二人乗りの帰り道〜田舎に住む女子高生は、うまく恋を始められない〜
24. 二人乗りの帰り道
「葵ちゃん、行くよ!」
「うん……っ」
本格的な夏がまもなくやって来る。
ぱきっとした青空にもこもこな白い雲が浮かぶ下を圭君がこぎ出した二人乗りの自転車で走っていく。
◇ ◇ ◇
あの日、健介君と話した後、私と圭君は付き合うことになった。
あの後、しばらく二人でひょうたん池を見ていると、色々な鳥が遊びに来る様子が楽しくて夢中になっていたら茜色に空が染まり始めていた。
圭君は私の頬をふにふに触られながら、頑張ったご褒美が欲しいと言った。
あ、これは、今でしょう? と思って、ぐるぐる混ぜて作ったスマイルクッキーを渡したら、圭君の両手でむぎゅっとタコ顔にされた。
恥ずかしくて真っ赤になったら「茹でたこ葵ちゃんだから許す」と言われたけど、クッキーは好きみたいで、圭君ってよく分からない。
次の週、織姫駅で相変わらずメンチカツを頬張る藍川君と石ちゃんにも顔を真っ赤にして、きちんと報告をした。
藍川君は、圭君のことを「腹黒王子も天然の前では形無しだな」とにやにや言っていたけど、「圭君はドキドキの王子様だよ」と真面目に答えたら、今までで一番痛いデコピンをされて、泣いた。
文句を言おうと顔を上げたら、「恋がはじまって良かったじゃん」とすごく優しく言うから、藍川君ってよく分からない。
圭君は二人きりになると頭をぽんぽん撫でるより、頬をふにふに触るのが好きになったと思う。ふにふに感触を確かめるように触りながら、じっと見つめてくるので、鼓動が高鳴ってしまう。
そして、その理由がひとつしか思いつかなくて……。
誰もいない公園で、圭君がふにふに頬を触りながら顎を掬うように触れて来たので、思い切って圭君に、「あの、私って太ったのかな?」と小さな声で聞いたら、圭君の両手で、むぎゅぎゅっとタコ顔にされた。
不細工にしかなれないタコ顔を見られているのが、恥ずかしくて真っ赤になると「茹でたこ葵ちゃんだから許す」と爽やかな笑顔で言われた。
圭君ってたまによく分からない。
圭君と付き合い出してから、土曜日の午後は二人乗りで帰るようになっていた。
いつもは北丸公園や河原でのんびりするのだけど、今日は暑いから家においでと誘われて、急遽、初めて圭君のお家に遊びに行く途中なのだ。
夏を感じる陽射しが、キラキラ眩しくて、制服の半袖から伸びた腕は、じりじりと焦げるみたいに熱い。
梅雨が明けた稲は、ぐんぐん背が伸びて、風が吹くたびに気持ち良さそうに青々と揺れる。風の形が見えるみたいで、見ていて楽しい。
圭君はいつもこの光景を見ているんだな、と思うと、胸がきゅうっと甘く締め付けられる。
圭君が回すペダルの音と自転車が作りだす風の音だけが、鼓膜を揺らす。
見渡す限り青々とした稲が広がる田んぼしかない道には、圭君と私しかいない。世界に二人しかいないみたいに錯覚してしまう。
はじめて朝の教室で会った時みたい。
「ねえ、圭君……っ! 私達しか世界に居ないみたいじゃない?」
圭君の肩をぎゅっと掴み、大きな声で叫ぶ。
「俺も同じこと思ったよ!」
圭君も前を向いたまま大きな声で叫ぶ。
前を向いたままの圭君の耳が、ほんのり赤く染まっている。暑いのかもしれないし、照れているのかもしれないけど、そんな圭君のことが愛おしいと思った。
胸の奥から込み上げて来る愛おしさが、どんどん湧き上がり、甘いのに苦しくなってしまう。
圭君のほんのり赤い耳に、唇が触れそうなくらいに顔を近づける。
「——圭君、大好き……っ」
圭君が、急に自転車を止めて、振り向いた。
急ブレーキに驚いて、目をまん丸にしている内に、圭君の片手で、むぎゅっとタコ顔にされた。
「俺も好きだよ……」
——っ!
圭君の石鹸の匂いが鼻を掠めると、タコ顔にふにっと柔らかな感触が当たった。
「ふえっ?」
今の柔らかな感触が、圭君の唇だと気付いた途端に、全身の血が沸騰したみたいに熱くなる。「茹でたこ葵ちゃんになった」と圭君がふにふに頬を押される。
「——大好きだよ……っ」
瞳を甘く細めた圭君と見つめ合う。
圭君の石鹸の匂いがまた鼻を掠め、圭君の甘い感触が唇にそっと落とされた。
圭君と私しかいない田舎道、二人乗りの自転車がゆっくり走り出す。
この田んぼを抜けたら圭君の家まであと少し。
うまく恋を始められない私の恋は、はじまったばかり。
おしまい