私の人生は私のものです
1 私と結婚した理由 1
旦那様の仕事は領地管理がメインになっている。
といっても、その多くは義母がやっているようなので、旦那様が何をしているかは正確にはわかっていない。
こんなことを言ってはなんだが、オルドリン伯爵家は同国の伯爵位の中では弱小で領地も狭い。
だから、視察といっても日帰りで帰ろうと思えば帰れるほどのものだ。
それなのに旦那様は、初夜の晩に「明日から領地の視察に出かけないといけないんだ。だから、今日はごめん。眠らせてもらうよ」と言って、私に背を向けた。
仕事に支障が出てはいけない。
そう思った私は、彼の隣で眠れるだけでも幸せだと思うことにして、その日は眠りについた。
最初は旦那様は仕事に熱心な素敵な方なのだと思っていた。
でも、日が経つにつれて、その考えは変わっていった。
視察に行くと言って短くても十日近く帰ってこないし、帰って来る度に「疲れているんだ」「明日の朝から用事があるんだ」などといって、私と会話をすることさえも拒んだ。
旦那様は忙しいんだもの。
仕方がないわ。
そう思うようにした。
でも、わだかまりがあってもいけないと思い、伝えないといけないことは伝えてきたつもりだった。
「サブリナ、悪いんだけど明日から、領地の視察に行くことになったんだ。今日は早い内に眠ることにするよ」
「また、ですか」
朝食時、気が緩んでいたせいか、つい、本音を口に出してしまった。
三十人が一度に会食できる長テーブルがあるダイニングルームで、家族揃って食事をするのが、この家のルールだ。
旦那様の向かい側が私で、旦那様の右隣が義母、左隣には義姉というのが定位置になっている。
義父は数年前に亡くなっていて、伯爵の爵位は、その時に旦那様が継いでいた。
「何か不満があるのかな?」
「不満といいますか、その、気になることはあります」
「サブリナさん、アキームは仕事で忙しいのよ。あなたは屋敷で何もしていないんだから、文句を言うのはやめなさい」
「……申し訳ございません」
伯爵夫人として仕事をしたいと申し出ると「わたしの仕事を奪うつもりなの!? 性格の悪い嫁だわ!」と義母に何度か怒られている。
だから、手伝いたいと言い直したら、一人でできると言って手伝わせてもくれない。
旦那様がいない時は、会話をすることさえも嫌がられる時がある。
どうせ結果が目に見えているのだからと言うことをやめたらやめたで、仕事をしないと言ってくるし、何が正解なのかわからない。
空の色のような綺麗な青い瞳に、くせのあるダークブラウンの髪を持つ旦那様は三十歳という実年齢よりも、かなり若く見える。
彼の妻である私は、整えても毛の先が跳ねてしまう腰まであるグレーの髪に、髪と同じ色の瞳、痩せ気味体型で、自分に自信がないからか猫背になってしまう時がある。
はつらととした旦那様に比べて、私は人に不快感を覚えさせる外見らしい。
昔は、この地味な見た目のせいでいじめられていたが、とある伯爵令嬢が一番酷かった。
彼女のことを思い出すだけで、悔しさと傷ついた痛みで涙が出そうになる。
ただでさえ、行動にイライラすると言われていたところに、外見も気に食わないと言われ、その令嬢が他の人間にもいじめをするようにけしかけていた。
そのこともあって、私に友達はいない。
だから、旦那様に助けてもらった時、いとも簡単に恋に落ちてしまったのだと、今となっては理解できる。
旦那様は未だに私のことを子供扱いしていて、一人では生きていけないと思っている。
でも、昔の私とは違う。
この家に来て義母や義姉から嫌なことを言われ続け、かなり、精神が鍛えられた。
逃げてばかりの私は嫌いだ。
だから、何とか状況を打破しようと考えていた。
まずは、この領地の視察をどうにかしようと考えて、大きく深呼吸をすると旦那様が話しかけてくる。
「そんなに悲しそうな顔をしないでくれよ。ちゃんと帰ってくるからさ」
旦那様は立ち上がると、私の所までやって来て、優しく私の頬に触れた。
「安心して待っていてくれ」
「それは帰ってきますわよね。お義母様とお義姉様が待っていますものね」
投げやりな口調で言うと、旦那様は苦笑する。
「サブリナだって待っていてくれるのだろう? 大丈夫だよ。なんてことはない。いつもの視察だから」
「……私もご一緒することは可能でしょうか」
視察、視察と言うだけで、どんなことをしているかは一切、教えてくれない。
