頷きかけてくれる。
(待っててね……)
その手に向かって、私も手のひらを突き出した。月が明るすぎるせいだろうか、じわりと視界がにじんでいく。
ヴィクターの大きな手と、私の頼りないぐらいに小さな手。
たとえ触れ合えなくても、二つの手が確かに重なり合った気がした。