浅黄色の恋物語
按摩さんって呼ばれるのを嫌いな人たちが多いですね 現在は。
まあ、ぼくだって最初はそうだった。 でもやってるうちに(そうなんだよな。)って思えるようになってきた。
1990年代、ぼくらが居た頃、19条闘争というやつが有りました。
ぼくらが仕事と生活に困らないように晴眼者が運営している教育施設や就学人数を規制できるように法律で定められていたんです。
その条項を削除する話が出てきて、業界は沸騰に沸騰しました。
もちろん盲学校でも反対運動は起きました。 ぼくはそれに反対しました。
「技術を高めていくことで信頼を勝ち取ればいいじゃないか。」ってね。
同級生たちには無茶苦茶なバッシングを受けましたよ。 でもどうだろう?
今、制限条項は削除されています。 だから鍼灸大学などからどんどん新卒者が出てきてますね。
ところがどっこい、話を聞いてみると「やっぱり見えない人の方がいいわ。」って言う人がけっこう居ます。
それはなぜなんでしょう? ぼくらは体に触れて情報を得るからです。
晴眼の人たちは見た目で判断しようとします。 だから心から話し合える人が少ないって言うんですね。
見た目じゃ分かりません。 触れてみないと本当の苦痛は分かりません。
それが晴眼のマッサージ師には無いんです。 全盲の人間にしか分からないんですよ。
それが昔から按摩さんって呼ばせてきた理由なんですね。
それが日本の伝統だったわけです。
まあ確かに「全盲でもやれる仕事はたくさん有るじゃないか。」と言う人はたくさん居るでしょう。
それだって正論です。 間違いじゃない。
事実、ぼくだって最初は「マッサージなんてやらないぞ。」って意地を張ってました。
ミュージシャンになりたくてギターを弾いてました。 10代の頃は誰だって夢を追い掛けます。
でもね「好きなことを仕事にしちゃいけない。」って言われたことが有ってハッとしましたよ。
確かにそうなんです。 好きなことをやっていると何処かで躓いた時に逃げ場が無くなるんですよ。
そうなったらドツボに嵌るしか無いわけで、、、。
以来、マッサージと鍼の研究を続けてきました。 本を出せるくらいにね。
でもね、本にはしません。 読んだだけじゃ伝わらないから。
それくらいにマッサージも鍼も奥が深いんですよ。 入り込むと抜けられなくなる。
だからここまでやってきた。 自信が有ります。
まあ、ぼくだって最初はそうだった。 でもやってるうちに(そうなんだよな。)って思えるようになってきた。
1990年代、ぼくらが居た頃、19条闘争というやつが有りました。
ぼくらが仕事と生活に困らないように晴眼者が運営している教育施設や就学人数を規制できるように法律で定められていたんです。
その条項を削除する話が出てきて、業界は沸騰に沸騰しました。
もちろん盲学校でも反対運動は起きました。 ぼくはそれに反対しました。
「技術を高めていくことで信頼を勝ち取ればいいじゃないか。」ってね。
同級生たちには無茶苦茶なバッシングを受けましたよ。 でもどうだろう?
今、制限条項は削除されています。 だから鍼灸大学などからどんどん新卒者が出てきてますね。
ところがどっこい、話を聞いてみると「やっぱり見えない人の方がいいわ。」って言う人がけっこう居ます。
それはなぜなんでしょう? ぼくらは体に触れて情報を得るからです。
晴眼の人たちは見た目で判断しようとします。 だから心から話し合える人が少ないって言うんですね。
見た目じゃ分かりません。 触れてみないと本当の苦痛は分かりません。
それが晴眼のマッサージ師には無いんです。 全盲の人間にしか分からないんですよ。
それが昔から按摩さんって呼ばせてきた理由なんですね。
それが日本の伝統だったわけです。
まあ確かに「全盲でもやれる仕事はたくさん有るじゃないか。」と言う人はたくさん居るでしょう。
それだって正論です。 間違いじゃない。
事実、ぼくだって最初は「マッサージなんてやらないぞ。」って意地を張ってました。
ミュージシャンになりたくてギターを弾いてました。 10代の頃は誰だって夢を追い掛けます。
でもね「好きなことを仕事にしちゃいけない。」って言われたことが有ってハッとしましたよ。
確かにそうなんです。 好きなことをやっていると何処かで躓いた時に逃げ場が無くなるんですよ。
そうなったらドツボに嵌るしか無いわけで、、、。
以来、マッサージと鍼の研究を続けてきました。 本を出せるくらいにね。
でもね、本にはしません。 読んだだけじゃ伝わらないから。
それくらいにマッサージも鍼も奥が深いんですよ。 入り込むと抜けられなくなる。
だからここまでやってきた。 自信が有ります。