Bravissima!ブラヴィッシマ
「コーヒー飲みながらでいいんだけど、改めて二人に動画の反響を見て欲しくてさ。コメントがたくさん届いてるから」
そう言って公平は、パソコンの向きを変えて二人に見せた。
如月フィルの公式動画サイトに、聖と芽衣の演奏動画のサムネイルがずらりと並んでいる。
「へえ、初めて見るわ」
「私もです」
聖と芽衣の言葉に、ええ?!と公平は仰け反った。
「二人とも、動画観たことないの?」
「ああ。なんかこう、毎回気持ち良く演奏出来たから、反省会はしたくないというか……」
聖の言葉に芽衣も頷く。
「分かります。これが課題なら必ず聴き返して反省するんですけど、如月さんとの演奏は楽しいままの思い出にしたくて」
「そうだよな。でもそろそろ聴いてみるか。ブラッシュアップしないまま演奏すれば、恥の上塗りになる」
「そうですね、私もちゃんと改善していきたいです」
「という訳で、公平、再生してくれ」
公平は頷くと、古いものから順に再生していく。
聖と芽衣は、見た目にも分かりやすく、がっくりとうなだれ始めた。
「あかん、全然あかんやん。出来てるつもりで、全然出来てない」
「本当です。ああ、もう、恥ずかしい。これ全部撮り直したいくらいです」
「だよな。しっかり合わせをやってから全部撮り直すか?」
すると意外にも公平が首を振った。
「いや。視聴者が求めてるのはそこじゃないと思う。二人の初見1発撮りが生み出すもの、その時にしか出せない感情の盛り上がりだったりとか、奇跡的にピタリとはまる瞬間とか、そういうのが聴いていて楽しいんじゃないかな?コンサートなら、じっくり合わせをやって完璧を目指すけど、この動画の趣旨はそこじゃない」
「うーん、そんなもんか?」
「ああ。少なくともこれまではずっと再生回数が伸び続けているんだ。だからしばらくはこのままいきたい」
「まあ、そういうことなら」
聖と芽衣は渋々納得する。
「じゃあ次はどの曲にする?出来ればコメント欄にあるリクエストに応えていきたいんだけど」
公平がスクロールするコメントを、聖と芽衣も肩を寄せ合って覗き込んだ。
「あ、そう言えばワックスマンの《カルメン幻想曲》まだやってなかったな。これからいくか?」
聖の提案に芽衣も頷き、早速いつものように1発撮りすることになった。
チューニングの間に、公平がカメラワークを確認する。
「聖、もうちょっと芽衣ちゃんに近づいて。でないと芽衣ちゃんの顔が映っちゃう」
二人のバランスや背景にも気をつけて、聖の立ち位置や撮影ポイントを決めた。
「よし!いくぞ、イスラメイ」
聖が気合いを入れる。
「はい!木村 芽衣です」
もはや恒例のやり取りのあと、二人はアイコンタクトを取った。
華やかなピアノから始まり、ヴァイオリンが空気を切るような低音を響かせてから、高い音へと一気に駆け上がる。
それだけで公平は身体がぞくりとした。
よく知られた有名なカルメンのメロディが、超絶技巧を交えて情緒豊かに奏でられる。
やがて魅惑的なハバネラの旋律に移った時だった。
聖がピタリと手を止めて驚いたように芽衣を振り返る。
(えっ!)
芽衣もハッとして手を止めた。
「あの、何か……?」
恐る恐る聞いてみると、聖は眉間にしわを寄せて怪訝そうに首をひねる。
「お前、どうかしたか?」
「はい?どうもしてませんが」
「急に人が変わったかと思った。かかしが演奏してるのかと」
か、かかし?!と芽衣は目を丸くする。
「真面目に弾いてたのか?」
「はい、もちろんです。どんな時も全力で弾いています」
すると聖はため息をついて楽譜に目を落とした。
「他は全く問題ない。今までもそうだった。だけどこのハバネラだけはひどい。色気のかけらも感じられなかった」
芽衣の顔が一気に赤くなる。
自覚があったからだ。
たいていの曲なら弾き方が分かる。
けれど大人の妖艶さや色っぽさ、更には男を惑わせるほどエロティックに弾け、と言われても分からない。
精一杯想像して弾いてみるが、しょせん薄っぺらい演奏だった。
ピアノを始めてからずっと、ピアノのことしか考えて来なかった。
誰かに憧れたり恋をしたり、デートしたりつき合ったり……
そんな経験がまるで芽衣にはなかった。
ハリウッド映画を観て研究したが、身体のラインを強調するドレスをまとい、視線一つで男性を虜にするセクシーな女優に、こんなの無理!とおののいた。
今もまた、やっぱり無理だと泣きそうになる。
そんな芽衣の様子を見て聖は楽譜を閉じた。
「カルメンはやめだ。他にしよう」
そう言って別の楽譜を選びに行く。
「あの、すみません。私のせいで……」
芽衣は立ち上がって頭を下げた。
「気にするな。別に大学の課題曲でもないんだし。気持ち良く弾けるやつにしよう」
「はい、申し訳ありません」
「いいってば。じゃあこれにするか。メンコン」
「はい」
そして今度こそ1発撮りでメンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》第1楽章を演奏した。
