森の引きこもり魔法使いと惚れ薬
2魔女と使い魔
西の森。そこは街の隣に広がるおだやかな場所だった。
市壁からすぐの辺りには薪やキノコを採りに人々が普通に出入りしているし、私だって来たことがあるのよ。でも。
「この奥に魔女さんが住んでるなんて知らなかったわぁ……」
店番のアビーさんに教えられた森の道をたどりながら私はつぶやいた。
街まで通じている小川に沿ってさかのぼれ、と言われたの。どこまで行けばいいのかな。そんなに遠くないそうだけど。
あまり人が歩かない小路は細かった。
だけど怖くはないのよ。奥へ進んでも木立は明るく、初夏の葉が陽の光にきらめいて美しい。ときおり抜ける風が、土と草の香りを運んでくれた。
「こんなに素敵なところなのに、誰にも会わないなんてヘンなの」
――本気でそう思ったわ。道の先に現れた小屋も、とってもいい雰囲気だったんだもの。
木々が開けた広場にあったのは丸太を組んだ家だった。板を葺いた屋根の上にはところどころ草が生え、黄色い小花を咲かせてる。すぐ脇にはこんこんと水の湧く泉があって、それがたどってきた小川の水源だったらしい。
「なんて可愛い!」
魔女の家なんていうから少しビクビクしてたけど、これなら大丈夫そうね。私はウキウキと扉を叩こうとした。
ギイィ。
私の手より早く、勝手に扉が開く。のに、誰もいない。
「え」
ぎょっとして一歩下がったら、足元に可愛らしい犬がいた。
おいしく焼けたパンみたいな色の、ふわっふわの毛並み。この子が扉を開けたのかな――んなわけないか。
「ごめんね。中に入れてくれる?」
犬に話しかけてみたら、ちょこんと横にどいてくれた。あらおりこうさん。
「ありがと。あのー、お邪魔します、アビーさんに言われて来たのですけど」
中に入って声をかけると、奥の机でゆらりと立ち上がる人がいた。
家の中なのに、その人は暗い色のマントを羽織ったままだった。フードも目深にしていて顔がよく見えない。不機嫌に結ばれた口もとは、かなり若い感じ。そして背が高い。
「あの、私リアといいます。街のアビーさんの店で惚れ薬をお願いしたら、こちらに行くようにと」
「は、惚れ薬だと?」
嘲笑うような男性の声が響いた。しかもすぐ足元から。驚いて見ると、そこにいたのはさっきのワンコ。
「え……?」
「聞いて驚け。しゃべってるのは俺だ」
わふわふ、といわんばかりに尻尾を振っているのに、その口が動くと人間の言葉が出てきた。
ひゃああぁん!
私はズシャアッとその場に座り込んだ。
「うっそ! すごい、あなたがお話してるの? こんなに可愛いのに、おじさまな声なんだけど! ねえ、もっとしゃべってみてくれない?」
「……適応の早い女だな」
なるべく視線が合うように低くなった私を見つめ、犬が呆れたように言う。
だって、犬と意思疎通できるのよ?
