千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
司の舎弟と言えど会社社長が気楽にカフェで買い物をしていた理由は……機嫌がかつてない程にどん底になっている司が珍しく「甘い物が飲みたい」と覇気の無い声で言い、芝山を買いに行かせるのも、と松戸が買いに降りてきていたせいだった。
――彼女の存在を他の者に知られてはならない。
今まで司と芝山の下で学んできていた松戸は千代子が何をしようとしているのか分からなくともこんな場所に訪れている時点でおかしい、とすぐに察知して「ねえ、君」と声を掛ける。
少し眉を寄せ、怖がっている表情。
そりゃあ知らない男からいきなり声を掛けられれば誰でもそうなるよな、と松戸は営業用の顔に切り替える。
そして司は隠しているようだが松戸はもう彼女の顔を知っていた。芝山には一番綺麗に映っている写真だけを見せたが本当は動画で盗撮……参考資料を集めていたので千代子の左右の横顔も、声も、知っていた。
流石にバレたら芝山と司の両名からやりすぎだと本気で殴られそうではあったがこれも松戸の仕事の内だった。
「小倉千代子さん、ですね?」
司と同じく背の高い松戸は他の者に聞かれないように軽く屈み、ボリュームを落とした声で問う。
「ワタクシ“松戸”と申します。立ち話もなんですからどうぞ、こちらへ」
「……っ」
大きく見開いた丸い瞳が不安そうに――しかしどこか、縋りたいような表情に変わる。松戸は司のあの状態も鑑みて執務室には連れて行かない方が良いだろう、とすぐに人気の少ない奥の商談スペースへと案内する。
戸惑いながらも付いて来てくれる千代子を確認しながらパーティションで仕切られ、半個室になっている対面の二人掛けへと千代子を座らせれば司と自分用に買った新作のチョコレートドリンクを袋から出してその一つをずい、と差し出した。
「あの……」
「えーっと、兄貴にお会いに?」
溶けちゃうから飲んで、と促しながら松戸が先にストローに口を付ける。
「え……え?ここ、は」
「兄貴の……今川グループの本社ビル……え?」
そんな事も知らずに、と松戸は危うく甘いチョコレートに噎せそうになってしまい、戸惑っている千代子を見る。
「まあなんも今川に掛かったビル名じゃないから分からないか」
「え、っと、その……私は松戸さんにお会い出来たら、と思い」
「俺に?」
申し訳なさそうに「はい」と小さく返事をする千代子。長らく勤め人をしていた彼女がアポなし承知で来てしまった、の重大性に松戸も細い眉根を少し寄せる。
しかもここが司の庭である事すら知らず、と言う事は本当に自分が登録している派遣会社の本部、社長である自分が出勤しているであろう場所に訪れたと言う事になる。