浅黄色の恋物語
 ぼくも実は知事免許のマッサージ師でした。 流れに乗って大臣免許に切り替えただけ。
師匠は技術にうるさい人でした。 「知識は後で何とでもなるから技術を磨け。」っていつも言われました。
 それでなのか、ぼくにはすごーーーーーーく厳しかった。
3年間、褒められたことは有りませんですね。 怒られてばかりだった。
 それが卒業前になってやっと本音を話してくれたんですよ。
もちろん、他の同級生たちが居ない所でね。
 「他の連中はそれなりに何とかするさ。 でもな、お前は違うんだよ。
お前は本物になりなさい。 本物の経絡治療家になりなさい。」
 師匠はそう言ってぼくを送り出してくれました。 分かってたんですね。

 それから老健や特養で働いてきました。 大変だった。
マッサージ師はぼくだけだから仕事の責任を全部負います。
 うまくいってもいかなくても責任は同じ。
 最後の老健では無資格のおじさんも働いてたんですが、これがまた厄介な人で、、、。
時折、ばあちゃんたちの骨を折ったり罅を入れたりするんですよ。 その時はまずぼくに目が向きます。
 職員にもね「あんたじゃないのかい?」って聞かれるから堪ったもんじゃない。
何処で習ってきたのかは知らないけれど、中途半端に習ったマッサージなんてろくなことにならないから辞めてもらいたいもんだ。
 何か起きると免許を持っている人間が真っ先に疑われるんだからね。
そんなこんなを乗り越えてここまでやってきました。 長かった。
 でもね、学校は基礎を教えてくれるだけです。 本当の勉強は仕事を始めてから。
肩凝りと言っても人により時間により曜日によって様子が全然違います。
 それに的確に対応できないと本物とは言えません。
腰痛だって同じこと。 習ったことが通用しないことだって平気で起きます。
 患者さんの声を聴いた瞬間におよその状態を把握できなければ仕事は出来ません。
 でも患者さんの状態を無視してやることだけをやっている人があまりにも多い。
それをぼくら専門家は【揉み屋】と呼びます。
鍼灸師だったら【刺し屋】ですね。 こうして区別するわけです。
 ぼくらは昔から{按摩さん}と呼ばれてきました。 なぜでしょう?
それだけの腕を持っている職人だったからですよ。 今はそう呼ばれませんね。
寂しいくらいだ。
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