二人乗りの帰り道〜田舎に住む女子高生は、うまく恋を始められない〜
4.朝の教室と一番乗り
電車を降りて、西高までの十五分間、芽依先生の恋愛講座は続いた。
『三つのing』が、恋に落ちる、両想いになるために必要な要素らしい。
芽依の話に頷きながら、昨日の出来事を照らし合わせてみる。
相沢君のさり気ない優しさや苗字あるあるに惹かれたフィーリング、二人乗りや桜の吹雪を見る事になったハプニング、そして何より、まだ私のことを知らない初日だったタイミングが一番大きいなと思う。
これが、クラスに馴染んだ頃だったらきっと信じられないと思う。
高校初日の私を知らない人だと思うから、安心して行為を好意だと受け入れる事が出来たのだと思う。
相沢君のことを思い出すと、胸の奥がきゅう、と苦しいのに、じわりと甘く温かくなるような、足元がふわふわするような感覚になる。
はあ、と大きく息を吐いて、芽依の腕を掴む。
「ねえ、芽依——どうしたら、いいのかな?」
「このままでいいんじゃないかな? 焦るような事じゃないでしょう?」
芽依が、私を優しい目で見つめると、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。
西高に到着したので、芽依と分かれ、自分の教室へ向かった。
逆方向の下り電車に乗ってくる生徒が大半なので、もしかしたら一番乗りかもな、と思っていると、後ろから、ぽんっと肩を叩かれた。
「渡辺さん、おはよう!」
「——っ!」
振り向かなくても、誰なのか分かった。
胸がどきんと高鳴る。嬉しいけれど、心臓はどくどくと音を立てる。
はやる気持ちのまま振り向くと、朝の爽やかさに負けない、笑顔の眩しい相沢君が立っていた。
「お、おはよう——あ、あの、昨日は、ありがとう」
朝一番から噛んでしまい、恥ずかしくて頬が熱い。
相沢君は、噛んだことを気にする様子も無く、会話を進めてくれる。こういうところが、優しいな、と思う。
「どういたしまして。渡辺さん、朝早いね」
「上り電車はこの時間じゃないと、ギリギリになっちゃうの。相沢君こそ、自転車なのに早いね?」
「実はさ、一番乗り狙ってたんだよ」
照れたように頬を触る相沢君が、可愛らしい。
初めて見る相沢君の様子に、思わず頬が緩んでしまう。
「俺、朝の誰もいない教室って好きなんだよね」
「あっ、分かる! 私もだよ!」
「同じだ! じゃあ一緒に、一番乗りしよっか?」
「うん!」
また相沢君と、同じ、が増えた。
再び胸の奥が、きゅう、と鷲掴みにされる。
隣に並ぶ相沢君に私のうるさい心臓の音が聞こえていませんように、と願う間もなく教室に着いた。
残念なような、ほっとしたような、複雑な気持ちで教室の扉の前に立つ。
「じゃあ、いい?」
相沢君が楽しそうに扉に手を掛けて、私に合図を求める。
相沢君の綺麗な長くて細い指が目に映る。血管が少し浮き出ていて、男らしい部分を見つけてしまい、どきりと心臓が跳ねる。
返事が遅れたせいか、相沢君が私を覗きこむように顔を近づけるので、ふわっと石けんみたいな柔軟剤の匂いが鼻を掠め、私は慌てて頷いた。
相沢君が近づいて来た時は、心臓が飛び上がるくらい驚いたのに、相沢君が離れて行くと、途端に寂しく感じてしまう自分に呆れてしまう。
二人で足を踏み入れた誰もいない朝の教室は、窓から柔らかく光が差し込み、とても静かで、世界に相沢君と私しか居ないみたいな錯覚をしてしまった。
「なんかさ、俺達しか世界に居ないみたいじゃない?」
また相沢君と同じことを思っていて、息を呑んだ。
目を見開いて、相沢君を見上げると、ほんのり耳が赤くなった相沢君と目が合った。
「ごめん——俺、今、恥ずかしいこと言ったよね? ごめん、忘れて!」
片手で顔を覆う相沢君が可愛い。
動揺する相沢君が可愛くて、じっと見つめていると、「渡辺さん、こっち見ないで」と背を向けてしまう。
どんな相沢君も見たいと思ってしまう私は欲張りなんだと思う。
手を伸ばし、相沢君のブレザーの裾を、くいっと引っ張る。相沢君が眉毛を下げて、顔を私に向けてくれる。やっぱり優しいな、と思う。
「あのね、私も同じこと思ったよ」
言った途端に、恥ずかしくなって、顔に熱が集まる。
相沢君も色が落ち着きかけた耳が、もう一度赤く染まる。相沢君の視線が宙を彷徨い、私に向けられる。
「そっか、ならよかった、かな。——あのさ、折角だから、ベランダも一番乗りしない?」
「う、うん」
相沢君が赤い顔のまま提案してくれる。
出席番号順に並んだ私の席は、最初の相沢君から一番遠い、最後の席。
このまま相沢君と分かれて、斜め対角線の席に向かうのは、離れがたい気持ちがしていて、相沢君もそうだったらいいな、と思ってしまう。
二人でベランダに出ると、春の匂いがふわりと感じる。ベランダの手すりにもたれると、昨日二人乗りした桜並木が小さく見える。
相沢君が目を細め、遠くを眺める横顔をちらりと見上げる。鼻が高くて、顎のラインが綺麗だな、と見惚れてしまう。
「一番乗りをしたかったのも本当なんだけど、時刻表見たら、もしかして、早い時間の上り電車に渡辺さんが乗ってるかな、ってちょっと期待してたんだ」
相沢君が前を向いたまま、少し早口で話し終える。形の良い耳が赤く染まっている。
柔らかな春風が、熱を持った頬を撫でていく。
「明日も、俺、渡辺さんに一番乗りで会いたいかも」
相沢君に真っ直ぐ見つめられ、「私も……」と小さな声で答えた。
「また明日——約束ね?」
「——っ!」
相沢君が、私の返事に嬉しそうに目を細め、照れたように甘い笑みを溢すと、覗きこむように頭をぽんぽんと撫でられた。
ぼんっと顔から音が出たと思う。声にならない声が溢れる。身体中が心臓になったみたいに、鼓動を感じる。
「そろそろ他の人が来るから、教室に戻ろっか」
相沢君に言われ、時間を確認すると、思っていたより長い時間ベランダに居たのだと気付いた。楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうけど、『また明日』の約束をしたから、先程みたいに離れがたい気持ちは感じない。
胸の奥が、ほわり、と温かくなった。