千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~


「これにしよう」

今はエントリーモデルでもどれを選んでも失敗は無いと言う千代子に使い勝手がいい合数を教えて貰い、ごく自然に上位機種の方を選ぶ。
千代子はとても何か言いたげではあったがそれは仕方ない。今の彼女の生活状況を鑑みた司は「楽しみだね」と軽く流してやる。

「そうだ、ちよちゃんはお酒大丈夫だったよね」

少し晩酌に付き合って、とお願いをすれば頷いて了承をしてくれる。

「ウイスキーはちょっと今の時間はきついだろうから……ちよちゃんはハイボールとか飲める?」

今や千代子の城となっているキッチンはいつも清潔に片付いていた。今は炊かれたばかりの保存容器に入ったご飯が冷まされてはいるが……グラスを用意する司はそれらすら愛おしいような視線を向けてから冷蔵庫を開ける。

「これ、開けて良い?」

冷蔵庫の中にはいつも一品だけ、つまみとして温めなくても良いような濃いめの味付けの物が用意されている。
つい数時間前に千代子が作って冷蔵庫にしまってくれていた保存容器を取り出していれば「それなら私も」と千代子も一緒にキッチンに立つ。
そうすればまた、千代子からシャンプーの良い匂いがしてしまう。

皿の用意を千代子に任せ、グラスを用意する司の指先に力が入る。
どこか沸き立ってしまう衝動を堪えるが上から見下ろすような身長差は彼女のラフなワンピース姿の首もとの、その奥を見てしまいそうになった。
女性に対して無礼な真似を、と司はすぐに視線を反らしたが相手は千代子だ。なんとも言えない切なさが込み上げてしまう。


「絶対に、私のペースに……飲ませ過ぎたか……」

ソファーの上で半身、崩れるように横になっている体に先ほど畳んでくれたタオルケットを掛ける。どうやら千代子の空きっ腹にアルコール、は駄目だったようだ。

頭を抱える司は松戸から「兄貴はウワバミだ!!」と言い放たれた事があった。そんな自分と最近は缶チューハイのひと缶も飲めないと言っていた千代子が釣り合うはずもない。

酔わせるつもりなんて無かった。
ただ、楽しくて……嬉しかったから。
司は心の中で言い訳を繰り返してしまう。

「んん……」

酔った彼女が眠ってしまうタイプで本当に良かった。

(本当に、良かったのか?)

掛けたタオルケットを掻き抱く千代子の姿。自分が使っていた、エチケット程度に付けている僅かな香水がしみているタオルケットを大切そうに胸に抱いて、クッションに深くうずもれている。

アルコールで染まった頬、薄く開いている唇。
なんて美しいのだろう。
触れてみたかった頬、奪ってしまいたかった唇が今、手の届く場所にある。
それを意識してしまえば途端に、千代子の全てを手に入れてしまいたくてたまらなくなる。

(ちよちゃん……)

屈みこんで、中指の腹でそっと頬に触れてしまった。
まるで禁忌を犯しているように心がざわつく。指の腹を滑らせれば思った通りに頬はすべすべとなめらかだった。
それにほんのり温かで、柔らかくて。

滑らせた指先のままに、唇の輪郭をなぞる。
異物を感じ取ったのかきゅ、と指を挟んだまま閉じられてしまう唇。

「……っ」

慌てて手を引いたが強く息を吐かなければ抑えられそうにもない。自分は酔った女性になんてことをしているのだろうか。こんなの最低だ。

――醜悪、だ。

きつく眉根を寄せた司は眠っている千代子に声を掛ける。

「ちよちゃん、起きて」

遅くなってしまったらいけないから。

「お願いだから」

独り善がりの醜い熱が、昇り切ってしまう前に。
ソファーの前に片膝をついた司は、とんとん、と彼女の手の甲を指先だけで叩く。
もう起きて、と何度も。その温かな手を握って、離さなくなる前に。

司の行動にやっと気が付いた千代子がうっすらと瞼を開けてどこか不思議そうな、とろんと蕩けた甘い表情で笑いかけ……その一回り大きい司の手を、指先を、浅く握ってしまった。



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