私に言ってもわからないと言うのだ。
なら、一緒に行けばわかるかもしれない。
そう思って言ってみたのだけど無駄だった。
「視察先には貴族が泊まれるような宿屋がないんだ。平民が泊まるような宿だよ。そんな所に君を泊まらせるわけにはいかないだろ」
「旦那様が一緒なら、どんな場所であっても苦にはなりません。それに、伯爵夫人として領民の生活がどんなものなのかも知りたいんです」
「サブリナ、頼むから、そんな駄々をこねないでくれよ。もう子供じゃないだろう」
「それはそうかもしれませんが、このまま、何もせずに毎日を過ごすなんて落ち着かないんです。私も何かしたいんです!」
「貴族の妻は家にいることが仕事だよ」
「夫人としてしなければならないことができておりません」
「そうなのか?」
前々から伝えているのに、旦那様は初めて聞いたような顔をする。
私の話をちゃんと聞く気はないのでしょうか。
「サブリナさん。あなた、何が不満だと言うの? あなたみたいな人間を妻にしてくれる人なんてアキームしかいないのよ?」
義姉のトノアーニ様は不満そうな口調で言うと、肩をすくめた。
あなたみたいなというのは、どういうことなのでしょうか。
そんな疑問が浮かんだ時、義母のエレファーナ様が教えてくれる。
「社交場で同じ学園の男子生徒にいじめられているところをアキームに助けてもらったんでしょう? いじめられるだなんて、あなたの人間性がおかしいからだと、トノアーニは言いたいんだと思うわ」
過去にいじめられていたからって、人間性まで否定されるのは違う。
大体、いじめるほうも悪いのよ。気に入らないなら、関わらないようにしてくれれば良いだけなのに!
「お言葉ですが、人間性の話をするのであれば、人を傷つける行為をする人間のほうがおかしいと思います」
「生意気な口を利かないで。そういうところが駄目だと言っているの。目上の人間に口答えするだなんてありえないことよ。あなたのお父様には連絡を入れておきますから」
最悪だわ。
私と旦那様の結婚は親が決めたものである。婚約を決めたのは義母と私のお父様だ
私のことが嫌いなら、どうして婚約者にしたのか理由がわからない。
――いや、嫌いだから、わざと婚約者にしたのかもしれないわ。
私と両親は仲が良くない。
父は私のことが嫌いだし、母は父の顔色を窺ってばかりで、私の味方をしてくれたことは一度もない。
学園でのいじめが酷くて相談した時も、いじめられる私が悪いで終わってしまったくらいだ。
今回も一方的にエレファーナ様の話だけ聞いて、数日後にカフェに呼び出され、罵声を浴びせられるのでしょう。
『全てお前が悪いのだ』
それが、父の常套句だもの。
両親にさえ嫌われているのだから、義母が私のことを好きではないのも当たり前と言っていいかもしれない。
だって、彼女は必要以上に人に攻撃するタイプの人間だから。
旦那様は美丈夫で、彼に憧れる人は多くいた。
それなのに、婚約者が中々決まらなかったのは、義姉や義母が原因だった。
二人は旦那様のことを溺愛していて婚約者ができるたびに、その人に陰湿な行為を繰り返していたと聞いている。
しかも、彼女たちが旦那様の婚約者として選んでいたのは、嫌なことをされても言い返すことのない大人しい女性ばかりだった。
その噂は社交界で知れ渡り、旦那様の婚約者になりたがる人はいなかった。
それを知っていて、お父様は私を彼の婚約者にした。
嫁いだのは私の意思だから、それに文句を言うつもりはない。
でも、普通の親なら止めるべきところであると思う。
お父様は入り婿で何か気に入らないことがあれば、お母様に「結婚してやったんだから言うことを聞け」と怒鳴り散らしていた。
赤ちゃんや小さな子供の甲高い泣き声が嫌いで「泣き声もうるさいし、女は跡継ぎにはなれないからいらない」と言って、知らない場所に置き去りにされたこともあった。
あの家から出られて、大好きな旦那さまと一緒にいられるなんて幸せだと思っていたのに、旦那様は出かけてばかりで、ほとんど屋敷にいない。
しかも、私のことを疎ましく思っているかもしれない――
「サブリナ、実家に帰るだなんて馬鹿なことは考えないでおくれよ」
実家に帰るだなんてありえないことは、私の話を聞いてくれていたらわかっているはずだ。
やっぱり、旦那様は私の話をちゃんと聞いてくれていないのね。
「サブリナ、視察から帰ってきたら、今度こそ、どこかへ一緒に出かけようね」
「……わかりました」
