千代子と司 ～スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる～

　千代子の口から「オーバーワーク気味です」と言われた司は確かに少し自覚をしていたが一緒に暮らすようになった千代子に面と向かって言われ、またしても彼女の口から心配ごとを言わせてしまった、と少し悩みながらも週末の朝を迎える。

　昨夜は食事会があった為に帰りが遅くなってしまった。
　接待、付き合いでの食事も多く……一緒に暮らせたら、と言い出したのは自分だと言うのに広い部屋に千代子を一人で置いておくのは心苦しかった。

　それでも司の左手の薬指に填まっている千代子とお揃いの素朴な金色の丸い形の存在は、拙いながらも心の内を話してくれるようになった彼女の声を思い起こさせる。大丈夫ですよ、と言ってくれるその声はいつも優しくて、ほんのり甘くて。

「おはよう」

　キッチンで朝から何か支度をしていた千代子に朝の挨拶。これはもうずっと欠かしていない。

「おはようございます」

　まだちょっとよそよそしいと言うか、そこまで年齢は離れていなくても千代子は丁寧な言葉づかいを選んでいた。

「今日はゆっくりしましょう」

　ね、と優しく笑ってくれるパートナーの存在の有り難さ。

「私も今日はそのつもりで昨日、食事会の前にデパートに寄ってワインを買って来たから昼から開けよっか」

　司の提案に頷きながら千代子は頭の中で昨日買って来たクルミとレーズンのカンパーニュにフレッシュなチーズでも、と思うが生憎冷蔵庫には普通のナチュラルチーズだけ。それでも良いんだけど、といつも欠かしたことの無い牛乳の存在を思い出す。
　ホットケーキやパンケーキを頻繁に焼く為に必ず買い置きがしてある牛乳。それにレモン汁も冷蔵庫に入っている。

　それだけ揃っていればカッテージチーズが作れるので時間もある事だし、と色々と考えを巡らせる。

「今、ワインに合いそうなレシピを考えてた？」

　どうして分かったの、と驚いて目を丸くさせている千代子と笑っている司。
　一緒に暮らしていれば、と言うよりもそれは司の特技に近い物がある。元から持っていた鋭い洞察力は今でも日々、企業経営者として鍛えられているせいか何か考え事をしている時の千代子の仕草など、自然と覚えてしまっていた。

「私も手伝うよ」
「あ、それなら今考えていた事を……えーっとですね」

　スマートフォンを取り出した千代子はカッテージチーズの作り方を検索して司に必要量を伝え、ごく簡単な手順の作り方を教える。


　その日は司も書斎に籠ったり仕事などはせず、普段は千代子に任せている調理や掃除、洗濯を手伝って近所のスーパーへ二人でお散歩がてら歩いて買い物に行ってきた。
　一人暮らしをしていた時の司はほとんどが外食、あるいは芝山が手配してくれた仕出しやコンビニの既製品。作れない事も無かったが忙しい身。結局はおろそかになっていて買い物だって……部屋には寝に帰るような生活で生活用品の減りも少なかった。

　スーパーで買い物をしている最中、隣でメモ用紙を手に順序良くカゴに商品を入れて行く千代子の姿を司は見ていた。
　そんな当たり前の姿でも司にとっては新鮮で、夢にまで見たようなこの生活を大切にしたいと改めて思う。
　重いミネラルウォーターや洗剤などは通販でまとめて届くようにしているのでこまごまとした物が中心ではあったが大人二人が清潔に、快適に過ごす為とは言え買い物の内容に千代子の負担が大きい事を知ってしまう。

　出来高払いの在宅勤務とは言え、千代子も仕事をしている。松戸と相談をして最近、仕事量を増やしたそうで……それでも責任感の強い千代子は仕事と家事を変わらずにきっちり両立している。けれどつい数ヵ月前まで心も体も酷く疲れてしまっていた彼女に無理はさせたくなかった。

　どうしても思い出してしまうのだ。
　初めて心の内側を教えてくれた日のことを。

　大粒の涙をこぼしながら必死に見えない何かと葛藤していた千代子。折り合いが上手く付けられないのは誰だってそう……みんながみんな、器用じゃない、と。
　それは司自身もよく分かっていた。