二人乗りの帰り道〜田舎に住む女子高生は、うまく恋を始められない〜
11.鯉と蛸
今日も朝の教室で圭君と会う約束をしている。
「おはよう、葵ちゃん」
「圭君、おはよう……っ!」
朝の爽やかさに負けない爽やかな笑顔の圭君に、自然と笑顔が溢れる。
圭君は初夏の日差しみたいに、キラキラ輝いて見える。
「ベランダ行こっか?」
二人でベランダに出ると、初夏を感じる澄み渡る青空が目に鮮やかに映る。
圭君と一緒に居ると、目に映る景色が煌めいたみたいに見えて、今の全てを切り取って宝箱に大切に入れて、ひとつ残らず宝物にしたいと思ってしまう。
朝の空気が気持ちが良くて、大きく息を吸い込むと、圭君がくすりと笑うのが目に入る。
途端に、恥ずかしくなり顔に熱が集まり始める。
「葵ちゃん、今日の空気は美味しいの?」
「お、美味しい、……よ」
圭君が目を細めて、柔らかな笑みを浮かべるので、心臓が跳ね上がってしまう。
「そっか。俺も試してみようかな」
圭君が優しく笑うと、手すりにつかまって、深呼吸を何度か繰り返す。
こういうところが、優しいなと思い、頬が緩む。
圭君の横顔に向けていた視線を、初夏の青空に移すと、風に乗ってゆっくりと鳥が飛んでいくところだった。
「空を泳いだら、気持ち良さそうだな」
青空と白い鳥の光景が、今朝の車窓から見た鯉のぼりと重なり、思わず呟いた。
「ん? 葵ちゃん、飛ぶじゃなくて、泳ぐなの?」
「あ、えっとね、さっき電車の窓から鯉のぼりが泳いでいるのを見てたからだよ」
深呼吸を終えた圭君の腕が伸びて来て、優しい手がポニーテールの頭をぽんぽんと撫でる。
「葵ちゃんは、鯉のぼりが好きなの?」
「うん! 家には無いし、大きな鯉のぼりが泳ぐのって見てて気持ちいいから、泳いでいる鯉のぼりを見つけたら嬉しくて、見ちゃうかな」
今朝の鯉のぼりを思い出しながら答えると、圭君が、そうなんだ、柔らかく朗らかに笑った。
「可愛いね、葵ちゃん」
「ふえっ?」
頭の上に置かれたままの圭君の手が、温かい体温をゆっくり移動させるみたいに優しく髪を撫でている。
「子供みたいで可愛いね」
揶揄っている。圭君は優しいのに、ちょっと意地悪なことも言う。
「——圭君の意地悪……」
頬を膨らませて言えば、圭君が顔を近付けて覗き込み、両頬を大きな手で軽く押される。
「葵ちゃん蛸が出来た」
揶揄うように言われた途端に、石けんの香りが鼻を掠め、思わず圭君から目を逸らした。まだふわりと柔軟剤のような柔らかい石けんの香りが漂っていて、圭君との近すぎる距離感を意識せずには居られない。
血が全身に駆け巡り、顔も身体も赤く染まるのが分かり、恥ずかしくて視線が彷徨う。
「俺も好き」
「ふえっ?」
圭君の言葉に驚き過ぎて、彷徨っていた視線が圭君に向かう。
心臓が早鐘のように打ち続けている私の真っ赤な顔を、圭君が真っ直ぐに見つめる。
ほんの少し出来た空白の数秒に、鼓動を高鳴らせる。圭君の顔が、子供みたいな悪戯っ子の顔付きに一瞬で変化する。
「俺も好きなんだよね——鯉のぼり」
圭君は悪戯に成功したみたいに笑い、私は、かあっと顔に痛いくらい熱が集まった真っ赤な顔を隠そうと両手で覆う。
勘違いを重ねた恥ずかしさで、居た堪れなくて、視界がぼやける。
いつの間にか頭の上に置かれた手が、頭をあやすようにぽんぽんと叩いていく。
「ねえ、葵ちゃん」
優しく名前を呼ばれるけど、こんな顔を見せたくなくて、首を左右に振った。
「うん、ちょっと意地悪だったね。ごめんね」
ちらりと圭君を見ると、圭君が申し訳なさそうに眉を下げている。
私が勝手に勘違いをしたのに、圭君を困らせてしまっていると気付き、慌てて首を左右に動かす。
「あの、……私こそ、ごめんね」
「俺、葵ちゃんが素直過ぎて、心配になるよ」
圭君が苦笑して、私を見つめるけど、理由が分からず、首を傾げる。
気付けばまた圭君の手が私の髪を優しく撫でている。
「俺の鯉のぼりも大きくてさ、吹き流しに笹竜胆の家紋も入ってて、子供心に格好いいなと思ってたよ」
「そうなんだ!」
小さな頃の圭君が鯉のぼりを眺めている様子は可愛かっただろうなと思い、自然に頬が緩むように笑ってしまう。
そして、笹竜胆の家紋がどんな模様なのか調べようとひっそり決める。
見上げた圭君も私に釣られて爽やかに笑っていて、胸がほわんと温かくなった。
「ふふ、そろそろ教室戻ろうか」
「うん!」
教室に戻ろうと、圭君がベランダの扉に手を掛ける。
私の手とは違う、大きくて、男の人の手だなと思う。
「あ」
圭君が声を上げると、くるりと振り向いた。
言葉の続きが気になって、圭君を見つめる。
「さっき言い忘れたけど、俺、鯉のぼりより、茹で蛸の方が好きだよ」
「——っ……!」
悲鳴になりそうな声を必死に呑み込む。
心臓がばくばくと煩いくらいに音を立てて、血が全身を駆け巡る。顔どころか身体も、まるで茹で蛸のように真っ赤に染まっていくのが分かる。
私の様子を見た圭君が、目を細めて笑うと、頭を最後にぽんぽんと撫で、教室に戻って行った。