恋は復讐の後で
私がダニエル皇子の専属メイドとして過ごし始めて1ヶ月が経った。
彼の公務の時には手が空くので部屋に篭って、ひたすらにキノコを分類した。
粉末状にして、乾燥させて、密閉した瓶に詰める。
サプリメント代わりに栄養になりそうなキノコ。
毒薬、麻痺、幻覚を起こすキノコ。
心を高揚させ判断を鈍らせるキノコ。
成分を分析したかったが、前世のキノコ研究の知識を生かして分類するにとどまった。
きっと、またキノコが私の人生を助けてくれる気がする。
(私を虐げてきたエステルを人生の舞台から退場させたようにね⋯⋯)
人は裏切っても、キノコは裏切らない。
先週、エステルの処刑が行われた。
薄汚れた格好で断頭台に上がる彼女は私の知っている彼女とは別人だった。
いつも取り巻きに囲まれていた彼女が、平民たちから罵声を浴びさせられている。
彼女はまるで全ての感情を失ったかのようにげっそりしていた。
私は遠巻きに首が落とされる彼女を見ていたが、首が切られた後に目が合ったような感覚に囚われた。
思えば『トゥルーエンディング』において、エステルは断罪されるが身分を失い国外追放になるだけだ。
彼女の運命は私とキノコによって大きく変わった。
サントスはオスカー皇子がエステルの罪を公にした後から失踪している。
ロピアン侯爵家は帝国貴族の序列が2つ落とされたのと、領地のダイヤモンド鉱山を失った。
それでも、帝国一の財産を持つロピアン侯爵家の影響力は衰えていないらしい。
レアード皇帝が頻繁に体調を崩すようになり、私はその度にダニエル皇子に連れられ陛下に聖女の力を使っていた。
季節は寒い冬になっていた。
外は今日もしんしんと雪が降っている。
確かラリカが皇宮のメイドとして働き始めるのは雪の日だった。
初日から新人イジメに合い、バケツの水をかけられて震えていたところをダニエル皇子に発見される。
そろそろ私もここを去った方が良いだろう。
1ヶ月の皇宮勤務で、質素に暮らせば2年くらいは暮らせる資金が貯まった。
どうせならキノコ狩りができる森の近くに小さな家を借りて住みたいと夢を膨らませていた。
「まだ、慣れないのか? 1ヶ月も経つのに、入浴の手伝いの時のナタリアはいつも顔がトマトみたいに真っ赤だ」
キノコに思いを馳せていたら、ダニエル皇子の声で現実に戻された。
私が浴室で顔が赤くなるのは、別に彼の若く逞しい肉体に照れているからではない。
浴室の熱気と湿度で顔が熱くなるのだ。
ナタリアの体質なのか、変温動物のようにすぐに顔色が変わる。
サウナの中にいるようでのぼせそうで苦手な仕事だ。
「いえ、もう仕事には慣れたつもりなのですが⋯⋯」
「そう? じゃあ、次のステップに進んで見る?」
急にダニエル皇子が私の腕を引っ張ってきた。
驚きのあまり私は腕を引くと、そのまま尻餅をついてしまった。
「痛い⋯⋯」
「ナタリア、そのように怖がらなくても大丈夫なのに⋯⋯」
「怖がってはいないのですが、お風呂でのぼせて倒れた時の為にご入浴のお手伝いだけは男性にお願いした方が宜しいのではないでしょうか」
私の提案にダニエル皇子が吹き出した。
「男だったら、僕が危険な目に合うじゃないか。ナタリアが今みたいに床で滑ると危ないから、泡風呂にして一緒に入って洗ってもらおうかな」
誘惑するような目で私を見てくるダニエルは何を考えているのだろう。
恋人同士にするような提案をしてくるが、身分の差がある以上それは命令になってしまう。
(なんで、私が困るような事をわざと言ってくるの?)
