千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
昨日は嬉しそうに帰って行ったのに、この落差。
何かしらの事はあったのだろうが司が語ろうとしない限りはどうしようもなく。下世話な話を松戸に任せた芝山は今日の予定はずらせる物だと司に伝える。
「そうやって若の表情を良い方にも悪い方にも変えてくれる女性なら、俺は安心ですよ」
芝山の言葉に驚いた様子で司は下げていた顔を上げる。
司の整った顔も表情がなければ意思のない人形のようだった。すらりとした立ち姿に己の内側を見せない冷めた顔は何を考えているか分からない雰囲気を常に発している。そのお陰なのか、他の組織の者たちも彼に下手な真似をする者は少なく、司の機嫌を損ねれば“一応”合法的な粛清が待っているだけなのも周知されていた。
司は一人、社会の表と裏の境界を歩いていた。しかし、自分や松戸くらいにしか見せない笑顔を向ける事が出来る、感情のままに喜怒哀楽をさらけ出せる小倉千代子と言う女性の存在はきっと彼にとって良い方向に歩みを向かわせる事が出来るのではないだろうか。年長者として、部下として、芝山は考える。
彼の義理の父である本家今川組組長が座を手放し、司がそれを継ぎ――組織を解体し、若くして隠遁生活を送ろうと粛々と日々を消化するだけの毎日を送っていた司。偶然とは言え、幼馴染に近い親しみやすさを持ち合わせた昔の司を知る女性と出会えたのは確かな好機だった。
最近の司はこの場でケータリングを頼む事も、仕事としての会食以外で外食をする事も無く真っ直ぐ家に帰り、彼女が作り置いた手料理を毎晩、堪能しているそうだ。そのどれもが美味しいのだと言う。
ベタ惚れ、とはこの事を言うのだろうな、と芝山はさりげなく司の手元にあった書類を片付けて預かってしまった。
「若、御嬢さんはお元気で?」
「ああ……仕事にも慣れて来た。埃一つ無いよ」
それなら良かった、と芝山は安心する。
このまま縁を結んでくれて構わないが司にそう言った気はあるのだろうか。今はまだ、再会の喜びに浸っていてもいつまでも年頃の女性を一方的に拘束しておけるわけがなかった。
・・・
身支度をし、散歩がてら司に頼まれていたパンケーキミックスの粉を買いに……最近、週三回は必ず行き来する整備されたばかりの歩道を千代子は次なるスーパーに向かうべく歩いている。行先はいつもの自分が使っている方のお得なスーパー。先にパンケーキの粉と、ちょっとだけ自分へのご褒美にカットフルーツが詰められたパックを高級志向のスーパーで購入し、いつものトートバッグを肩に提げ、手には保冷バッグを持って戻って来た所だった。
ちょうど通っている司の住んでいる高層マンションの前に差し掛かる。