Bravissima!ブラヴィッシマ
如月フィルハーモニー管弦楽団の『映画音楽コンサート』は、1日だけの特別なプログラムだった。

当日を迎えると、芽衣は朝からソワソワしながら支度を整え、ホールに向かう。

12月の最初の日曜日で、街はクリスマスの飾りで華やかに賑わっている。

如月シンフォニーホールのロビーにも、大きなクリスマスツリーが飾られていた。

(わあ、素敵……)

芽衣はうっとりと美しいツリーに見とれる。

普段はジーンズにスニーカーの芽衣も、この日ばかりはドレスアップして、メイクにも時間をかけた。

ふんわりと広がるボルドーのワンピースにヒールのあるシューズ。

ラグジュアリーな雰囲気のホワイエを歩いているだけで背筋が伸び、優雅な気分になる。

(高瀬さんにはご挨拶出来るかな?如月さんにはお会い出来ないだろうし)

そう思い、芽衣は受付で聖への花束を預けた。

菓子折りは、公平に会えたら渡そうと、取り敢えず手元に持っておくことにする。

(えっと、座席番号は……)

チケットに書かれた番号は、先日のリハーサルの時と同じように中央で聴きやすい席だった。

(うわ、特等席!さすがご招待チケット。いいのかな?私なんかがこんなところで拝聴しても)

そうは思うが、申し訳なさよりもワクワク感が勝る。

待ち切れないとばかりに熱心にプログラムに目を通していると、「失礼」と声がして右隣に貫録のあるおじいさんが座った。

「あ、はい。こんにちは」

なんと返事をしていいのか分からず、芽衣はドギマギと頭を下げる。

するとおじいさんが「おや?」と芽衣の顔を覗き込んだ。

「お嬢さん、ひょっとして聖のピアニストじゃないかい?」

えっ!と芽衣は驚いて顔を上げる。

「動画にははっきり顔が映っていないが、なんとなく面影が似ている。違うかい?」
「あ、は、はい。そうです」
「やっぱりか!実はね、わしも佐賀教授から聴かせてもらったんだよ、君の《イスラメイ》を。いやー、たまげた。素晴らしい演奏だったよ。まさかこんなに可愛らしいお嬢さんが、あの《イスラメイ》をねえ……。ぜひ今度生で聴かせてもらえんかね?」

芽衣は理解が追いつかずにあたふたした。

「えっと……、佐賀先生とお知り合いでいらっしゃるのですか?」
「ああ。もう古いつき合いになるな」
「では、音楽関係の……?」

恐る恐る聞きながら、必死で音楽業界の重鎮を思い出す。

(佐賀先生のお知り合いなら、この方も教授ってことかしら。ピアニストだったらどうしよう。存じ上げてないなんて、佐賀先生にも失礼に当たるし)

あれこれと考えつく限りの人を思い浮かべるが、心当たりはなかった。

冷や汗が流れ出し、ここはもう先に自己紹介しておこうとおじいさんに向き直る。

「あの、初めまして。佐賀先生に指導していただいている木村 芽衣と申します」
「うん、佐賀教授から聞いとるよ。どうやら一番弟子のようだね」

ええー?!と芽衣は目を丸くして仰け反った。

「そ、そのようなことは決して!」

ブンブンと首を横に振っていると、おじいさんは目を細めて笑う。

「あれほどの難曲を、ああも鮮やかに弾きこなす生徒が他にいるかい?君が一番に決まっておるよ、イスラメイちゃん」
「あ、わたくし木村 芽衣で……って、え?もしかして、如月さんの?」
「ん?ああ、聖はわしの孫だよ」

やっぱり!ということは……、と芽衣は頭の中を整理する。

(如月さんは、如月フィルの創始者のお孫さんよね?つまり、このおじいさんがそのお方。スーパーゼネコン如月建設の会長で、如月フィルの理事長ってこと?)

うひゃー!と芽衣は声にならない声を上げて、頬を両手で押さえた。

「すみません、存じ上げなくて。いつも大変お世話になっております」
「いやいや、こちらこそ。聖と君の動画のおかげで、如月フィルは一気に注目されるようになった。ありがとう。これからもよろしく頼むよ」
「はい!こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
「うむ。そうだ!今日のコンサートが終わったら、ホワイエで関係者のパーティーがあるんだよ。イスラメイちゃんをみんなに紹介したいから、ぜひ残ってくれないかい?」
「ええー?!そんな、滅相もない。私など場違いですから……」

必死にかぶりを振っていると、コンサートの開演を告げるベルが鳴った。

ざわめきが消え、芽衣も慌てて居住まいを正してステージに注目する。

楽器を持った団員達が下手と上手に別れて入場し、それぞれの席に着く。

(如月さん、かっこいい……)

ヴァイオリンのトップに座る聖はいつもの見慣れたラフな私服ではなく、タキシードをスタイル良く着こなし、髪もサイドをすっきりと整えていた。

(なんかもう、オーラが違うわ。この人絶対に上手いって、弾く前から分かる)

チューニングが始まり、管楽器のあとにスッと立ち上がった聖に、芽衣は釘付けになる。

ラの音を伸ばしながらゆったりと団員達を見渡す聖は、優雅で品があり、醸し出す雰囲気が大人の男性の魅力に溢れていた。

(私、本当にこの人と一緒に演奏してたの?この人としゃべったことあるんだよね?)

そんなことを真顔で考えてしまうほど、ステージの上の聖は別世界のスターのようだった。

チューニングを終えた聖が、おもむろに席に座り直す。

ステージマネージャーの拍手が聞こえてきて観客が一斉に拍手を始めると、口元に笑みを浮かべた指揮者が誇らしげに下手から現れた。

指揮台の横まで来ると、ぐるりと会場内を見渡してから深々とお辞儀をする。

指揮台に上がって団員達に目をやると、最後に指揮者は聖とアイコンタクトを取った。

聖が小さく頷き返す。

スッと指揮棒が宙に構えられ、聖達も一斉に楽器を構える。

指揮者の腕の振りに合わせて全員がブレスを取った次の瞬間、鮮やかな大輪の花が咲くようにパーッと華やかな音がホール中に広がった。
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