千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
ねえ芝山さん、と松戸が隣の芝山に話を振れば「若が……若が、こんなに素敵な女性と」と感極まってしまい……これは本当に二人が籍を入れるとなったら号泣するんじゃないのか、と松戸は思う。
とにかく、大して女性関係を築かなかった司がこんなにも大切にしている彼女とは今後も末永く、一緒にいて欲しいと思う。やはり自分たちは舎弟であって、千代子のような振る舞いを司には出来ない。たとえ司が自分たち舎弟を家族と同等に扱ってくれていても――彼の持つ才能は特殊だった。
飼う者、飼われる者の圧倒的な差を松戸も芝山もよく分かっている。
「あーもー芝山さん昼間なんだから一杯だけっすよ。まだ仕事あるし」
「ちよちゃんはどうする?」
「では私も一杯だけ頂きます」
司の何気ない『ちよちゃん』呼びに松戸は既に限界が訪れてしまう。あの司が、パートナーの女性を愛称で恥ずかしげも無く呼んでいる。
俺もうお腹痛いんですけど、と千代子がいる前なので言わなかったがいちゃついている訳ではなくとも、とても仲が良さそうにしている二人の姿は眺めているだけで松戸の腹はいっぱいになりそうだった。今からコース料理なのに。
それから暫く、食事を楽しみながら千代子が司の事について非常に興味深い事を言うものだから松戸は吹き出しそうになってロクに食事が喉を通らず、芝山はその都度、感激しきりだった。
「若……本当に良い御嬢さんを迎えになって俺は、俺はもうこのまま引退したいくらいです」
「それは困るんだが」
「芝山さん隠居しちゃったら誰がこんな気難しい人の付き人するンすか」
「松、お前が死ぬまでお二人を支えて」
「話の展開が随分飛んでるなー」
馴れた言葉のやり取りに可笑しそうに笑う千代子につられて司も笑う。
今日の千代子は都内に出て来ていたついでにこの後、買い物をしてから帰ると言っていた。そしてデザートを終えたあたりで「お化粧を」と化粧室に立つ。
それならそろそろ千代子の移動の為のタクシーの手配を、と司が思っていれば食後の緑茶と入れ替えようと給仕係がワイングラスを下げに来る。
その時、カチリと鋭い音が一つ上がった。
グラスを盆に乗せようとした際に手が滑ったのか、先に回収されていた司のグラスのボウル部分と今、回収された方のグラスの薄いリムの部分がかち合ってしまい――千代子が使っていたグラスが大きく欠けてしまった。
すぐにこの料亭の持ち主、本家今川組の若頭である司に破片が跳ねたり、怪我は無かったかと真っ青な顔色をして問う給仕係に「大丈夫だよ」と声を掛けるがその司の表情が曇ったのは確かだった。
極道者は縁起を担ぐ。
しかしそれは古い習慣、新しい時代をゆく司は形式だけは場に合わせる程度に踏襲し、そこまで深くは気にしていなかったが芝山と松戸も割れたのが千代子のグラスだったのをしっかりと見ていた為に掛ける言葉を選ぶのに手間取ってしまっていた。
軽く化粧を直し、クラッチバッグを手に化粧室から出て来た千代子はふ、と視線を下げる。
料亭の広い廊下の先で少し“あちらの方”かな、と思うような風体の男性客二人とそれに付き従う平身低頭の客室係が視界に入ったからだ。千代子も司たちを待たせてしまっているのでそのまま、なるべく気配を消すようにそそくさと少し入り組んだ奥の客室へと戻ってゆく。
すると二人の内の特に大柄な男の一人が眉を顰めて千代子が向かっていった方を見てから頭を下げている客室係を見下ろす。
「今のオンナ……一等室に行っただろ」
「いえ、あの」
「誰が来ている。御隠居か?肺をやってから大人しいと思っていたが」
それとも。
男の顔が自分の考えた可能性に俄かに歪む。
「御長男の方が来ているのか」