Bravissima!ブラヴィッシマ
「芽衣ちゃん、何か心配なことでもあるの?」
残されてポツン佇む芽衣に、公平が気遣うように話しかけた。
「何か事情があってコンサートは出来ないというなら、俺から館長に話をするから。佐賀先生に、演奏活動を止められたりしてるの?」
「いえ、そういう訳ではないです」
「だろうな。佐賀先生はそんなことを言う人じゃない。どんどん色んなことをやってみなさいっておっしゃる方だ。それじゃあ、何が気がかりなの?」
「あの、私……」
「うん、なに?」
「えっと……」
うつむいて言い淀む芽衣の言葉をしばらく待ってから、公平は芽衣の手を取った。
「おいで」
混雑したホワイエを通り抜け、通路にあるソファに芽衣を座らせる。
「何でもいいから、話してみて」
「はい、あの……。私、舞台に立つと、思うように弾けなくなるんです」
公平は驚いて息を呑む。
芽衣の今のセリフは、ピアニストにとっては衝撃的、いや、致命的な内容だった。
「……それは、コンクールでってこと?」
慎重に言葉を選びながら、公平は芽衣の顔をうかがう。
「きっかけはコンクールです。でも今は、コンクールだけでなく演奏会でもダメになってしまいました」
「具体的に、どうダメになるの?ものすごく緊張するとか?」
「そうですね、それもありますけど。一番は萎縮してしまうんです。客席に座っている人が全員敵に見えてしまうというか……。演奏していると、へたくそだな、とか、こんなの聴いていられるかって声が聞こえてくる気がして。それで一度、演奏の手が止まってしまったことがあるんです。それ以降、舞台に立てなくなりました」
膝に置いた両手をギュッと握りしめて、芽衣は小さく身体を震わせる。
公平はそんな芽衣をそっと抱き寄せた。
「そう、分かった。館長には俺から話しておく。大丈夫だから、何も心配しないで。ごめん、辛い記憶を呼び起こしてしまったね」
「いえ、私の方こそすみません。情けないですよね。こんな私なんか、演奏家だと名乗る資格もありません」
「そんなことないよ。君はただピアノに向き合って弾けばいい。肩書きとか周りの目なんて気にしないで。君の素直な演奏は間違いなく一流だよ。俺はピアノを仕事には出来なかった人間だから、余計に分かる。君の音は本物だ。だけど何よりも、君にはピアノを弾き続けて欲しい」
真剣に訴える公平の言葉に、芽衣は顔を上げて聞き入る。
「腕は確かなのに、何かのきっかけで挫折して弾けなくなったピアニストを何人も知っている。逆にプロにはなれなかったけど、趣味として楽しく弾き続けている人もいる。どっちが幸せなんだろう?ってずっと思ってた。天性の才能に恵まれても、音楽が嫌いになってしまったら?それなら凡人として楽しく気ままにピアノを弾いていた方が幸せなのかもしれないって。だけどね、芽衣ちゃん」
そう言って公平は、じっと芽衣を正面から見つめた。
「俺は君に、音楽をいつまでも楽しめる天才でいて欲しい。厳しい世界だから、もちろん辛いこともあると思う。だけど生涯音楽を好きでいて。それが大前提だ」
「生涯、音楽を好きでいる……」
「ああ、そうだ。俺は心から君にそう願っているよ。聖にもね。二人ともずっと音楽を大好きでいてくれ。その為に俺は二人を全力でサポートするから」
芽衣の目から涙がこぼれ落ちる。
どうしてなのかは分からない。
だが公平の言葉は、冷たかった自分の心を温かく溶かしてくれた気がした。
変わらなければいけない。
克服しなければいけない。
そんな強迫観念に駆られていた自分を、そのままでいいんだよと優しく守られている気がした。
「ありがとう、ございます。高瀬さん……」
芽衣は涙を堪えながら、なんとか声を振り絞る。
「我慢しないで、いつでも俺に気持ちを話してくれていいからね」
「はい、本当に、ありがとうございます」
