【書籍化】私の人生は私のものです
4 公爵令息の思惑 1
「何か言いたいことがありそうだな」
「わ、私は逢瀬なんてしていません! 誤解ですわ!」
ラファイ伯爵令嬢が訴えると、ワイズ公爵令息は鼻で笑う。
「では、どうして、あんな木の陰で既婚男性と二人きりで話をしていたんだ?」
「で、ですから、その、話をしていただけです!」
「いい加減にしろ。この大勢の前であの時の様子を事細かに言わせたいのか」
ワイズ公爵令息がそう言った瞬間、旦那様の体が震え始めた。
「……旦那様、どうかされましたか?」
聞かなくても震えている理由はわかっている。
浮気相手が自分だとわかれば、社交界から爪弾きにされるからだ。
ワイズ公爵家は筆頭公爵家だ。
目をつけられれば厄介なことになる。
私の立場はどうなるのか。
可哀想な妻になるのか、それとも――
「あの時の様子、と言いますのは?」
ラファイ伯爵令嬢はまだ誤魔化せると思っているようだ。
他人を平気で傷つけることができる人間だ。
そう簡単に自分がしていたことは悪いことだと認める気にはならないんでしょう。
彼女がどんな顔をしているか見に行きたい。
そう思った時、旦那様が私の腕を掴んで歩き出す。
「サブリナ、帰ろう。気分が悪くなったんだ」
「……顔色が悪いですものね。休憩室でお休みになったほうが良いのではないですか」
「いや、知らない場所よりも、揺られたとしても慣れた馬車の中のほうが良い。帰ろう」
「待ってください! ワイズ公爵令息のお話中です!」
わざと大きな声を出すと、ワイズ公爵令息が気づいてくれた。
「話をしている最中だぞ。殺されたいのか」
ワイズ公爵令息の冷たい声が響く。
人が退いたため、一直線に私達とワイズ公爵令息との道が開き、彼とラファイ伯爵令嬢の顔が見えるようになった。
ラファイ伯爵令嬢はなぜか私を睨みつけている。
あの人はもう終わりよ。
怖くなんかない。
そう思って睨み返すと、ラファイ伯爵令嬢は驚いた表情になって私を見つめた。
「騒がしくしてしまい申し訳ございません。気分が優れないもので、本日は失礼させていただこうかと思った次第です」
旦那様が謝ると、ワイズ公爵令息は口元に笑みを浮かべる。
「どうした。俺の話を聞いて気分が悪くなったか」
「そ、そういうわけではございません!」
旦那様の体の震えが激しくなった。
額から汗が噴き出すように流れ、床に滴り落ちる。
この様子だけで、ラファイ伯爵令嬢のお相手が誰なのか、一目瞭然だった。
「ワイズ公爵令息にお詫び申し上げます」
「夫人を責めているわけではない」
私が深々と頭を下げると、ワイズ公爵令息は旦那様からラファイ伯爵令嬢に視線を移した。
ラファイ伯爵令嬢は水色のストレートの長い髪を揺らし、吊り目気味の目を細くして、ワイズ公爵令息に訴える。
「話をしていただけで浮気だなんて、嫉妬にも程がありますわ!」
「そ、そうです! 私と彼女はただ、話をしていただけです!」
旦那様も一緒になって訴えた。
ワイズ公爵令息は既婚男性と言っただけで、旦那様のことだとは言っていない。
それなのに、自分から白状してしまった。
ラファイ伯爵令嬢が旦那様を睨みつけると、焦った顔で口を押さえた。
「……旦那様、お仕事の話をすると言っておられたのに、ラファイ伯爵令嬢と会っていたんですか?」
今初めて知ったようなていで聞いてみた。
演技をしたことなんてないから上手くできているかはわからない。
でも、動揺している旦那様には、これが演技だと見抜く余裕はなかった。
「そ、その、たまたま会ったんだ。仕事の話を終えた後に。それで、その、話をしていただけなんだよ」
「ところで、その仕事の話というのは誰とされていたんですか?」
どうせ、そんな人はいないのでしょう?
