千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
結局その後、ブランドショップをもう一件見て回った昼のあたりで千代子が明らかにくたびれているのが目に見えて分かり、司もそこまで急かすつもりもなかったので家に帰ったらまたゆっくり選ぼう、と言う事になった。
他に寄りたい所はある?と聞かれて殆ど司にエスコートをされるがままでのデートではあったのだが千代子には実は一つ、行きたい場所があった。
「パンケーキが、食べたくて……あの、お食事も出来る所なのでそこでお昼にしませんか」
家でも十分、美味しいパンケーキやホットケーキを焼いているが千代子のちょっとした趣味の探求心にも「じゃあ行こうか」と司は難なく付き合う。千代子が自分から何かしたい、と言い出してくれる事が純粋に嬉しかったのだ。
思い返してみても再会したばかりの時の千代子はやはり表情が硬く、ひとりぼっちで心の内との折り合いをどうにかつけようと……思い悩んでいる疲労の表情は確かに、隠しきれていなかった。ぼろぼろと大粒の涙をこぼして打ち明けてくれた時から、今はどれくらい癒えたのだろうか。
「生クリームがこう、すごく乗ってるやつなんですけど甘すぎなくて」
説明をしながら恥ずかしそうに笑っている顔が眩しいくらいに輝いていて。
司の目から見た千代子の表情はよく変わるようになって、今では遠慮せずに素直に気持ちを伝えてくれる事が何よりも嬉しかった。
「司さん」
二人だけで外食をするのはこれで二回目。
以前、司がベッドの中で話をしてくれたように……食後のコーヒーを味わいながら千代子も自分が今、考えている事をゆっくりとしたテンポでひとつひとつ、伝える。
「今日、こうしてお出掛けできたのが本当にうれしくて……そろそろ秋のバラが見頃なんです。だから、また」
千代子が一人でピクニックをした春先から季節は変わり、今は二人。
「今度のお休みはお弁当を持って、公園に行きませんか?」
美しい風景を共有したい。
写真ではなくて、二人だけの記憶として残したい。
小さい時に憧れだった人と今は一緒に住んで、互いに向き合って話を交わせる日々。時に感情を溢れさせてしまっても、それを汲んでくれる優しい司に千代子も焦らず、自分が出来る範囲で丁寧に暮らしを整えていた。
独り善がりの我が儘かもしれない、と思い悩んでしまう前に気持ちを伝えられるようになったのは何事も真摯に受け止めてくれる司のお陰だった。
そんな完璧そうに見える司にも弱い部分や強い感情があった事をすでに聞いている。
それに疲れていると朝食は甘さのないパンケーキからほんのり甘い方のホットケーキになるし、アイスコーヒーに牛乳とガムシロップを入れて甘いカフェオレにしているのも千代子は知っていた。
毎日が新鮮、とまでは行かないけれど朝に「行ってらっしゃい」と送り出し、仕事から帰って来た司を出迎えて「お帰りなさい」が言える安心感と心地よさは変わらずいつも感じている。
千代子からのピクニックの提案にこにこと笑っている司は「それなら今度こそ何かお弁当のリクエストをしようかな」と考えを巡らせ、そんな彼の姿に千代子も「何でも作りますよ」と嬉しそうに笑い合う。
・・・
夏が終わり、秋の風が軽く千代子の髪を揺らす。
後れ毛を気にする左手の薬指にはあれから二人で決めたシンプルなペアリングが嵌められていた。
それは派手では無かったが二人の穏やかな生活を物語っているかのような物――ブランド物以外にも、と千代子が見つけたアクセサリー工房で二人で作って来た物だった。完璧な姿形はしていないがその自然な丸い形を千代子はとても気に入っていた。
今日はもう二回目のピクニック。
持ってきていたお弁当も食べ終わり、お茶をしながら足を崩して座っていた千代子の足元には珍しく横になっている司がいた。
「寝ちゃった……?」
疲れているなら言ってくれればいいのに、と思いながら何か掛ける物を、とその整った寝顔を覗き込んでいた千代子。
眠りが浅かったのか、はたまた狸寝入りだったのか小さな声と気配に司が千代子を見上げる。
「ちよちゃん、綺麗だね」
いきなり何を、と千代子は自分の膝に掛けていたブランケットを司に掛けようとして手を止め……思い出す。疲れている時や寝起きから間もない時の彼の口はわりと緩く、時にとんでもない事を口走る傾向があった。
一緒に暮らせたらいいのに、と言ってくれた日もそう。
いつも優しい司の隠している本音がほろりと千代子に落とされる。
気を、許してくれているのだと思った。
普段は隙など見せてくれない完璧な人にもこんな緩やかな休息の時間は必要で、千代子は「このままだと風邪引いちゃいますから、お家に帰ってからお昼寝しましょう」と提案する。
「一緒に寝てくれる?」
「もう……」
困り顔の千代子を見上げたまま司が笑っている。
一緒に、について拒否をしなかった千代子。司はあっと言う間に荷物をひとまとめにしてそのほとんどを持ってしまい、手持ち無沙汰になってしまった千代子へさらに左手を差し出す。
その薬指には勿論、きらりと光るお揃いの丸い親愛の形が一つ。
手を繋ぐ行為に対し未だ恥ずかしそうにする千代子だったがその大きな手をしっかりと握って歩き出せば司もその温かい手を握り返す。
秋の深くなる公園を千代子と並んで歩く心地よさと色づき始める街路樹の淡い黄色の色合いに司は目を細めた。
「もう秋なんだね」
出会ったのは春だった。
まだ、一年も経っていない。
「食欲の秋ですね」
大真面目に言う千代子。
彼女らしいその素朴さがなによりも愛しく、秋はどんな料理を作ってくれるのだろうと司は考える。
手を繋ぎ、二人並んで歩く仲睦まじい光景。
千代子は口元をほころばせて秋の味覚と自分が作ってみたい物を司に話し出せば聞いていてくれるその優しさに少し甘えるように体を寄せる。
ずっとこのまま、こうして二人でいられますように、とまるで祈るようにきゅ、と司の指先を握れば何か感じ取ったのか司もまた深く握り直してくれる。
そんな司の行動にちら、と上目遣いで見上げた千代子は司と目が合ってしまった。
「ふふっ」
気恥ずかしそうに笑って歩く千代子と司。
繋いだ手を互いに離さないように、二人はそっと寄り添いながら秋の日差しが輝く道を歩いて行く。
本編 おしまい。