頷いた私を見た旦那様は満足そうに微笑んだ。
といっても、その多くは義母がやっているようなので、旦那様が何をしているかは正確にはわかっていない。
こんなことを言ってはなんだが、オルドリン伯爵家は同国の伯爵位の中では弱小で領地も狭い。
だから、視察といっても日帰りで帰ろうと思えば帰れるほどのものだ。
それなのに旦那様は、初夜の晩に「明日から領地の視察に出かけないといけないんだ。だから、今日はごめん。眠らせてもらうよ」と言って、私に背を向けた。
仕事に支障が出てはいけない。
そう思った私は、彼の隣で眠れるだけでも幸せだと思うことにして、その日は眠りについた。
最初は旦那様は仕事に熱心な素敵な方なのだと思っていた。
でも、日が経つにつれて、その考えは変わっていった。
視察に行くと言って短くても十日近く帰ってこないし、帰って来る度に「疲れているんだ」「明日の朝から用事があるんだ」などといって、私と会話をすることさえも拒んだ。
旦那様は忙しいんだもの。
仕方がないわ。
そう思うようにした。
でも、わだかまりがあってもいけないと思い、伝えないといけないことは伝えてきたつもりだった。
「サブリナ、悪いんだけど明日から、領地の視察に行くことになったんだ。今日は早い内に眠ることにするよ」
「また、ですか」
朝食時、気が緩んでいたせいか、つい、本音を口に出してしまった。
三十人が一度に会食できる長テーブルがあるダイニングルームで、家族揃って食事をするのが、この家のルールだ。
旦那様の向かい側が私で、旦那様の右隣が義母、左隣には義姉というのが定位置になっている。
義父は数年前に亡くなっていて、伯爵の爵位は、その時に旦那様が継いでいた。
「何か不満があるのかな?」
「不満といいますか、その、気になることはあります」
「サブリナさん、アキームは仕事で忙しいのよ。あなたは屋敷で何もしていないんだから、文句を言うのはやめなさい」
「……申し訳ございません」
伯爵夫人として仕事をしたいと申し出ると「わたしの仕事を奪うつもりなの!? 性格の悪い嫁だわ!」と義母に何度か怒られている。
だから、手伝いたいと言い直したら、一人でできると言って手伝わせてもくれない。
旦那様がいない時は、会話をすることさえも嫌がられる時がある。
どうせ結果が目に見えているのだからと言うことをやめたらやめたで、仕事をしないと言ってくるし、何が正解なのかわからない。
空の色のような綺麗な青い瞳に、くせのあるダークブラウンの髪を持つ旦那様は三十歳という実年齢よりも、かなり若く見える。
彼の妻である私は、整えても毛の先が跳ねてしまう腰まであるグレーの髪に、髪と同じ色の瞳、痩せ気味体型で、自分に自信がないからか猫背になってしまう時がある。
はつらととした旦那様に比べて、私は人に不快感を覚えさせる外見らしい。
昔は、この地味な見た目のせいでいじめられていたが、とある伯爵令嬢が一番酷かった。
彼女のことを思い出すだけで、悔しさと傷ついた痛みで涙が出そうになる。
ただでさえ、行動にイライラすると言われていたところに、外見も気に食わないと言われ、その令嬢が他の人間にもいじめをするようにけしかけていた。
そのこともあって、私に友達はいない。
だから、旦那様に助けてもらった時、いとも簡単に恋に落ちてしまったのだと、今となっては理解できる。
旦那様は未だに私のことを子供扱いしていて、一人では生きていけないと思っている。
でも、昔の私とは違う。
この家に来て義母や義姉から嫌なことを言われ続け、かなり、精神が鍛えられた。
逃げてばかりの私は嫌いだ。
だから、何とか状況を打破しようと考えていた。
まずは、この領地の視察をどうにかしようと考えて、大きく深呼吸をすると旦那様が話しかけてくる。
「そんなに悲しそうな顔をしないでくれよ。ちゃんと帰ってくるからさ」
旦那様は立ち上がると、私の所までやって来て、優しく私の頬に触れた。
「安心して待っていてくれ」
「それは帰ってきますわよね。お義母様とお義姉様が待っていますものね」
投げやりな口調で言うと、旦那様は苦笑する。
「サブリナだって待っていてくれるのだろう? 大丈夫だよ。なんてことはない。いつもの視察だから」
「……私もご一緒することは可能でしょうか」
視察、視察と言うだけで、どんなことをしているかは一切、教えてくれない。
私に言ってもわからないと言うのだ。
なら、一緒に行けばわかるかもしれない。