うわー、うわー、何これ素敵。
「本当に魔女の家なのね。こんな魔法が使えるなんて。あ、まさか魔女ってあなたの方だったりする?」
「さすがに違うぜ。俺はあっちのマントの使い魔だ」
「あ、そうなんだ」
可愛いワンコの話し方はけっこうワイルド。でもそんなギャップもたまらない。
使い魔だなんて言われてもよくわからないけど、やっぱり訪ねる相手はマントの魔女さんの方なのか。私はあわてて立ち上がった。
「ごめんなさい、お話しできる犬なんて初めてで、つい。それで惚れ薬なんですけど」
「あ、話すのは俺にでいいぜ」
「はい?」
足元から言われて下を見る。
「あいつはどうせしゃべらねえ。考えてることは俺がわかるから、通訳してやる」
「……通、訳?」
犬が。
「言っとくが口はきける。話すのが嫌いなだけだ。だそうだ」
「だそうだって……あ、今のは魔女さんの言葉?」
「ああ」
なんともおかしな仕組みだけれど、それで通じるなら別にまあ。
その時魔女さんが私の手に目をとめた――ような気がした。フードのせいではっきり視線がわからないのよ。
「リア、怪我してるのかって」
「あ、はい」
「傷薬サービスしてやるから、さっさと治せ」
「……アリガトございマス」
親切なんだけど言い方が。このワンコの通訳のせいかしら。
出された薬のフタを開け、すりむいて赤かった手の甲に塗る。ヒョイとスカートをたくし上げて、膝とふくらはぎの傷にも。
ガタッ! と音がした。顔を上げたら魔女さんがよろけて机に突っ伏しそうになっていた。ワンコがわめく。
「脚も怪我してんのかよッ」
「あ、うん。お屋敷でも薬は塗ったんだけどね」
「ッたく――ウチの薬は効き目が違うぜ」
犬なのに、なんだかドヤ顔――と思って見たら、手の傷が薄くなっていた。凝視する間にもどんどん赤みが消えていく。
「え……」
「どうよ」
スウッと消えてなくなった傷跡に、私は目を丸くした。
「す、すごっ。本当に魔法だわ!」
「だからスカートめくるな!」
脚も確認して驚きの声を上げたら噛みつかんばかりに怒られた。そうか、このワンコさん男性よね。目の前でごめんなさい。
それにしてもすごい効き目。感動した私は魔女さんに駆け寄った。目をそらされたので手を取って礼を言う。
「ありがとうござい――あ、れ?」
その手はがっしりと大きかった。乱暴に振り払うその人の、マントの隙間から――喉ぼとけ。
「――男の人?」
フードの陰の顔はとても若く――十七歳の私と同じぐらいの男性がそこにいた。腕で顔を隠しながら無言でにらんでくる。あれ。
……なんか怒らせたかも。
市壁からすぐの辺りには薪やキノコを採りに人々が普通に出入りしているし、私だって来たことがあるのよ。でも。
「この奥に魔女さんが住んでるなんて知らなかったわぁ……」
店番のアビーさんに教えられた森の道をたどりながら私はつぶやいた。
街まで通じている小川に沿ってさかのぼれ、と言われたの。どこまで行けばいいのかな。そんなに遠くないそうだけど。
あまり人が歩かない小路は細かった。
だけど怖くはないのよ。奥へ進んでも木立は明るく、初夏の葉が陽の光にきらめいて美しい。ときおり抜ける風が、土と草の香りを運んでくれた。
「こんなに素敵なところなのに、誰にも会わないなんてヘンなの」
――本気でそう思ったわ。道の先に現れた小屋も、とってもいい雰囲気だったんだもの。
木々が開けた広場にあったのは丸太を組んだ家だった。板を葺いた屋根の上にはところどころ草が生え、黄色い小花を咲かせてる。すぐ脇にはこんこんと水の湧く泉があって、それがたどってきた小川の水源だったらしい。
「なんて可愛い!」
魔女の家なんていうから少しビクビクしてたけど、これなら大丈夫そうね。私はウキウキと扉を叩こうとした。
ギイィ。
私の手より早く、勝手に扉が開く。のに、誰もいない。
「え」
ぎょっとして一歩下がったら、足元に可愛らしい犬がいた。
おいしく焼けたパンみたいな色の、ふわっふわの毛並み。この子が扉を開けたのかな――んなわけないか。
「ごめんね。中に入れてくれる?」
犬に話しかけてみたら、ちょこんと横にどいてくれた。あらおりこうさん。
「ありがと。あのー、お邪魔します、アビーさんに言われて来たのですけど」
中に入って声をかけると、奥の机でゆらりと立ち上がる人がいた。
家の中なのに、その人は暗い色のマントを羽織ったままだった。フードも目深にしていて顔がよく見えない。不機嫌に結ばれた口もとは、かなり若い感じ。そして背が高い。
「あの、私リアといいます。街のアビーさんの店で惚れ薬をお願いしたら、こちらに行くようにと」
「は、惚れ薬だと?」
嘲笑うような男性の声が響いた。しかもすぐ足元から。驚いて見ると、そこにいたのはさっきのワンコ。
「え……?」
「聞いて驚け。しゃべってるのは俺だ」
わふわふ、といわんばかりに尻尾を振っているのに、その口が動くと人間の言葉が出てきた。
ひゃああぁん!