そんな気持ちが表に出ないように気をつけて聞いてみた。
「それはその、もう帰ってしまったし、君の知らない人だ」
「夫人が知らなくても俺は知っているはずだ。名前を教えろ」
私よりも年齢は一つ年上のだけなのに、ワイズ公爵令息はとても落ち着いている。
眉目秀麗で長身痩躯という、お話に出てきてもおかしくないくらいに整った容姿だ。
でも、冷たい性格だと言われているから、見つめられるだけで怯えてしまう人も多い。
実際に彼に睨まれた旦那様も、彼の圧におされてしまっている。
「あの、それは、その、平民が相手ですので、リファルド様もご存知ないかと」
「平民なんて呼んでいません」
旦那様の友人である主催者の伯爵は、旦那様を庇う気はなさそうで、ワイズ公爵令息が何か言う前に即座に否定した。
ワイズ公爵令息は蔑んだような目で旦那様を見つめる。
「だそうだ」
「へ、平民だと、そ、そう思い込んでいただけかもしれません」
「話した内容をこの場で話せないというのは理解はできる。仕事の話だからな。でも、会った人物を教えないのは違うだろう。秘密裏に取引でもしているのか」
「い、いいえ」
「なら、誰と話をしていたんだ?」
「それは……、その、名前を知らないんです」
さすがにそんな言い訳が通るはずはない。
「旦那様、正直に話してくださいませ」
「サブリナ! 君まで僕を疑うのか?」
「信じているからこそ聞いているんです」
心臓が耳の近くにあるのではないかと思うくらいに鼓動が大きく感じる。
息が粗くなってきたのは、緊張感に耐えられなくて過呼吸になりかけてきたのかもしれない。
でも、ここで引きたくない! 引いてしまったら、今までの私と変わらないもの!
旦那様を見つめていると、ワイズ公爵令息がため息を吐く。
「まあいい。仕事の話は、あとで屋敷に帰ってから二人で話をしてくれ。質問を変えよう。オルドリン伯爵、ラファイ伯爵令嬢との関係を教えてくれないか」
「ど、どういうことでしょうか」
「夫人を会場に残してまで、会わなければいけない関係とはどんな関係かと聞いている」
ワイズ公爵令息は笑みを浮かべている。
でも、その笑みは微笑みではなく嘲笑にしか見えなかった。
――彼がこの場で婚約破棄を宣言した理由がわかった。
彼は大勢の前で、ラファイ伯爵令嬢と旦那様の社会的地位を失墜させるために公開処刑をしようとしているんだわ。
「わ、私は逢瀬なんてしていません! 誤解ですわ!」
ラファイ伯爵令嬢が訴えると、ワイズ公爵令息は鼻で笑う。
「では、どうして、あんな木の陰で既婚男性と二人きりで話をしていたんだ?」
「で、ですから、その、話をしていただけです!」
「いい加減にしろ。この大勢の前であの時の様子を事細かに言わせたいのか」
ワイズ公爵令息がそう言った瞬間、旦那様の体が震え始めた。
「……旦那様、どうかされましたか?」
聞かなくても震えている理由はわかっている。
浮気相手が自分だとわかれば、社交界から爪弾きにされるからだ。
ワイズ公爵家は筆頭公爵家だ。
目をつけられれば厄介なことになる。
私の立場はどうなるのか。
可哀想な妻になるのか、それとも――
「あの時の様子、と言いますのは?」
ラファイ伯爵令嬢はまだ誤魔化せると思っているようだ。
他人を平気で傷つけることができる人間だ。
そう簡単に自分がしていたことは悪いことだと認める気にはならないんでしょう。
彼女がどんな顔をしているか見に行きたい。
そう思った時、旦那様が私の腕を掴んで歩き出す。
「サブリナ、帰ろう。気分が悪くなったんだ」
「……顔色が悪いですものね。休憩室でお休みになったほうが良いのではないですか」
「いや、知らない場所よりも、揺られたとしても慣れた馬車の中のほうが良い。帰ろう」
「待ってください! ワイズ公爵令息のお話中です!」
わざと大きな声を出すと、ワイズ公爵令息が気づいてくれた。
「話をしている最中だぞ。殺されたいのか」
ワイズ公爵令息の冷たい声が響く。
人が退いたため、一直線に私達とワイズ公爵令息との道が開き、彼とラファイ伯爵令嬢の顔が見えるようになった。
ラファイ伯爵令嬢はなぜか私を睨みつけている。
あの人はもう終わりよ。
怖くなんかない。