そう言って公平は、パソコンの向きを変えて二人に見せた。
如月フィルの公式動画サイトに、聖と芽衣の演奏動画のサムネイルがずらりと並んでいる。
「へえ、初めて見るわ」
「私もです」
聖と芽衣の言葉に、ええ?!と公平は仰け反った。
「二人とも、動画観たことないの?」
「ああ。なんかこう、毎回気持ち良く演奏出来たから、反省会はしたくないというか……」
聖の言葉に芽衣も頷く。
「分かります。これが課題なら必ず聴き返して反省するんですけど、如月さんとの演奏は楽しいままの思い出にしたくて」
「そうだよな。でもそろそろ聴いてみるか。ブラッシュアップしないまま演奏すれば、恥の上塗りになる」
「そうですね、私もちゃんと改善していきたいです」
「という訳で、公平、再生してくれ」
公平は頷くと、古いものから順に再生していく。
聖と芽衣は、見た目にも分かりやすく、がっくりとうなだれ始めた。
「あかん、全然あかんやん。出来てるつもりで、全然出来てない」
「本当です。ああ、もう、恥ずかしい。これ全部撮り直したいくらいです」
「だよな。しっかり合わせをやってから全部撮り直すか?」
すると意外にも公平が首を振った。
「いや。視聴者が求めてるのはそこじゃないと思う。二人の初見1発撮りが生み出すもの、その時にしか出せない感情の盛り上がりだったりとか、奇跡的にピタリとはまる瞬間とか、そういうのが聴いていて楽しいんじゃないかな?コンサートなら、じっくり合わせをやって完璧を目指すけど、この動画の趣旨はそこじゃない」
「うーん、そんなもんか?」
「ああ。少なくともこれまではずっと再生回数が伸び続けているんだ。だからしばらくはこのままいきたい」
「まあ、そういうことなら」
聖と芽衣は渋々納得する。
「じゃあ次はどの曲にする?出来ればコメント欄にあるリクエストに応えていきたいんだけど」
公平がスクロールするコメントを、聖と芽衣も肩を寄せ合って覗き込んだ。
「あ、そう言えばワックスマンの《カルメン幻想曲》まだやってなかったな。これからいくか?」
聖の提案に芽衣も頷き、早速いつものように1発撮りすることになった。
チューニングの間に、公平がカメラワークを確認する。
「聖、もうちょっと芽衣ちゃんに近づいて。でないと芽衣ちゃんの顔が映っちゃう」
二人のバランスや背景にも気をつけて、聖の立ち位置や撮影ポイントを決めた。
「よし!いくぞ、イスラメイ」
聖が気合いを入れる。
「はい!木村 芽衣です」
もはや恒例のやり取りのあと、二人はアイコンタクトを取った。
華やかなピアノから始まり、ヴァイオリンが空気を切るような低音を響かせてから、高い音へと一気に駆け上がる。
それだけで公平は身体がぞくりとした。
よく知られた有名なカルメンのメロディが、超絶技巧を交えて情緒豊かに奏でられる。
やがて魅惑的なハバネラの旋律に移った時だった。
聖がピタリと手を止めて驚いたように芽衣を振り返る。
(えっ!)
芽衣もハッとして手を止めた。
「あの、何か……?」
恐る恐る聞いてみると、聖は眉間にしわを寄せて怪訝そうに首をひねる。
「お前、どうかしたか?」
「はい?どうもしてませんが」
「急に人が変わったかと思った。かかしが演奏してるのかと」
か、かかし?!と芽衣は目を丸くする。
「真面目に弾いてたのか?」
「はい、もちろんです。どんな時も全力で弾いています」
すると聖はため息をついて楽譜に目を落とした。
「他は全く問題ない。今までもそうだった。だけどこのハバネラだけはひどい。色気のかけらも感じられなかった」
芽衣の顔が一気に赤くなる。
自覚があったからだ。
たいていの曲なら弾き方が分かる。
けれど大人の妖艶さや色っぽさ、更には男を惑わせるほどエロティックに弾け、と言われても分からない。
精一杯想像して弾いてみるが、しょせん薄っぺらい演奏だった。
ピアノを始めてからずっと、ピアノのことしか考えて来なかった。
誰かに憧れたり恋をしたり、デートしたりつき合ったり……
そんな経験がまるで芽衣にはなかった。
ハリウッド映画を観て研究したが、身体のラインを強調するドレスをまとい、視線一つで男性を虜にするセクシーな女優に、こんなの無理!とおののいた。
今もまた、やっぱり無理だと泣きそうになる。
そんな芽衣の様子を見て聖は楽譜を閉じた。
「カルメンはやめだ。他にしよう」
そう言って別の楽譜を選びに行く。
「あの、すみません。私のせいで……」
芽衣は立ち上がって頭を下げた。
「気にするな。別に大学の課題曲でもないんだし。気持ち良く弾けるやつにしよう」
「はい、申し訳ありません」
「いいってば。じゃあこれにするか。メンコン」
「はい」
そして今度こそ1発撮りでメンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》第1楽章を演奏した。