私はズシャアッとその場に座り込んだ。
「うっそ! すごい、あなたがお話してるの? こんなに可愛いのに、おじさまな声なんだけど! ねえ、もっとしゃべってみてくれない?」
「……適応の早い女だな」
なるべく視線が合うように低くなった私を見つめ、犬が呆れたように言う。
だって、犬と意思疎通できるのよ?
うわー、うわー、何これ素敵。
「本当に魔女の家なのね。こんな魔法が使えるなんて。あ、まさか魔女ってあなたの方だったりする?」
「さすがに違うぜ。俺はあっちのマントの使い魔だ」
「あ、そうなんだ」
可愛いワンコの話し方はけっこうワイルド。でもそんなギャップもたまらない。
使い魔だなんて言われてもよくわからないけど、やっぱり訪ねる相手はマントの魔女さんの方なのか。私はあわてて立ち上がった。
「ごめんなさい、お話しできる犬なんて初めてで、つい。それで惚れ薬なんですけど」
「あ、話すのは俺にでいいぜ」
「はい?」
足元から言われて下を見る。
「あいつはどうせしゃべらねえ。考えてることは俺がわかるから、通訳してやる」
「……通、訳?」
犬が。
「言っとくが口はきける。話すのが嫌いなだけだ。だそうだ」
「だそうだって……あ、今のは魔女さんの言葉?」
「ああ」
なんともおかしな仕組みだけれど、それで通じるなら別にまあ。
その時魔女さんが私の手に目をとめた――ような気がした。フードのせいではっきり視線がわからないのよ。
「リア、怪我してるのかって」
「あ、はい」
「傷薬サービスしてやるから、さっさと治せ」
「……アリガトございマス」
親切なんだけど言い方が。このワンコの通訳のせいかしら。
出された薬のフタを開け、すりむいて赤かった手の甲に塗る。ヒョイとスカートをたくし上げて、膝とふくらはぎの傷にも。
ガタッ! と音がした。顔を上げたら魔女さんがよろけて机に突っ伏しそうになっていた。ワンコがわめく。
「脚も怪我してんのかよッ」
「あ、うん。お屋敷でも薬は塗ったんだけどね」
「ッたく――ウチの薬は効き目が違うぜ」
犬なのに、なんだかドヤ顔――と思って見たら、手の傷が薄くなっていた。凝視する間にもどんどん赤みが消えていく。
「え……」
「どうよ」
スウッと消えてなくなった傷跡に、私は目を丸くした。
「す、すごっ。本当に魔法だわ!」
「だからスカートめくるな!」
脚も確認して驚きの声を上げたら噛みつかんばかりに怒られた。そうか、このワンコさん男性よね。目の前でごめんなさい。
それにしてもすごい効き目。感動した私は魔女さんに駆け寄った。目をそらされたので手を取って礼を言う。
「ありがとうござい――あ、れ?」
その手はがっしりと大きかった。乱暴に振り払うその人の、マントの隙間から――喉ぼとけ。
「――男の人?」
フードの陰の顔はとても若く――十七歳の私と同じぐらいの男性がそこにいた。腕で顔を隠しながら無言でにらんでくる。あれ。
……なんか怒らせたかも。