Bravissima!ブラヴィッシマ
体力の限界なんて、とっくに超えた気がする。

だけど力は衰えていない。

むしろ身体中にみなぎっている。

そう思いながら、芽衣はグッと集中を深めたままピアノに指を走らせていた。

後ろから聴こえてくる聖の音が、自分を奮い立たせてくれる。

背中を押して、そばに寄り添ってくれる。

美しく透明感に溢れる聖の音は、他のヴァイオリンの音より、ひと際はっきりと芽衣の耳に飛び込んできた。

聖と一緒に登り詰める。

どこまでも高く。

聖が押し上げてくれる。

自分の限界を超えた高みへと。

ほとばしる想いを音に乗せて、ラストまで一気に駆け抜けた。

最後の音をオーケストラと息を合わせて重厚に響かせ、ピアノから手を離す。

その瞬間、パン!と2階席のキャノン砲から紙吹雪が舞い、芽衣は余韻に浸る間もなく「へ?」と間抜けな声を上げた。

わー!と一斉に盛り上がる観客の声に、一体、何事?!と目を丸くする。

「あ、そっか!カウントダウン!忘れてた。でも時間ぴったり。やったー!」

芽衣は椅子から立ち上がると、ぴょんぴょん飛び跳ねながら聖を振り返り、ギュッと聖に抱きついた。

「聖さん!やったね!ぴったりだったよ!」
「う、うん。やったな、芽衣。可愛い、たまらん。けどあの、ここ舞台……」
「聖さん、また心の声が漏れてるよ?」

そう言って顔を上げた次の瞬間、視界が開けて、芽衣は言葉にならない悲鳴を上げて飛びすさった。

「ウギャー!!」

するとマイクを握った公平の声がホールに響き渡る。

「皆様、明けましておめでとうございます!」

おめでとうございます!と観客も声を揃えた。

「カウントダウン、ぴったりハマりましたね。マエストロ、おめでとうございます!そしてコンマスも、おめでとうございます!ご馳走様です!」

ドッと笑い声が上がり、芽衣はヒィ!と身を縮こめる。

ちょうど団員達が、干支の馬の被り物を被り始め、芽衣も一つもらってすぐさま被った。

「おや、ピアニストに称賛の拍手を、と思いましたが、恥ずかしがり屋で馬になってしまいましたね。見事な演奏は木村 芽衣さんでした!」

拍手が起こり、芽衣はぺこぺこと頭を下げると、そそくさと舞台袖にはける。

「はあー、もう、恥ずかしかった!」

新年最初の曲、ヨハン・シュトラウス1世作曲《ラデツキー行進曲》の演奏が始まり、公平も袖にはけてきた。

「芽衣ちゃん、明けましておめでとう。良かったよー、演奏。新年早々、熱い抱擁もね」
「おめでとうございます。あの、あの、高瀬さん。本当にすみませんでした」
「おめでたいから、いいんじゃない?客席にいる弥生も爆笑してるのが見えたよ」
「やだー!あとで絶対弥生ちゃんにからかわれる」
「ははっ!そうだろうね」

芽衣は困ったように口を尖らせた。

このジルベスターコンサートが終われば、しばらくお正月休みに入る。

聖と芽衣は、公平と弥生を連れて、別荘で過ごすことにしていた。

つまり、これから数日は四人で一緒に過ごすのだ。

「あーあ。毎晩、酒の肴にされちゃうだろうな」
「くくっ、そうかもね。今夜のコンサートもライブ配信されてるから、弥生、また何度もリピートして観るだろうな」
「もうやだー!」
「あはは!今年も楽しくなりそうだな。夫婦でよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」

やがて曲が終わり、ジルベスターコンサートは盛況のうちに幕を下ろした。

マエストロや団員達に「お疲れ様!ご馳走様!」と次々に声をかけられ、芽衣は「ありがとうございました。お見苦しいものをすみません」と謝りまくる。

最後に聖がはけてきた。

「芽衣」

足早に近づいてきたかと思うと、聖は芽衣をギュッと胸に抱きしめ、耳元でささやく。

「Bravissima!俺の女神。早く帰ろう。でないとここで押し倒しそう」
「は?え?へ?」

ポカンとする芽衣の手を引いて、聖は控え室へと急いだ。
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