「ダニエル皇子殿下、私はメイドの仕事を辞めさせて頂こうと思っています。皇宮を去るつもりです」
私は彼に一礼をすると、タオルを渡して浴室を出た。
ダニエル皇子が戸惑った顔をしているのが分かったけれど関係ない。
実は揶揄われると馬鹿にされているような気分になり不快だ。
もう十分にお金も貯まったし、お金とキノコを持って行方をくらましてしまった方が良いだろう。
私は槇原美香子であった際、研究室を去る時もそうだった。
退職すると伝えて、嫌がらせが悪化するのが怖かった。
だから突然無断欠勤をして、一方的に退職願を送った。
(今は雇い主のダニエルに退職の旨を伝えただけマシか⋯⋯)
部屋に戻って、ポケットに粉状にしたキノコを詰めた瓶と金貨を入れた。
給与を金貨に変えておいたのは正解だったようで持ち出しやすい。
(このまま、逃げてしまおう⋯⋯)
私が逃げても、誰も探さないだろう。
ナタリアの父は爵位を剥奪され国外追放になっていて、娼婦だった母は父が落ちぶれると失踪したらしい。
もうすぐ、ラリカが現れるのでダニエル皇子も新しく専属メイドを探す必要は無くなる。
部屋を出たところで、バスローブ姿のダニエル皇子が待ち構えていた。
急に退職を告げて、今ずらかろうとしていることを目撃されてしまった。
このままだと叱責されて、鞭打ちにされるかもしれない。
私は恐怖で身震いする自分の体をギュッと抱きしめた。
「ナタリア⋯⋯君を逃さないよ。僕には君しかいないんだ。心から愛してる」
そのような私を思いっきりダニエル皇子は抱きしめてきた。
先程までお風呂に入ってたからか、彼の体が暑くて良い匂いがしてクラクラした。
ダニエル皇子に手を引かれ彼の寝室に向かう。
バスローブを脱がせて、クローゼットに掛けてある夜着をとった。
彼の夜着のボタンを掛けようとすると、その手を握られた。
突然の出来事に思わず、彼の瞳を見る。
「僕の先程の言葉に一点の嘘偽りもない。ナタリア、君を心から愛している⋯⋯僕と⋯⋯」
薄暗い寝室で、燃えるような赤い髪に憂いを帯びた赤い瞳をしたダニエルが私を見つめている。
先程の愛の告白が頭から離れない。
(ダニエル皇子から告白された? ラリカじゃなくて私が?)
エステルとの婚約を破棄したばかりなのに彼は何を考えているのだろう。
頭がこんがらがっているが、心臓の動悸が凄い。
私はポケットに入っているキノコの瓶を握りしめた。
その時、突然、寝室の扉が開け放たれた。
目の前には息を切らした失踪中だったはずのマテリオ皇子がいる。
マテリオ皇子の手には血が滴る剣が握られていて、私は釘付けになった。
「ナタリアを返して欲しければ、皇位継承権を放棄しろ!」
突然、ダニエル皇子が私の体を反転させ私の髪に刺さった簪を抜いて、私の首筋に立てた。
私の命などマテリオ皇子にはどうでも良いはずなのに、なぜこのような事をダニエル皇子がするのか理解できない。
(ダニエル皇子殿下⋯⋯私を愛していると言ったのは嘘だったのね)
皇子様から「愛している」だなんて言われて浮ついてしまった自分を恥じた。
「ふっ」
自嘲気味に鼻で笑ったマテリオ皇子は剣を床に落とした。
「皇位継承権か⋯⋯そのようなもの俺には何の価値も⋯⋯」
今、マテリオ皇子がダニエル皇子の要求に従って皇位継承権を放棄しようとしている。
私は咄嗟にポケットからキノコの瓶を出して、それを思いっきりダニエル皇子の顔にかけた。
彼の公務の時には手が空くので部屋に篭って、ひたすらにキノコを分類した。
粉末状にして、乾燥させて、密閉した瓶に詰める。
サプリメント代わりに栄養になりそうなキノコ。
毒薬、麻痺、幻覚を起こすキノコ。
心を高揚させ判断を鈍らせるキノコ。
成分を分析したかったが、前世のキノコ研究の知識を生かして分類するにとどまった。
きっと、またキノコが私の人生を助けてくれる気がする。
(私を虐げてきたエステルを人生の舞台から退場させたようにね⋯⋯)
人は裏切っても、キノコは裏切らない。
先週、エステルの処刑が行われた。
薄汚れた格好で断頭台に上がる彼女は私の知っている彼女とは別人だった。
いつも取り巻きに囲まれていた彼女が、平民たちから罵声を浴びさせられている。
彼女はまるで全ての感情を失ったかのようにげっそりしていた。
私は遠巻きに首が落とされる彼女を見ていたが、首が切られた後に目が合ったような感覚に囚われた。
思えば『トゥルーエンディング』において、エステルは断罪されるが身分を失い国外追放になるだけだ。
彼女の運命は私とキノコによって大きく変わった。
サントスはオスカー皇子がエステルの罪を公にした後から失踪している。
ロピアン侯爵家は帝国貴族の序列が2つ落とされたのと、領地のダイヤモンド鉱山を失った。
それでも、帝国一の財産を持つロピアン侯爵家の影響力は衰えていないらしい。
レアード皇帝が頻繁に体調を崩すようになり、私はその度にダニエル皇子に連れられ陛下に聖女の力を使っていた。
季節は寒い冬になっていた。
外は今日もしんしんと雪が降っている。
確かラリカが皇宮のメイドとして働き始めるのは雪の日だった。
初日から新人イジメに合い、バケツの水をかけられて震えていたところをダニエル皇子に発見される。
そろそろ私もここを去った方が良いだろう。
1ヶ月の皇宮勤務で、質素に暮らせば2年くらいは暮らせる資金が貯まった。
どうせならキノコ狩りができる森の近くに小さな家を借りて住みたいと夢を膨らませていた。
「まだ、慣れないのか? 1ヶ月も経つのに、入浴の手伝いの時のナタリアはいつも顔がトマトみたいに真っ赤だ」
キノコに思いを馳せていたら、ダニエル皇子の声で現実に戻された。
私が浴室で顔が赤くなるのは、別に彼の若く逞しい肉体に照れているからではない。
浴室の熱気と湿度で顔が熱くなるのだ。
ナタリアの体質なのか、変温動物のようにすぐに顔色が変わる。
サウナの中にいるようでのぼせそうで苦手な仕事だ。
「いえ、もう仕事には慣れたつもりなのですが⋯⋯」
「そう? じゃあ、次のステップに進んで見る?」
急にダニエル皇子が私の腕を引っ張ってきた。
驚きのあまり私は腕を引くと、そのまま尻餅をついてしまった。
「痛い⋯⋯」
「ナタリア、そのように怖がらなくても大丈夫なのに⋯⋯」
「怖がってはいないのですが、お風呂でのぼせて倒れた時の為にご入浴のお手伝いだけは男性にお願いした方が宜しいのではないでしょうか」
私の提案にダニエル皇子が吹き出した。
「男だったら、僕が危険な目に合うじゃないか。ナタリアが今みたいに床で滑ると危ないから、泡風呂にして一緒に入って洗ってもらおうかな」
誘惑するような目で私を見てくるダニエルは何を考えているのだろう。
恋人同士にするような提案をしてくるが、身分の差がある以上それは命令になってしまう。
(なんで、私が困るような事をわざと言ってくるの?)
