恋より仕事と決めたのに、エリートなお隣さんが心の壁を越えてくる
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誰にもチョコレートを贈ることのないバレンタインを終えた、二月の中旬。
暦の上は春でもまだまだ冷たい風を切って、私は走っていた。
神崎志乃、大手の食品専門商社『パンドラパントリー』本社の国内営業部所属で、一昨年からワインプロジェクトチームのリーダーを務めている三十歳。
モノトーンのシンプルなランニングウエアに、イエローのシューズ。背中まであるストレートの髪は高い位置で結っている。
ランニングの習慣があるおかげで太ってはいないが、身長は平均より高めの168センチ。
きつい性格だと誤解されやすい大きな猫目、尖った鼻や顎は、自分ではあまり気に入っていない。
怒っていないのに『怒ってる?』なんて聞かれることも多いから、常に微笑みを意識していないといけないのも疲れる。
そんな日頃のストレスや仕事の悩みなどが複雑に絡み合う頭の中をクリアにするには、ランニングをするのが一番。
学生時代から続けている習慣なので、この年にしては走れる方だと思う。
日曜日の午前九時すぎ。平日より人の動き出しが遅いせいか、朝の気配が残る街の空気は爽やかだ。
隅田川沿いを海の方へ向かうにつれ、潮の香りが混じった風が肌を撫でていく。
ここは東京の臨海部、勝どき。会社のある浜松町までのアクセスもいいし、買い物をする場所にも困らない。
土地や住宅の価格も相当なものだが、私は少々背伸びをしてグレードが高めの賃貸マンション――いわゆるレジデンスに今年から住み始めた。