浅黄色の恋物語
今、55歳になってふと振り返ることが有る。 幼稚園時代のこと。
あれは昭和48年のことだね。 市立の幼稚園に通っていた。
先天性白内障の手術を受けていたから眼鏡を掛けていたぼくは早速虐めの対象になった。
朝は元気に行くのに帰りはいつも泣いていた。
片目は全盲でまったく見えないから変な感じ。
それに右耳も聞こえないし言語障害だって有る。
ガキ大将はいつもぼくを狙って虐めに来た。 抵抗できなかった。
知らない間に友達はほとんど居なくなっていた。
それを見かねた保母さんたちはみんなが帰った後でぼくを園長室に呼んで遊んでくれた。
中でもクラス担当の菰田ひろ子先生は懸命だった。
母さんとも何度も話し合いをしたけど虐めが無くなることは無くて一年後にぼくは辞めてしまった。
それからはずっと家で独りぼっちの留守番をしていた。
朝、父さんも母さんも仕事に行ってしまうと静かな家の中で独りぼっちになる。
午前中、近所をブラブラと散策し帰ってきたらおにぎりを食べる。
昼からは友達に貰った本を読み、おもちゃを出して遊ぶ。
それに疲れたら部屋の真ん中で寝てしまう。
雨が降っても雷が鳴っても雪が積もってもぼくは独りぼっちだった。
祖父母はまだまだ現役世代で仕事に行っていた。
何しろ母さんは17歳でぼくを産んでくれたんだから。
その頃、父さんは28歳の炭鉱マンだった。
仕事を探して岡山から飛んできたんだって。
そんな男の子供を妊娠した母さんは親戚一同からものすごく叩かれまくった。
「何処の馬の骨とも分らん男の子供を産むなんて絶対に許さん!」
祖母は特に激越に反発した。
それでも母さんはぼくを産んでくれたんだ。
予定日から2か月も遅れた上に臍の緒を首に巻いて真っ黒な体で生まれてきたんだって。
その頃の写真はぼくに見せないように処分してしまったらしい。
以後、ぼくは虐めと障害の中でもがき苦しむことになる。
母さんだって辛かったと思う。 産んだことに後悔もしたはず。
でも一度として愚痴や文句を聞いたことは無い。
愚痴った所で障害が消えるわけでもないし虐めの記憶が無くなるわけでもない。
母さんは死ぬまでぼくを守ってくれていた。
母さんの下に生まれてきて良かったよ。 ありがとう。
あれは昭和48年のことだね。 市立の幼稚園に通っていた。
先天性白内障の手術を受けていたから眼鏡を掛けていたぼくは早速虐めの対象になった。
朝は元気に行くのに帰りはいつも泣いていた。
片目は全盲でまったく見えないから変な感じ。
それに右耳も聞こえないし言語障害だって有る。
ガキ大将はいつもぼくを狙って虐めに来た。 抵抗できなかった。
知らない間に友達はほとんど居なくなっていた。
それを見かねた保母さんたちはみんなが帰った後でぼくを園長室に呼んで遊んでくれた。
中でもクラス担当の菰田ひろ子先生は懸命だった。
母さんとも何度も話し合いをしたけど虐めが無くなることは無くて一年後にぼくは辞めてしまった。
それからはずっと家で独りぼっちの留守番をしていた。
朝、父さんも母さんも仕事に行ってしまうと静かな家の中で独りぼっちになる。
午前中、近所をブラブラと散策し帰ってきたらおにぎりを食べる。
昼からは友達に貰った本を読み、おもちゃを出して遊ぶ。
それに疲れたら部屋の真ん中で寝てしまう。
雨が降っても雷が鳴っても雪が積もってもぼくは独りぼっちだった。
祖父母はまだまだ現役世代で仕事に行っていた。
何しろ母さんは17歳でぼくを産んでくれたんだから。
その頃、父さんは28歳の炭鉱マンだった。
仕事を探して岡山から飛んできたんだって。
そんな男の子供を妊娠した母さんは親戚一同からものすごく叩かれまくった。
「何処の馬の骨とも分らん男の子供を産むなんて絶対に許さん!」
祖母は特に激越に反発した。
それでも母さんはぼくを産んでくれたんだ。
予定日から2か月も遅れた上に臍の緒を首に巻いて真っ黒な体で生まれてきたんだって。
その頃の写真はぼくに見せないように処分してしまったらしい。
以後、ぼくは虐めと障害の中でもがき苦しむことになる。
母さんだって辛かったと思う。 産んだことに後悔もしたはず。
でも一度として愚痴や文句を聞いたことは無い。
愚痴った所で障害が消えるわけでもないし虐めの記憶が無くなるわけでもない。
母さんは死ぬまでぼくを守ってくれていた。
母さんの下に生まれてきて良かったよ。 ありがとう。