公平は芽衣の頭にポンポンと手をやって顔を覗き込み、そっと笑いかけた。
残されてポツン佇む芽衣に、公平が気遣うように話しかけた。
「何か事情があってコンサートは出来ないというなら、俺から館長に話をするから。佐賀先生に、演奏活動を止められたりしてるの?」
「いえ、そういう訳ではないです」
「だろうな。佐賀先生はそんなことを言う人じゃない。どんどん色んなことをやってみなさいっておっしゃる方だ。それじゃあ、何が気がかりなの?」
「あの、私……」
「うん、なに?」
「えっと……」
うつむいて言い淀む芽衣の言葉をしばらく待ってから、公平は芽衣の手を取った。
「おいで」
混雑したホワイエを通り抜け、通路にあるソファに芽衣を座らせる。
「何でもいいから、話してみて」
「はい、あの……。私、舞台に立つと、思うように弾けなくなるんです」
公平は驚いて息を呑む。
芽衣の今のセリフは、ピアニストにとっては衝撃的、いや、致命的な内容だった。
「……それは、コンクールでってこと?」
慎重に言葉を選びながら、公平は芽衣の顔をうかがう。
「きっかけはコンクールです。でも今は、コンクールだけでなく演奏会でもダメになってしまいました」
「具体的に、どうダメになるの?ものすごく緊張するとか?」
「そうですね、それもありますけど。一番は萎縮してしまうんです。客席に座っている人が全員敵に見えてしまうというか……。演奏していると、へたくそだな、とか、こんなの聴いていられるかって声が聞こえてくる気がして。それで一度、演奏の手が止まってしまったことがあるんです。それ以降、舞台に立てなくなりました」
膝に置いた両手をギュッと握りしめて、芽衣は小さく身体を震わせる。
公平はそんな芽衣をそっと抱き寄せた。
「そう、分かった。館長には俺から話しておく。大丈夫だから、何も心配しないで。ごめん、辛い記憶を呼び起こしてしまったね」
「いえ、私の方こそすみません。情けないですよね。こんな私なんか、演奏家だと名乗る資格もありません」
「そんなことないよ。君はただピアノに向き合って弾けばいい。肩書きとか周りの目なんて気にしないで。君の素直な演奏は間違いなく一流だよ。俺はピアノを仕事には出来なかった人間だから、余計に分かる。君の音は本物だ。だけど何よりも、君にはピアノを弾き続けて欲しい」
真剣に訴える公平の言葉に、芽衣は顔を上げて聞き入る。
「腕は確かなのに、何かのきっかけで挫折して弾けなくなったピアニストを何人も知っている。逆にプロにはなれなかったけど、趣味として楽しく弾き続けている人もいる。どっちが幸せなんだろう?ってずっと思ってた。天性の才能に恵まれても、音楽が嫌いになってしまったら?それなら凡人として楽しく気ままにピアノを弾いていた方が幸せなのかもしれないって。だけどね、芽衣ちゃん」
そう言って公平は、じっと芽衣を正面から見つめた。
「俺は君に、音楽をいつまでも楽しめる天才でいて欲しい。厳しい世界だから、もちろん辛いこともあると思う。だけど生涯音楽を好きでいて。それが大前提だ」
「生涯、音楽を好きでいる……」
「ああ、そうだ。俺は心から君にそう願っているよ。聖にもね。二人ともずっと音楽を大好きでいてくれ。その為に俺は二人を全力でサポートするから」
芽衣の目から涙がこぼれ落ちる。
どうしてなのかは分からない。
だが公平の言葉は、冷たかった自分の心を温かく溶かしてくれた気がした。
変わらなければいけない。
克服しなければいけない。
そんな強迫観念に駆られていた自分を、そのままでいいんだよと優しく守られている気がした。
「ありがとう、ございます。高瀬さん……」
芽衣は涙を堪えながら、なんとか声を振り絞る。
「我慢しないで、いつでも俺に気持ちを話してくれていいからね」
「はい、本当に、ありがとうございます」
公平は芽衣の頭にポンポンと手をやって顔を覗き込み、そっと笑いかけた。