私の人生は私のものです

3   私と結婚した理由 3

 立ち聞きするのは良いことではない。
 そう思って、来た道を戻ろうかと思った。

 でも、ノエラを見ると無言で首を横に振ったので足を動かすことをやめた。

 仕事の話ではなく、私の話をしているみたいだから、旦那様に声をかけてみよう。

 怒られてもいい。
 何の話か問いただそう。

 聞くなら今しかないもの。

 それに、旦那様と話をしている相手が誰だか確信を持ちたいという気持ちも強かった。
 足音を忍ばせて近付いていくと、声が大きくなっていく。

 道から外れた木々の間で話をしているようだった。

「うっふふ! 本当におかしくて笑っちゃうわ。でも、あなたも最低な男よね。あの女に意地悪をしたいからって本当に結婚してしまうだなんて!」
「人聞きの悪いことを言わないでくれよ。意地悪をしたいのは僕じゃない。母と姉、そして君だ」
「そうだけど、望んで加担したのはあなたよ。しかも、何年も前からの計画だった。あの女があなたに心を許した、例の誕生日パーティーの出来事だって、あなたが仕組んだんじゃないの」
「しょうがないだろう。あの時のサブリナは僕に警戒心を持っていたんだ。ああすることによって、警戒心をとくしかなかった。今のサブリナは全く僕を疑っていない。それでいいだろう」
「そうね。本当に馬鹿な女だわ!」
「僕の演技も捨てたもんじゃないってことなんじゃないかな」

 ちょっと待って。

 あの時、助けてくれたのは旦那様が仕組んでいたことだったの? 
 だから、あのタイミングで現れたの?

「自分で言うのはやめなさいよ。それに、あなたの演技がどうこうじゃなくて、あの女が鈍いだけでしょう」
「それはそうかもしれないな。でも、彼女は今、幸せを感じてるんなら良いだろう。母達も彼女をいじめて楽しんでいる。皆が幸せでいいじゃないか」

 二人が立っている場所には外灯がない。
 だから、二人の姿は見えない。
 でも、顔を見なくてもわかる。

 話をしているのは旦那様と彼女で間違いない。

 彼女というのは、学園時代、私を執拗にいじめてきた人物だ。

 あの声を聞き間違えるはずがない。

 当時の私は彼女に声をかけられただけで、過呼吸になってしまうくらいに怖れていた。

 でも、なぜかしら。
 今は怖くない。

 それだけ、強くなれたということ? 
 ううん、違うわ。
 私はまだ強くなんてなれていない。

 恐怖よりも怒りと憎しみの感情が勝っているだけだ。

「本当に幸せだと思っているのかしらね。義母達には嫌なことをされて、最愛の夫にも放っておかれているというのに」
「彼女には僕しかいない。どう扱おうが文句を言われる筋合いはないよ。彼女がどう生きるかは僕が決めるんだ。彼女に権限はない」
「あなた、性格が悪いわね」
「嬉々として彼女をいじめていた人に言われたくないよ」

 黙って聞いていられなくて、声を上げようとした時、ノエラに止められる。

「当主様に知られてはいけません! 奥さまが話を聞いていたことがわかれば、軟禁、もしくは監禁される可能性があります。それでも良いのですか?」
「……周りに言いふらされたくないから、私を閉じ込めるということね? そうなると、もう、一生逃げられなくなるということ?」
「そうです。今は、何も気付いていないふりをすべきです。そして、逃げる準備を整えてください」
「……わかったわ」

 もっと二人の会話を聞いて、情報を仕入れておきたい。

 でも、誰かにこんな場面を見られても困るし、旦那様達にバレてしまっては意味がない。

「お相手の女性がわからないことが困りましたね」
「いいえ、わかるわ」

 歩き出しながら、旦那様と話をしている相手がラファイ伯爵令嬢だと、ノエラに伝えようとした時だった。

「うわあ!」

 旦那様の叫び声が聞こえた。
 見つかってしまったのかと焦ると、ラファイ伯爵令嬢の焦った声も聞こえてくる。

「リ、リファルドさま! ど、どうしてこちらに!?」

 ラファイ伯爵令嬢の婚約者である、ワイズ公爵家の嫡男、リファルド様が二人の前に現れたらしい。

 ガサガサと草木が揺れたおかげで、彼らのいる場所がわかり、私達は慌てて物陰に隠れた。

「……こんなところで堂々と浮気か」

 とても低い声色だった。
 姿は見えないけど、声だけで怒りが伝わってくる。

「う、浮気ではございません!」
「そうです! 僕たちは《《たまたま》》ここで出会ったんです!」

 そんな言い訳が通じると思っているの?

 その理由で納得するのは今までの私くらいだわ。

 そう考えて虚しくなった。

 そうよ。
 私はそんな馬鹿みたいに聞こえる話でも、旦那様の言うことだからと信じていたの。

「……ここはワイズ公爵令息に任せて行きましょう」

 ノエラを促し、私達はパウダールームへと急いだ。



******



 その後、旦那様は中々、会場内に戻ってこなかった。
 化粧直しを終え、苛立ちと悲しみで声を上げたい気持ちをこらえて会場の隅で待っていた時、会場内が一気に騒がしくなった。

「ワイズ公爵令息だわ!」
「今日も素敵ね!」
「見た目だけなら、男の僕でも惚れ惚れするもんなあ」

 騒がしくなったのは、ワイズ公爵令息が会場内に入ってきたかららしい。

 すると、人だかりの向こうから今日の主催者の伯爵の声が聞こえる。

「申し訳ないが、こちらに注目願います。ワイズ公爵令息から話があるとのことです」

 話を近くで聞きたくて移動しようとした時、旦那様が戻ってきた。

「待たせて悪かったね。おや。どうして人が集まってるんだろう」
「ワイズ公爵令息からお話があるそうです」
「わ、ワイズ公爵令息から?」

 旦那様は焦った顔になると、私の腕を掴む。

「今日はもう帰ろう」
「嫌です。どんな話か聞きたいんです」
「頼むから帰ろう」
「お願いです。話だけ聞いて帰らせてください。それに今帰れば失礼になるのではないですか?」
「失礼かどうかはバレなきゃわからないよ! サブリナ、どうして、今日に限ってワガママを言うんだ?」

 旦那様が声を荒らげると、近くにいた男性が「黙って話を聞けよ」と注意してきた。

 旦那様が黙ったので、周りに視線を走らせる。
 出入り口の扉の前には兵士が立っていて、会場内にいる人を外に出られないようにしている。

 一体、何が始まるんだろう。

 旦那様とラファイ伯爵令嬢のことを話すつもりなの?

 ワイズ公爵令息の姿は私からは見えない。
 でも、彼の言葉ははっきりと耳に届いた。

「ラファイ伯爵令嬢がとある既婚男性と逢引していた。その証拠を押さえたため、今、この場をもって彼女との婚約を破棄することを宣言する」

 会場内は静まり返り、息を呑む音だけが聞こえてくる。

 旦那様の様子が気になって目を向けると、顔が真っ青になっていた。

 やっぱり、さっきの相手は予想した通り、ラファイ伯爵令嬢だったのね。

「い、嫌です! 誤解です!」

 静まり返った会場内の沈黙を破ったのは、ラファイ伯爵令嬢だった。

 それにしても、どうしてワイズ公爵令息は、今この場で婚約破棄を宣言したの?
 別に、この場である必要はないはずなのに――

 

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