千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
「ちよちゃんにまた会えるなんて」
引っ越しをしてしまう前……当時のメールアドレスも携帯番号も交わせないでいた、本当に淡かったーー千代子の片思いの人。
ごく身近な近所のお兄さんであった司にそう言った気持ちになってしまうのも仕方がない四つの程よい歳の差。いつでも物腰が柔らかであった司の人となり。
身長差を気遣ってか軽く屈んでくれる姿を見ると、どうやら今でも優しさは変わっていないようでトートバッグを握り締めていた千代子の手もようやく緩む。
「司さん、ここに?」
「うん、入居がやっと始まってね……年明けに納期の予定だったんだけどそれが少し遅れていたのと私も忙しかったから、本格的に越してきたのは最近なんだ」
見上げる程の高層マンション。
千代子は自分の住んでいるくたびれアパートと比較にならない、比較したら失礼だ、と思ってしまいながらもこのマンションに住み始めたと言う司は現在、相当良い職業に就いている事が分かる。昔の司も千代子が知る限り、頭の良い好青年で――だからこそ、好きになってしまった。
当時の千代子はまだ中学生で、憧れと恋慕がまだ判別出来ない年齢。離れ離れになってしまってからの司はきっと質の良い大学に進学して、そのまま良い企業に就いたのだろうと千代子は推測する。
しかし、知る限りの分も含めて現在の司が自宅でのお茶に誘うと言う事はパートナーや婚姻関係にあたる人はいないのだろうか。自分たちの年齢になると家庭を持つ者たちも増え出す頃で……。
「そうだな……もし良かったら連絡先だけ交換……ああ、いや、いきなりそんな女性に」
「大丈夫ですよ。何も知らない間柄ではないんですから」
「それに“ちよちゃん”なんて気軽に呼んでしまってごめん」
「いえ、私も懐かしくて」
「うん……ちよちゃんが引っ越してから私も色々あったから……それにしてもこんなに近い場所でまた会えたなんて」
千代子と司は互いにメッセージアプリのIDを交換する。
どうやら司にも積もる話がありそうだ、と千代子は彼の言葉を反芻しながら軽く手を振って高層マンションの前から離れ、いつものスーパーの方へと歩き出す。
今日はお高めのスーパーまで足を延ばして良かったな、と千代子は少しむずむずとする口元をぎゅ、とさせながら歩く。
そんな千代子の背を見送る司の瞳は懐かしさ以外の感情も含んでいるかのように細められ、その整った口元からはそっと吐息のような溜め息が一つ、静かにこぼれる。そしてそのまま、取り出したままでいたスマートフォンで『大通りを真っすぐ、市街地へ向かった』と打ちこんでどこかに送信すれば返信は無くともすぐに既読の表示が付いたのを確認した。