千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
「いけません、こんな安い挑発……ここは連合本部、あなたは次期」
芝山の手には今にも目の前の男に殴りかかろうとした司のあまりにも危険な怒気が伝わる。だがここで暴力沙汰を起こしては順調に進められていた先人たちの筋書き、そして司の細やかながらも強い望みが破れてしまう。
なりません、と芝山の渾身の力による痛みが司を正気に戻してもなお、薫は畳み掛けるように司に言葉を続ける。
「ほら、お前もやっぱりオレと同じだ。その凶暴性をひた隠しにしてんのかスかした顔しやがって……あーあ、この際どんなオンナでもいい。俺と朝まで遊んでくれねえかなあ。地味な女でもひん剥いたら案外イイ体でもしてんのか?それともお前すら手放す事ができねえくらいにナカの具合が……」
下卑た挑発。それと相反する純粋な怒りに支配される空間。
司の怒りを抑えていた芝山すらも薫の挑発に冷静さを欠きそうになる。自分の主人たる司が大切にしている小倉千代子と言う優しい女性に対し、なんと言う侮辱。
「兄貴~そろそろ幹部会始まるそうッスよ~」
もうこんな廊下で二人とも『分家さん』と何やってるンすか、と松戸の声が司と芝山の背に掛けられる。それと同時に薫たちにも他の構成員から声が掛かった。
「松、今すぐに若の端末をお預かりして御嬢……千代子さんがどこにいるかを追え。必要だったら車はそのまま使って良い」
「あー……っと?」
「千代子さんが拐われたかもしれない。確認するまでは分からないが俺は若と……若、ここは一先ず松に任せておけ、ば」
司の瞳には、一縷の光も無かった。
四人で昼食を共にした時の一人の男として、千代子に接していた時のあの嬉しそうな瞳に宿っていた光が、暗い闇に飲み込まれている。
それは怒りを越えた静寂。
司の持つ真髄、研ぎあげられた刃のような冷えた、恐ろしさすらある……ひと睨みで屈服させられてしまうような鋭い絶対的支配者の瞳がそこにあった。
彼の持つ血の前に、言葉など必要なかった。
・・・
議場の円卓に座している本家今川組の組長の後ろに立ち、控えている司の異様な雰囲気に他の直系組長や随伴している若頭達が互いに耳打ちをしている。
普段は好青年、実業家としての印象が強い司が一切の表情を無くし、まるで人形のように立っている。そして彼の実父はこの場に訪れていなかった。
これから先の人事、司が義父の持つ本部若頭の地位の代行となる事――次期連合五代目は司なのだと暗に言い渡す四代目会長の言葉に司は承諾し、頭を下げはしたが当然のように納得の行かない武闘派の者達が騒ぎ出す。
それすら……ゆっくりと顔を上げた司の耳には届いていないようだった。
何ものにも、反応していない。
幾つかの通達を出した後に解散、と議場から退室して行く会長の中津川に再び頭を下げている司に「なあ」と進が話し掛ける。
「司、お前は強い人間だ」
幹部会が始まる前、咳き込んでしまったせいで酷くざらついた義父の声。廊下で内容は分からずとも一悶着あった事は瞬く間に噂にはなっていた。どうにか止めてくれた芝山のおかげもあり、手を出さなかった司は「私の父が……薫従兄さんの側にある、と言うのは本当ですか」と進に問う。