そう思って言ってみたのだけど無駄だった。
「視察先には貴族が泊まれるような宿屋がないんだ。平民が泊まるような宿だよ。そんな所に君を泊まらせるわけにはいかないだろ」
「旦那様が一緒なら、どんな場所であっても苦にはなりません。それに、伯爵夫人として領民の生活がどんなものなのかも知りたいんです」
「サブリナ、頼むから、そんな駄々をこねないでくれよ。もう子供じゃないだろう」
「それはそうかもしれませんが、このまま、何もせずに毎日を過ごすなんて落ち着かないんです。私も何かしたいんです!」
「貴族の妻は家にいることが仕事だよ」
「夫人としてしなければならないことができておりません」
「そうなのか?」
前々から伝えているのに、旦那様は初めて聞いたような顔をする。
私の話をちゃんと聞く気はないのでしょうか。
「サブリナさん。あなた、何が不満だと言うの? あなたみたいな人間を妻にしてくれる人なんてアキームしかいないのよ?」
義姉のトノアーニ様は不満そうな口調で言うと、肩をすくめた。
あなたみたいなというのは、どういうことなのでしょうか。
そんな疑問が浮かんだ時、義母のエレファーナ様が教えてくれる。
「社交場で同じ学園の男子生徒にいじめられているところをアキームに助けてもらったんでしょう? いじめられるだなんて、あなたの人間性がおかしいからだと、トノアーニは言いたいんだと思うわ」
過去にいじめられていたからって、人間性まで否定されるのは違う。
大体、いじめるほうも悪いのよ。気に入らないなら、関わらないようにしてくれれば良いだけなのに!
「お言葉ですが、人間性の話をするのであれば、人を傷つける行為をする人間のほうがおかしいと思います」
「生意気な口を利かないで。そういうところが駄目だと言っているの。目上の人間に口答えするだなんてありえないことよ。あなたのお父様には連絡を入れておきますから」
最悪だわ。
私と旦那様の結婚は親が決めたものである。婚約を決めたのは義母と私のお父様だ
私のことが嫌いなら、どうして婚約者にしたのか理由がわからない。
――いや、嫌いだから、わざと婚約者にしたのかもしれないわ。
私と両親は仲が良くない。
父は私のことが嫌いだし、母は父の顔色を窺ってばかりで、私の味方をしてくれたことは一度もない。
学園でのいじめが酷くて相談した時も、いじめられる私が悪いで終わってしまったくらいだ。
今回も一方的にエレファーナ様の話だけ聞いて、数日後にカフェに呼び出され、罵声を浴びせられるのでしょう。
『全てお前が悪いのだ』
それが、父の常套句だもの。
両親にさえ嫌われているのだから、義母が私のことを好きではないのも当たり前と言っていいかもしれない。
だって、彼女は必要以上に人に攻撃するタイプの人間だから。
旦那様は美丈夫で、彼に憧れる人は多くいた。
それなのに、婚約者が中々決まらなかったのは、義姉や義母が原因だった。
二人は旦那様のことを溺愛していて婚約者ができるたびに、その人に陰湿な行為を繰り返していたと聞いている。
しかも、彼女たちが旦那様の婚約者として選んでいたのは、嫌なことをされても言い返すことのない大人しい女性ばかりだった。
その噂は社交界で知れ渡り、旦那様の婚約者になりたがる人はいなかった。
それを知っていて、お父様は私を彼の婚約者にした。
嫁いだのは私の意思だから、それに文句を言うつもりはない。
でも、普通の親なら止めるべきところであると思う。
お父様は入り婿で何か気に入らないことがあれば、お母様に「結婚してやったんだから言うことを聞け」と怒鳴り散らしていた。
赤ちゃんや小さな子供の甲高い泣き声が嫌いで「泣き声もうるさいし、女は跡継ぎにはなれないからいらない」と言って、知らない場所に置き去りにされたこともあった。
あの家から出られて、大好きな旦那さまと一緒にいられるなんて幸せだと思っていたのに、旦那様は出かけてばかりで、ほとんど屋敷にいない。
しかも、私のことを疎ましく思っているかもしれない――
「サブリナ、実家に帰るだなんて馬鹿なことは考えないでおくれよ」
実家に帰るだなんてありえないことは、私の話を聞いてくれていたらわかっているはずだ。
やっぱり、旦那様は私の話をちゃんと聞いてくれていないのね。
「サブリナ、視察から帰ってきたら、今度こそ、どこかへ一緒に出かけようね」
「……わかりました」
頷いた私を見た旦那様は満足そうに微笑んだ。