千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
「なあ司、廊下で何があった。薫の挑発なんざお前は」
「私のパートナーが、薫従兄さんに拐われたようです」
「お前ッ、何ですぐに言わなかったんだ!!こんな場所に出てる場合じゃ……兄弟や組長連中には俺から説明すりゃどうとでも」
「親父……私は、殺意と言う物を今まで数回、感じてきました。やはり末の者だとしても今川の血。父も、そうであったんですか」
静かに問う司の淡々とした抑揚のない声。
「ああ、お前の親父も……自分の暴力に沸く血を忌み嫌っていたよ。だがよ、それは」
「そうですか……」
それだけでも知れて、良かったです。
覇気のない司の声。
ゆっくりと立ち上がろうとする義父の背を支える事はしたがそれ以上、言葉は無い。
司から実父の修がどのような人間だったのか、過去にも問われた事があったがその時はどうしてだろうか、進ははぐらかしてしまった。それは司が本当の息子のように可愛く、手放せなかったからか……それとも、その血を弟のように呪い続ける道を歩ませたくなかったからか。
随分と弱ってしまった自分の背を支える司の手を借りて義父は席から立つ。
「親っさん、若」
「おお芝。どうだ、御嬢さんが薫に拐われたと」
「その件なんですが」
革靴の底が絨毯の上だと言うのに音が立つ程に早足でやって来た芝山の声は酷く焦りはしていたが怒気を含めていた時とは些か様子が違っていた。
低く、ひそめるように芝山は司とその義父だけに聞こえるよう口元を手で覆い隠し、耳打ちをする。
「芝、間違いねえんだろうな」
「今川薫の命令で拐われたのは事実だったようですが身柄は……ここに」
今、千代子はこの場所にいる。
持たせてあるセキュリティタグもちょうどこの建物の真上を指しており、確認し始めてから動いてもいない。持ち物のバッグだけそこにあるのか、それともちゃんと本人がその場に居るのか定かでは無かったが――総会が始まってすぐ、会議場には入れない身分の松戸と芝山は会長付きの本部構成員に半ば強引に別室に通され、事のあらましを聞かされていた。
「木を隠すなら森……と言うんでしょうか。やはり若」
芝山は言う。
あなたの御父上も噂にたがわぬ強い方だ、と。
未だに眉を寄せた渋い表情ではあったがとにかく千代子は無事であり、今はこの建物内で“一番安全な場所”に匿われているらしいと告げる芝山の言葉を最後まで聞かず……司は会議場から飛び出して行ってしまった。
こんな場所で一番安全な場所など、一つしかない。
会長室の扉が開かれる。
部屋の中央、真っ黒な革張りのソファーに座っている若い女性に四代目会長である中津川は「もう少ししたら来るだろうからゆっくりしているといい」と部下に淹れ直させた茶と茶菓子を勧めながら言葉を掛ける。
こんな暴力団組織の本部にはまるで不釣り合いな“ちょっとそこまで買い物に”の夏の装いの女性――千代子は「はい」と小さく返事をして目の前に座っているまた別の男を見る。その人物はどこか、司の面影を感じる細身の男性。
千代子の子供の頃の記憶の中ではまだ、若かった人。