千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~


 登録社員とは言え非常に無茶な話だったがごく僅かな可能性に賭けて行動を起こした、と言うのだろうか。
 いい度胸してんじゃん、とこんなに甘い物を司が飲んだら胃をやられるんじゃないかと思いながら本当にクリームが溶け始めてきているチョコレートドリンクを千代子に勧め、かさが減った所を見た松戸は「仕事の事、と言うよりは兄貴の事で聞きたい事がある、とか?」と探りを入れる。

「今の、つ……今川さんが、会社の経営者ではない方でどのような立場なのか、お聞きしたくて。お恥ずかしながら、私……本当に学生時代以降の今川さんを全然、知らなくて……」

 普段、兄貴は名前で呼ばれてるんだと松戸は勝手に脳内にしっかりと記憶しながら司が千代子にヤクザとしての面も、実家から出てどう暮らしてきたのかもそこまで詳しく教えていない事を知る。そりゃあ不安だろうよ、と松戸も思う。司が隠したいのも分かるが一緒に暮らしている程ならやはり知っておくべき事ではある。

(それを俺が先にバラしちゃって良いのかなあ。やっぱり兄貴に殴られる?覚悟する?)

 千代子の「経営者ではない方」との口ぶりから司や自分たちに表と裏がある事を知っているとなると、と松戸は椅子の背もたれに少し背を預けて千代子を見る。

「この時代、探ろうと思えば兄貴の名前はどっかしらに引っかかると思うんだけど……出来なかった、かな」

 意地悪をするつもりではない。
 これは公然の事実なのだ。
 会社名義は司ではなく本家今川の組長になっているが実権は事実上、司にある。表向きはもうカタギと変らない形態をとっており、黒い噂も立たないよう日々、慎重さは欠かしていない。

 程度の悪い週刊誌などですっぱ抜かれようが自分たちは何も法を犯していない。
 それどころか行き場のない十代の半グレや、ヤクザと言う生業から足を洗いたい者たちの受け入れ場所として事業を細分化しながらも再編を繰り返し、試行錯誤しながら大きくしてきた実績がある。

 全ては司がただの一人の男として生きる為に。

 今の本家組長である進が体調不良でありながらもその座から引かないのには理由があった。
 司が望んだ生き方をさせる為、何か大きな事態が裏側で起こった際に“使用者責任”が問われ、警察から御呼びが掛かった日には自分が出頭すれば良い、と。

 進からは『司に要らぬ傷を負わせるな。それがお前たち舎弟としての“最後の務め”になる』と直接、本家の屋敷に司には内密で芝山と呼び出されたときに言われていた。
 本家組長の進はとっくに暴対法の強化とその先にはもう何もない事を悟り、相当昔から組織解体を視野に入れていた。それでもそれは時間の掛かる事であり、司がやり遂げるまで経歴を守るよう、頭を下げられてしまっていた。

「うーん、最初から話すとなると……俺たちは兄貴の事を“若頭(カシラ)や若”と呼んでる、かな。それで兄貴は今、本家今川の名を持っている。養子縁組ってやつで一番上の伯父さんにあたる人に引き取られてさ」
「養子……伯父……あの、体がとても大きな伯父様の」
「そう。ああやっぱり子供の頃の事とは言え覚えてたんだ」
「とても印象的な方だったので……その伯父様の、所に……」

 松戸は深く頷く。

「俺は兄貴が千代子さんとお別れをしてしまった後からの付き合いになるかな。俺は兄貴より一個下でさ、ちょうどその本家の丁稚になって住み込みで働くようになって」

 これも司が千代子に伝えていない事。
 そしてそれを聞く千代子の瞳はとても真剣な眼差しで、ひとつひとつに頷いて松戸の話を聞いていた。

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