千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~


「本部は何か案件でも抱えていたか?」
「いえ……若や我々が知らぬ、と言うのなら」
「呼び出しの用件も無し、か」

 何を企んでいるのか。

 そしてその夜、料亭に至る司と芝山の両名。
 廊下の板張りに座して控える芝山と部屋の中で座布団には座らずに一歩下がった場所で正座をし、出て来る人物を待つ司。
 暫くすれば奥の座敷の戸が開き、司は黙ったまま頭を下げる。

「司、久しぶりだなァ」

 枯れ気味の渋く老いた声にぐ、と今一度深く頭を下げてから司は顔を上げる。
 そこには初老を幾らか過ぎた元は芝山のように恰幅が良かったであろう男が胡坐をかいて司を見据えていた。

 関東最大の暴力団組織を纏める連合の四代目に座する男、中津川(なかつがわ)

「お久しぶりです、中津川会長」
「ああ。シノギの方はどうだ、今川の兄弟もすっかり隠居しちまってお前に任せきりだと聞いているが」
「はい……私ではまだ力不足な部分の方が大きいですが」

 少し頭を下げ気味にした司の当たり障りのない、ありきたりなビジネス文句につまらないと言わんばかりに「なあ、司」と中津川は親しげに名を呼び、遮る。

「俺はまどろっこしい真似が嫌いだ。だから先に、単刀直入に言っておこうと思ってな。司、お前は誰よりも極道の世界とは遠い真っ当なカタギの思想を持っている。だからこそ、俺の跡目になってくれねえか」

 まるで相反するような理由を持って言い切る中津川に頭を下げたままの司の表情は厳しさをたたえたまま。

「次の本部総会でお前を兄弟の代行として本部若頭に任命する。まだ内々ではあるが既に直参(じきさん)組長三名からの指名は取れていてな。まあ所謂お前さんと同じこの世界に見切りをつけた“穏健派”の連中だ。兄弟があの時代、算盤の苦手な俺の代わりに奔走したように……時代はまた、変わってきている。だからこそ、頭の固い俺たち老いぼれ連中よりも若いお前が上に立った方が良いと思ってなァ」
「お言葉ですが会長……私は会長もご存じの通り親父とは養親子(ようしんし)の関係。いくら今川の血を引いていようとも分家は分家の身分。若頭代行はともかく会長職には」
「俺ももう隠居してえんだよ」

 まあとりあえず俺の跡を継ぐ件は頭の隅にでも入れといてくれや、と初老の中津川は言う。司の義父である進とかつては上下なく、ほぼ対等な極道に於いての義兄弟の関係――五分の盃(ごぶのさかずき)を交わした男はゆっくりと、膝を庇うようにしながら立ち上がる。

「駄目だなァ、ったく膝がいてえや。兄弟の事なんか言ってられねえ」

 退室しようとする中津川に対し、司は深く頭を下げる。

「司よォ……お前さん、そろそろ気をつけな。いくらお前が兄弟の計らいでほとんどカタギさんと変わらん生活をしていても、それを弱みであると晒しているも同然だ。どんな些細な事でも妙な話には気を付けるんだな……特にアイツ、とかな」

 忠告する中津川に頭を下げたままの司は千代子の存在と……一件、少し調査をするよう松戸に頼んでいた事を思い出す。

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