「ダニエル皇子殿下、私はメイドの仕事を辞めさせて頂こうと思っています。皇宮を去るつもりです」
私は彼に一礼をすると、タオルを渡して浴室を出た。
ダニエル皇子が戸惑った顔をしているのが分かったけれど関係ない。
実は揶揄われると馬鹿にされているような気分になり不快だ。
もう十分にお金も貯まったし、お金とキノコを持って行方をくらましてしまった方が良いだろう。
私は槇原美香子であった際、研究室を去る時もそうだった。
退職すると伝えて、嫌がらせが悪化するのが怖かった。
だから突然無断欠勤をして、一方的に退職願を送った。
(今は雇い主のダニエルに退職の旨を伝えただけマシか⋯⋯)
部屋に戻って、ポケットに粉状にしたキノコを詰めた瓶と金貨を入れた。
給与を金貨に変えておいたのは正解だったようで持ち出しやすい。
(このまま、逃げてしまおう⋯⋯)
私が逃げても、誰も探さないだろう。
ナタリアの父は爵位を剥奪され国外追放になっていて、娼婦だった母は父が落ちぶれると失踪したらしい。
もうすぐ、ラリカが現れるのでダニエル皇子も新しく専属メイドを探す必要は無くなる。
部屋を出たところで、バスローブ姿のダニエル皇子が待ち構えていた。
急に退職を告げて、今ずらかろうとしていることを目撃されてしまった。
このままだと叱責されて、鞭打ちにされるかもしれない。
私は恐怖で身震いする自分の体をギュッと抱きしめた。
「ナタリア⋯⋯君を逃さないよ。僕には君しかいないんだ。心から愛してる」
そのような私を思いっきりダニエル皇子は抱きしめてきた。
先程までお風呂に入ってたからか、彼の体が暑くて良い匂いがしてクラクラした。
ダニエル皇子に手を引かれ彼の寝室に向かう。
バスローブを脱がせて、クローゼットに掛けてある夜着をとった。
彼の夜着のボタンを掛けようとすると、その手を握られた。
突然の出来事に思わず、彼の瞳を見る。
「僕の先程の言葉に一点の嘘偽りもない。ナタリア、君を心から愛している⋯⋯僕と⋯⋯」
薄暗い寝室で、燃えるような赤い髪に憂いを帯びた赤い瞳をしたダニエルが私を見つめている。
先程の愛の告白が頭から離れない。
(ダニエル皇子から告白された? ラリカじゃなくて私が?)
エステルとの婚約を破棄したばかりなのに彼は何を考えているのだろう。
頭がこんがらがっているが、心臓の動悸が凄い。
私はポケットに入っているキノコの瓶を握りしめた。
その時、突然、寝室の扉が開け放たれた。
目の前には息を切らした失踪中だったはずのマテリオ皇子がいる。
マテリオ皇子の手には血が滴る剣が握られていて、私は釘付けになった。
「ナタリアを返して欲しければ、皇位継承権を放棄しろ!」
突然、ダニエル皇子が私の体を反転させ私の髪に刺さった簪を抜いて、私の首筋に立てた。
私の命などマテリオ皇子にはどうでも良いはずなのに、なぜこのような事をダニエル皇子がするのか理解できない。
(ダニエル皇子殿下⋯⋯私を愛していると言ったのは嘘だったのね)
皇子様から「愛している」だなんて言われて浮ついてしまった自分を恥じた。
「ふっ」
自嘲気味に鼻で笑ったマテリオ皇子は剣を床に落とした。
「皇位継承権か⋯⋯そのようなもの俺には何の価値も⋯⋯」
今、マテリオ皇子がダニエル皇子の要求に従って皇位継承権を放棄しようとしている。
私は咄嗟にポケットからキノコの瓶を出して、それを思いっきりダニエル皇子の顔にかけた。