千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~


そんな会社、喰ったとしてもこちらが腹を壊すか、と意識を切り替えた司は本棚に経営学関連の書籍や文献を並べ置く。
それよりも今は千代子が作ってくれると言う“変な物”が楽しみだった。
千代子の事だから突飛な創作料理ではなさそうだし、部下の松戸や芝山をも巻き込んで悩んだ末に導き出した『ちよちゃんの好きな物でいいよ』のたった一行のメッセージ。それに連なるいくつかのやり取りを思い出せばまた自然と手が止まってしまう。司は流石に終わらせないとまずいな、と広げてしまった書籍の収納を再開した。

今日は開けっ放しにしてある私室の扉。リビングダイニングの方から包丁を使う軽やかな音がする、と言う事は千代子がランチの支度を始めた事を意味していた。
千代子には詳しく言っていないが確かに普段の司は芝山に頼んで高級仕出し弁当やテイクアウトを多用していた。そのため、自分では飲み物を用意する時くらいしかキッチンは使わない。

そう、そのキッチンはこれから千代子に管理を任せたい場所だった。
だから皿を置く場所も千代子のセンスに全て任せていた。

雇用も対価も、経営を任せているのが信頼出来る松戸なら何も心配する事はない。松戸は物事を見極める良い観察眼を持っている。だからこそ手持ちの事業の中でも規模の大きい人材派遣会社の経営を司は一つ年下の彼に任せていた。

まだ千代子に話すらしていない。それでももし、彼女をこの部屋に……自分の目が届く場所に居て貰えたなら。
突然の提案に気が退けて目を丸くさせ困ってしまっている千代子の姿など容易に想像出来る。そんな姿も実際に見てみたい気もするが、と司はつい自分の悪い部分が千代子に向いてしまい、大きく息を吸って意識を抑える。

ハウスクリーニングやハウスキーパーのサービス業と提携している派遣会社への登録、と言う体裁なら普通の雇用となんら変わらない。

なるべく、千代子の嫌がる事はしたくなかった。
これ以上、あの瞳から大粒の涙をこぼさせるなど、あの肩を震えさせるなど。
あの夜に触れたのはなんとも心もとない、薄い背中だった。
食事は日頃送って来る画像を見ればそれなりに摂っているようではあったが、千代子には心も体も健やかでいて貰いたい。

(ああ、やはり気に入らないな)

千代子を悲しませたのはどこのどいつだ、と司の目が暗く、光を失う。
本人から聞き出しても良いけれどまた涙を滲ませる真似はさせたくないし……大体の事なら自分の持っている部下たちを使えば調べがつく。

ドアの向こう、リビングの方では千代子が昼食の支度をしてくれている音が続いていた。換気扇を付けて何か炒め物をしている音も聞こえる。これは本当に早く片を付けなければ、と司は三度止まってしまっていた手を動かした。

・・・

千代子はカウンターテーブルの上に置いておいた食材の袋とは別に、ソファーのそばに置いておいたトートバッグから一枚のエプロンを取り出して身に着けると腰元でリボンを結ぶ。

今日、この日の為に出かけて購入した一枚。

手をよく洗い、考えて来たメニューの一つ一つに取り掛かる。
購入してきた食材は全て一回で使い切ってしまおうと色々試行錯誤の末にメニューを決め、ある程度は自宅で下ごしらえを済ませて来た。

< 26 / 98 >

この作品をシェア

pagetop