Bravissima!ブラヴィッシマ
「ただい……」

マンションの玄関を開けて声をかけようとした聖は、聴こえてきたピアノの音に言葉を止めた。

静かに靴を脱ぎ、リビングのドアを開ける。

窓の外に広がる夜景を背に、広いリビングの中央で、芽衣がグランドピアノを弾いていた。

ラフマニノフ作曲《パガニーニの主題による狂詩曲》第18変奏

芽衣が如月フィルと共演したドリームステージで弾いた、美しく甘美なあのメロディ。

聖は目を閉じて芽衣の奏でる音に心を委ねた。

あの時ステージの上で、初めて芽衣の弾くこの第18変奏を聴き、涙が込み上げてきたことを思い出す。

胸が張り裂けそうなほど感動し、思わず芽衣の名を呟いたあの時にはもう、自分は芽衣に心から惹かれていたのだ。

今も、この空間一杯に芽衣が広げる音の世界は、輝かしく温かく、優しく、そして美しい。

うっとりするほど甘い余韻を残し、やがて音がふっと空気に溶けた。

宙を見上げ、消えて行った音を名残惜しむように、芽衣が切なげな表情を浮かべる。

その横顔に見とれていると、ふと視線に気づいたように芽衣が振り返った。

「え、やだ!いつからそこにいたんですか?」
「ん?たった今」
「嘘だ!聴いてたでしょ?」
「ああ。世界一美しかった」

そう言うと、芽衣も納得したように頷く。

「本当ですよね。どうしてこんなにも美しいメロディが書けるんでしょう。世界一美しいです」

聖は少し苦笑いしてから芽衣に歩み寄った。

「違う。世界一美しいと言ったのは、芽衣のこと」
「え?」
「幸福の世界の女神みたいに見えた。息を呑むほど美しくて」

優しく肩を抱き、芽衣の髪にそっと口づける。

芽衣は傍目にも分かりやすく、頬を赤く染めて固まった。

「美しいけど、今は可愛い。さっきは大人っぽかったけど、今はお子ちゃま」
「ちょっと!なんですか?それ」
「ひと粒で2度美味しいってやつ」

むーっ!と芽衣は頬を膨らませて聖を見上げる。

「ははは!かっわい」

チュッと唇にキスを落とすと、芽衣はぷしゅーっと小さくなってうつむいた。

顔から湯気が出そうなほど真っ赤になっている。

「ほら、芽衣ちゃん。ご飯にしますよー」

ふざける聖を、芽衣はジロリと横目で睨んだ。

「そんな可愛い顔して拗ねてると、またキスするぞ?」

慌てたように立ち上がり、スタスタとキッチンに向かう芽衣に、聖はクスッと笑みをもらした。
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