千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
「昨日ちょっと、喧嘩ではないんですが……」
「あーだから今日、この世の終わりみたいな顔してたんだ。最近、そうだな……トラブルって程ではまだ無いんだけどソッチの方でちょっとあって。兄貴も考えすぎちゃう面があるから千代子さんにはこうしてまだ話せていない事とか、色々そう言うのもひっくるめて自分の中で上手く折り合いが出来て無いのかも」
「そう……でしたか」
そっか、と呟いた千代子がハッとしたよう「急に訪問してしまい申し訳ありません」と深々と頭を下げて丁寧に謝罪をする。そんな畏まった姿に「謝らないで」と松戸は声を掛ける。
言わなかったのは司だ。
案外兄貴も臆病な所があるのね、と松戸は思う。
「ほら早く食べないと溶けちゃうから」
「これ、本当はどなたの」
「ん?兄貴のだけど」
驚き、目を丸くしている。
やはり司は普段、自宅ではこんな甘い物は食べていないらしい。俄然、二人の私生活が気になるところではあるが千代子の手元のチョコレートドリンクも底をついた所で松戸は千代子の目を見て「一つだけ、確認していい?」と自らの背広の肩をとんとん、と指先で指し示す。
「兄貴のコレはもう」
非常にプライベートな事だと分かっていながら、松戸もまた彼女の覚悟を確認したかった。離れ離れになってしまった後の生い立ちはともかく、今の司が背負っている物を千代子が知っているかどうか。司もまた、彼女にそれを正直に伝えているかどうか。
そうでなければ、守りたくても守れない……互いがちゃんと大切な部分を共有しているかどうか、知りたかった。
意味を察知して頷く千代子に松戸は「俺もね、あるんスよ」と笑って流してやる。
「マジ夏場は半袖が着られなくてね、半袖の癖に」
それは彼らなりのジョークなのか、千代子の瞳が一層丸くなってしまった。
それから暫く、全然戻ってこないどころか戻って来たと思えば手ぶらの松戸。もう甘い物の気分も過ぎ去っていた司は芝山が用意してくれたコーヒーを飲んでいた。
「ほら、やっぱり兄貴にあんなド甘い物は合わないって」
「お前まさか一人で」
「なんかースペシャルなやつが今日の在庫のラスワンだったみたいでーしかも店員さんのうっかりでグラスで提供されちゃってーそしたら俺も電話掛かってきちゃってー」
だらだらと嘘を吐く松戸。
二つ購入したもう一方を突然来訪してきた千代子に与えてしまった事など司は知らない。
そして帰り際の千代子と連絡先を交換したのも知らない。
ワルイコトしてんなあ、ヤクザかな?と一人ふ、と笑ってしまった松戸に訝しげな視線を送る司も今夜は帰ったらもう一度ちゃんと千代子に謝る為に彼女の好きそうな物でも、と考えていたがどうにも思いつかず。
帰る間際まで唸っていた所で「彼女になんかやらかしちゃったんなら素直に謝るだけでも良いと思うンすよ」と見かねた松戸から助け舟を出され、珍しく強く睨んでしまう。
「知ったような口を」
「小指詰めてケジメつける時代じゃないッスよ~」
小指を立てている松戸に流石の司も溜め息に少しの笑みを混じらせる。
歳の変わらない松戸にも、いつも救われている。
「お前な……」
それもそうか、と司は考える。
今日、千代子からは一通もメッセージは届いていなかった。
どこで何をしていたのかも分からない。持たせたセキュリティタグだって、危険が及ばない限り千代子の行動の始終を覗こうなんて思っていない。
まあ最初は……一緒に暮らしていなかったし、再会したばかりで気持ちが急いて尾行はさせたが。
今、彼女は悲しんでいるのか、怒っているのか、それすら何も分からない。下手に何か用意しても、素朴な千代子はどう思うだろうか。
結局は言葉で謝る事を決めた司は何も持たず、自宅のドアを開ける。
「お帰りなさい」
相変わらず迎え出てくれる千代子。
昨日、酷い事をしてしまったと言うのにその表情は穏やかだった。
「ちよちゃん」
「ただいま、が無いですよ」
ああ、この子は。
促されて「ただいま」と言う司の申し訳なさそうな声に千代子は「今日のお夕飯は“私の好きな物ばっかり”ですからね」と言う。
しかも食材の買い出しは全部高級志向のスーパーで、肉も塊の一番大きいものを買ってきて、と説明を始める。
(私はいつも、誰かに救われている)
司が「昨日は本当にごめん」と謝る。
許しを請うのではなく、ただ純粋に謝罪の言葉を千代子に掛ければ仕方なさそうな表情をして「そんなに落ち込まないでください。お腹いっぱい食べればきっと疲れも取れますよ」と笑いかけてくれた。
そう、自分たちはもう幼い頃とは違って年齢差もあまり感じさせないような大人同士なのだから感情が揺れて、どうしようもなくなってしまう日だってあるのを知っている。
大切な人に、感情をぶつけてしまう事もある。
そんな時でも受け止め、見守ってくれる人の存在のなんと有り難い事か。
千代子の為にと彼女の痛みや寂しさを受け止めようとしていた司のその心の内側。どうしても持ってしまっている暗い物を千代子も受け止め、理解しようとしてくれている。
司はぱたぱたと先にリビングへ行ってしまった背に「ありがとう」と呟く。今夜は千代子の好きな物しかないと言う夕食。支度を手伝うために司も気を取り直し、部屋に上がった。