そう思って睨み返すと、ラファイ伯爵令嬢は驚いた表情になって私を見つめた。
「騒がしくしてしまい申し訳ございません。気分が優れないもので、本日は失礼させていただこうかと思った次第です」
旦那様が謝ると、ワイズ公爵令息は口元に笑みを浮かべる。
「どうした。俺の話を聞いて気分が悪くなったか」
「そ、そういうわけではございません!」
旦那様の体の震えが激しくなった。
額から汗が噴き出すように流れ、床に滴り落ちる。
この様子だけで、ラファイ伯爵令嬢のお相手が誰なのか、一目瞭然だった。
「ワイズ公爵令息にお詫び申し上げます」
「夫人を責めているわけではない」
私が深々と頭を下げると、ワイズ公爵令息は旦那様からラファイ伯爵令嬢に視線を移した。
ラファイ伯爵令嬢は水色のストレートの長い髪を揺らし、吊り目気味の目を細くして、ワイズ公爵令息に訴える。
「話をしていただけで浮気だなんて、嫉妬にも程がありますわ!」
「そ、そうです! 私と彼女はただ、話をしていただけです!」
旦那様も一緒になって訴えた。
ワイズ公爵令息は既婚男性と言っただけで、旦那様のことだとは言っていない。
それなのに、自分から白状してしまった。
ラファイ伯爵令嬢が旦那様を睨みつけると、焦った顔で口を押さえた。
「……旦那様、お仕事の話をすると言っておられたのに、ラファイ伯爵令嬢と会っていたんですか?」
今初めて知ったようなていで聞いてみた。
演技をしたことなんてないから上手くできているかはわからない。
でも、動揺している旦那様には、これが演技だと見抜く余裕はなかった。
「そ、その、たまたま会ったんだ。仕事の話を終えた後に。それで、その、話をしていただけなんだよ」
「ところで、その仕事の話というのは誰とされていたんですか?」
どうせ、そんな人はいないのでしょう?
そんな気持ちが表に出ないように気をつけて聞いてみた。
「それはその、もう帰ってしまったし、君の知らない人だ」
「夫人が知らなくても俺は知っているはずだ。名前を教えろ」
私よりも年齢は一つ年上のだけなのに、ワイズ公爵令息はとても落ち着いている。
眉目秀麗で長身痩躯という、お話に出てきてもおかしくないくらいに整った容姿だ。
でも、冷たい性格だと言われているから、見つめられるだけで怯えてしまう人も多い。
実際に彼に睨まれた旦那様も、彼の圧におされてしまっている。
「あの、それは、その、平民が相手ですので、リファルド様もご存知ないかと」
「平民なんて呼んでいません」
旦那様の友人である主催者の伯爵は、旦那様を庇う気はなさそうで、ワイズ公爵令息が何か言う前に即座に否定した。
ワイズ公爵令息は蔑んだような目で旦那様を見つめる。
「だそうだ」
「へ、平民だと、そ、そう思い込んでいただけかもしれません」
「話した内容をこの場で話せないというのは理解はできる。仕事の話だからな。でも、会った人物を教えないのは違うだろう。秘密裏に取引でもしているのか」
「い、いいえ」
「なら、誰と話をしていたんだ?」
「それは……、その、名前を知らないんです」
さすがにそんな言い訳が通るはずはない。
「旦那様、正直に話してくださいませ」
「サブリナ! 君まで僕を疑うのか?」
「信じているからこそ聞いているんです」
心臓が耳の近くにあるのではないかと思うくらいに鼓動が大きく感じる。
息が粗くなってきたのは、緊張感に耐えられなくて過呼吸になりかけてきたのかもしれない。
でも、ここで引きたくない! 引いてしまったら、今までの私と変わらないもの!
旦那様を見つめていると、ワイズ公爵令息がため息を吐く。
「まあいい。仕事の話は、あとで屋敷に帰ってから二人で話をしてくれ。質問を変えよう。オルドリン伯爵、ラファイ伯爵令嬢との関係を教えてくれないか」
「ど、どういうことでしょうか」
「夫人を会場に残してまで、会わなければいけない関係とはどんな関係かと聞いている」
ワイズ公爵令息は笑みを浮かべている。
でも、その笑みは微笑みではなく嘲笑にしか見えなかった。
――彼がこの場で婚約破棄を宣言した理由がわかった。
彼は大勢の前で、ラファイ伯爵令嬢と旦那様の社会的地位を失墜させるために公開処刑をしようとしているんだわ。