恋より仕事と決めたのに、エリートなお隣さんが心の壁を越えてくる

「いえ、違うんです……」

 後悔と反省とで自分を殴りつけたくなっていると、神崎さんがか細い声で言った。

 華奢な指先で目元を拭い、鼻をすすって俺を見る。泣き笑いのような、複雑な表情。

「真城さんが優しいから……なんか、意味もなく泣けちゃっただけなんです。嫌だったってことはありません。助けていただいて、感謝してます」
「それならいいけど……いや、きみが泣いているのにいいってこともないよな」

 彼女の涙に動揺し、自分でもなにを言っているのかわからなくなる。

 思わず前髪にくしゃっと手を入れると、神崎さんが潤んだ瞳のまま俺を見上げて微笑んだ。今度は、無理のない自然な笑顔だ。

「今度、お礼をさせてください。体の調子が戻ったらになっちゃいますけど」
「お礼? いや、そんなの必要ないよ。きみが元気になってくれればそれで」
「気を使ったわけじゃないんです。でもその、前に誘っていただいたので……ふたりで食事するのは、どうかなと思いまして……」

 チラッと俺を見た後、恥ずかしそうに俯く神崎さん。

 もしかして……あの告白未遂の時とは、心境が変わったということか?

 勝手に期待した胸が、騒がしく脈打ち始める。

 彼女が心を開き始めてくれているのだとしたら、遠慮する理由はない。

「それは、同僚として?」

 俺たち以外誰もいない廊下には、やけに声が大きく響いた。

 平静を装っているが、緊張で呼吸は浅くなり、最高潮に高まった鼓動が全身を震わせる。

 一拍ごとに、彼女への想いを叫ぶように。

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