恋は復讐の後で
 槇原美香子としての記憶は取り戻したが、ナタリアとしての記憶がない事が不安で仕方がない。

 字も読めないだけでなく、ナタリアの人間関係も思い出せない。
(ただ1人との関係を除いては⋯⋯)

 ゲームの中でも数回お茶会の舞台として登場する、白亜のロピアン侯爵邸に到着する。ガレリーナ帝国一の富豪の家だけあって、庭に咲いているバラまで最高級品であることが分かった。
 しかし、そのようなもの目に入らないくらい侯爵邸の門で私を待ち構えている忘れられない女がいた。
(エステル・ロピアン⋯⋯)

 ナタリアとしての記憶として思い出せたのはエステルとのものばかりだ。
 頭から水を掛けられたり、雪空の中外に締め出されたり。
 思い出す度に恐ろしさと憎しみで震えが止まらなくなる。

(字さえも思い出せないのに、辛い記憶は思い出すのね⋯⋯)

「今度は別の男を連れ込もうとしているの? このアバズレ女! とっとと来なさい」
 私を馬から引き摺り下ろそうとするエステルをユンケルが止めようとする。
 私は首を振って、ユンケルの行動を制した。

「今、行きます。エステル様⋯⋯」
 私は馬から降り、渦巻く怒りを必死に抑えながらお辞儀をした。

 ユンケルにキノコの入った麻袋を手渡される。
 中には悪臭を放つキノコもあるので、私は麻袋の口をそっと手で掴んで閉じた。

 今の私にはキノコがある。
 エステルに復讐する準備はできている。
  
 屋敷の中に入るなり、入り口の所でエステルが振り返って意地悪そうな顔をした。

「そこに座りなさい。あんたみたいな下品な女をこれ以上、この名門貴族であるロピアン侯爵邸に入れる訳にはいかないわ」

 私はエステルに言われた通り、床に正座した。
 するとエステルは近くにあった花瓶を手に取り、花を抜くとその水を私の頭から掛けた。

 ほのかなバラの匂いが顔や顔に纏わりつき、頬を水が伝う。
 彼女は私の顔を見ると何か嫌がらせをしないと気が済まないようだ。

 そして、侯爵令嬢と雇われているメイドという立場だとこのような理不尽な虐めが許されている。 

 メイドたちが遠巻きに私を見ている。
 彼女たちは口元に笑みを浮かべていて、私が虐められるのを楽しんでいるようにさえ見えた。
 この世界の男たちはナタリアに優しいが、女たちからは割と嫌われているらしい。

 床は硬くて冷たくて膝が痛くなる。
 その痛みを感じる度に私はエステルとの間の苦い記憶が鮮明になっていくのを感じた。
 今のように水を掛けられ、彼女の取り巻きに囲まれて私の生まれと無作法を笑いものにされたりもした。
 胸に込み上げる怒りや憎しみのような感情を抑え込み、しおらしく振る舞うことに徹っする。

「エステル様、私は自分の失態を挽回したいと思っております。ここにお情けで置いてもらっている以上、お役に立ちたいのです。ここでは、お話できない提案があるのですがお聞き頂けるでしょうか?」

 跪きながら、エステルに懇願する。
 正直、人に媚を売るのは苦手だ。

 だけれど、今、私は媚びを売っている訳ではない。
 私を虐げた人間に復讐をしようとしている。

(槇原美香子は逃げ出してしまったけれど⋯⋯私は、もう逃げない)

 エステルが訝しげに見ているので、私はサッと立ち上がり彼女の耳元でささやいた。
「媚薬の件でお話があるのです⋯⋯」

 彼女は「面白そうじゃない」と呟くと私を自分の部屋に招いた。

 桃色のカーテンに、少女趣味の家具の数々。
 彼女はその性格が表に出たようにキツイ顔をしているのに、見た目に似合わず夢見る少女のようだ。
 机には所狭しとダニエル皇子の肖像画が自分の肖像画と並べて飾ってある。
 
 彼女の部屋に入った途端、うっすらと記憶が蘇った。

 この部屋でメイドの私の目つきが気に入らないと、何度もムチで打たれた。
 その時、私のふくらはぎは傷だらけになったはずなのに、その傷はどこにいったのだろう。
 風呂に入った時も思ったが、ナタリアの体は傷1つない綺麗な体をしている。

「それで、どういう要件なの? つまらない話だったら許さないからね」
 私は抱えていた麻袋から、サッとオレンジ色をしたママルオワヒネに似たキノコを取り出した。

「うぅ、何、この耐え難い悪臭は⋯⋯」
 顔を顰めるエステルを見て私は思わず笑いそうになった。
(この匂いが堪らないんじゃない⋯⋯)

「どうです? 気持ちが高揚してきませんか?」
「な、何を言って」
 私は彼女の耳元に息を吹きかけながら囁いた。
 彼女がビクついて顔を赤くするのが分かる。

「このまま、エステル様が気持ちよくなるお手伝いをしましょうか?」
「や、ナタリア何を言ってるの? まさかこれが媚薬? 惚れ薬?」
 
 確かに媚薬は惚れ薬と呼ばれる事もある。
 でも、そのような都合の良いものが存在する訳がない。
 人の心は複雑で、エステルと私に上下関係があっても私は彼女の私への行いを許せないし制裁を加えるつもりだ。

 私がそっとドレスの上からエステルの体に触れると彼女は身震いをした。
 どうやら、このキノコの効き目はママルオワヒネより強そうだ。
 私にも効いているので、このままここにいるのはマズイ。

「エステル様⋯⋯ダニエル皇子と硬い絆を結んでください。明日にはこのキノコを加工して香水にしてお渡しします⋯⋯」
「あ、明日はダニエルの誕生祭だわ⋯⋯その香水を使って、そのままダニエルと⋯⋯」
 今にも昇天しそうな程に、エステルには媚薬キノコの効き目があるようだった。
 口元は緩み高揚して、なんともだらしのない顔をしている。
 私はサッとママルオワヒネに似た媚薬キノコを麻袋に仕舞うと、エステルの耳元にまた囁いた。

「明日は素敵な夜になりそうですね」
 最後に耳にそっと息を吹きかけると、エステルは膝からその場に崩れ落ちた。
(効きすぎでしょ⋯⋯)

 私は思わずほくそ笑みそうになる口元を隠しながら部屋を出た。

 それにしてもダニエル皇子の誕生日ということは、明日は双子のオスカー皇子の誕生日でもある。
「寝たきりで、19歳の誕生日を迎えるなんて⋯⋯」
 オスカー皇子を解毒できないか、私は頭の隅でぼんやりと考え始めていた。
< 11 / 33 >

この作品をシェア

pagetop