千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~


 女性が支度をする、と言うのを司はよく分かっているらしい。
 もしかして相当慣れている?と疑ってしまいつつも問われている内容へ『好きです』と返事をしようとした所でいい歳をしていながらもそのたったの四文字の入力に千代子は一人、気恥ずかしくなってしまった。
 当時の、青年になったばかりの司の面影がどうしても脳裏にちらついて――好きです、と言えなかった、言わなかった幼い過去がよみがえる。

 そのメッセージへの返信に既読は付いたが仕事に戻ってしまったのか司からの返信はなく、千代子もそこまで気にせずに残り一個のおにぎりを頬張る。不振ぎみになっていた食欲も少しずつ戻って来ていたがやはり食事を抜きがちな不摂生さは否めなく、中くらいのおにぎりを三つも食べられた今日の自分を褒めたくなる。

 五月が始まろうとしている爽やかな青い匂いの風と、明るい日差しが降り注ぐ良く晴れた日の公園の一画。思いつめて強張りがちになっていた表情を千代子は緩める。

 少し寂しそうな、それでも穏やかな横顔がそこにはあった。

・・・

 それを司はスマートフォン越しに眺めていた。
 正確には送られてきた幾つかの画像の一枚。今はおにぎりを食べ終えて芝生の上に敷いたラグの上で足を伸ばして座りながら手元をしげしげと眺めている千代子の姿が写っている画像が表示されている。

 ふ、と息をつく司は心のどこかでずっと探し続けていた人が今、自らの手のひらの中の画面に納まっている事実と食事へ誘う口実を取り付けたその喜びを静かに隠す。
 スリープにしたスマートフォンを裏返し、ぱたりと大きなデスクの上に置いて前を見据える。

「業務拡大、か」
「ええ、どうか……司さんには俺らのシノギも考えて頂きたく。このままでは衰退していくばかりで」

 平身低頭にしている自分よりも年上の男に司は鋭さのある言葉を向ける。

「法の内とは言え高利貸……あまり気は進まない」
「そこをどうか。今は“本家今川組”の傘下と言えども元は司さんの御父上……“俺たちの組長”がお持ちになっていた数少ない事業です。俺たちは本家に移ってしまった司さんの為にも絶やしちゃいけねえと必死に守って来たんです」
「私の為、に……?」

 昨日、千代子に掛けた明るい声色も無くつまらなさそうな表情の司の態度は淡々としていた。
 革張りのビジネスチェアに背を軽く凭れさせた司は自分のデスクの前で屈み、軽く曲げた膝の左右にそれぞれ手を付いて独特な様相で頭を下げている四十代後半の男の姿を見ていたが次第に興味を失い、デスクの上にあった書類の方に視線をずらす。

「検討しておく」
「本当ですか!!」
「あまり期待はしないでくれ。それと……法に触れるような取り立てはしていないだろうな」
「え、ええ。それはもちろん。そこは司さんの言い付け通り」

 それならいい、と静かに言った司の言葉はもう下がれ、の意味だった。
 そしてその男の背後にある来客用の二脚のソファーの片側に座り、二人の問答の様子を伺っていた司とあまり変わらない年齢のスーツ姿の男が頃合いを見計らって立ち上がる。

「それで兄貴、この部分なんスけど……」

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