千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~


 翌日、千代子はパタパタと小さくルームシューズを鳴らしながら出掛ける支度をしていた。司の一人暮らし時代、千代子と暮らす以前は外食か仕出し弁当ばかりでほとんど調理作業をすることがなかったキッチン。使うのは冷蔵庫とオーブンレンジーーとは言え電子レンジ機能しか使わなかったキッチン家電も今は炊飯器とトースターが増え、使いやすいように並んでいた。
 トースターは千代子が元から持っていた物で、昨今人気のトーストが美味しく焼ける機種。

 在宅仕事が無い今日。朝から掃除を済ませ、キッチンの奥に鎮座している冷蔵庫の中身を確認してから玄関に向かった千代子はシューズボックスに並んでいる真新しいパンプスを手にする。
 以前、司とデートした際に買った……プレゼントして貰ったデイリーで使える履きやすいプレーンパンプス。すごく高い物ではないけれど、足にフィットするそれは千代子のお気に入りになっていた。

 こつ、と小さな靴音。
 これを履くとなんだかお姫様になった気分になって、千代子自身も「子供じゃあるまいし」と思ってはいたが嬉しいものは嬉しくて。
 今の穏やかな生活は、自分の心を癒してくれて……もうそれだけで十分だと言うのに、司は忙しい合間を縫って相手をしてくれている。

(あの時、司さんの方から一緒に住みたいって言ってくれて……)

 馴れた道、軽快に進むヒールの足取り。
 思いがけず再会をしてからあっという間だった。ハウスキーパーの仕事として部屋を訪れていた時、疲れていた司から本音がこぼれてしまった日の事を千代子は思い返してふふ、と淡い色の口紅が塗られた口もとは柔らかくほころぶ。あれから時間は少し経って、体も心にも確かな平穏が訪れていた。

 すべて、優しい司のお陰。
 だから週末は美味しい物を沢山作って、それで司には。

 お気に入りのパンプスを履いて駅まで歩き、電車に乗って……目当てのデパートのオーガニックブランドのショップで欲しい物を見つけた千代子。そして軽快な足取りそのままに、またしても吸い込まれるように地下の食品スイーツフロアへと降りて行ってしまう。

 自分の傷んだ心や体を手当てするように作っていた食事も、今は相手の体調を思いやる調理に変わっていた。今日のように足を伸ばして出掛けた千代子が買って帰るお惣菜なども司は何事もなく食べてくれる。それにたとえ司の帰りが遅く、千代子が先に眠ってしまってすれ違いの日が続いていても冷蔵庫の中に用意してある軽食で通じ合えているようで……心地よかった。

 今日はひと品だけ買おう、と心に決めながらも作る事も好きな千代子にとってデパートの地下フロアは非常に魅惑的な場所であり――結局は三色おこわの詰め合わせ、期間限定出店をしているパン屋さんのクルミとレーズンが練り込まれたカンパーニュとドイツソーセージの詰め合わせを買ってしまう。そんな自らの意思の弱さにしょぼしょぼしながらもどうやって食事に出そうかな、と帰る道すがらに考える。

 どんな物でも、二人で食べると美味しい。
 買ってしまったもののパンもソーセージも日持ちがするので週末はそれを中心にゆっくりランチをしてそれで、夜は。

 途端にポッと頬に熱を持つ千代子はもう見慣れた筈の司の素肌を想像してしまい……今更ながら、先ほど購入した物を使って自分は本当に司に“してあげられるのか”どうか、迷いが生じる。
 何事も完璧な司に対してやっと思い付き、その勢いでデパートまで買いに出て来てしまったけれど『マッサージジェル』とはつまりそう、彼の素肌に直に触れると言う事だった。

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