森の引きこもり魔法使いと惚れ薬
4夜の森とマント
そんな恥辱の果てに集めた私の涙は、まだ加工しなきゃならないらしい。
「月の光に一晩さらすんだ。今夜うまく雲がかからなければ、明日で薬に仕上げられるんだが」
フードに隠れてしまったクリスに代わり、ジェムが説明してくれる。
「安全をみて、明後日だな。もう一度来てもらわなきゃならねえのは悪いんだが」
「ううん、また来られるなんて嬉しい。誰にも会わないのが不思議なくらい素敵な森の散歩道だったもの」
「おう、それは結界のせいだぜ」
「けっかい……?」
この魔女の家にむやみと人が来ないよう、目くらましの術がかかっているそうだ。普通の人は途中で折り返してしまうらしい。私はアビーさんの許可があったから通れたんですって。
「あれ、じゃあ薬を取りに来れなくない?」
「……」
クリスが私にスイと指をかざした。
「一度だけたどり着けるよう印をつけた――ホント、自分で言って?」
うんざり顔のジェムに吹き出してしまった。ずっとこれじゃ世話が焼けてしょうがないわね。クリスはどうやらすごい魔法使いなんだけど、ジェムがいないとお客さんの相手もできなそう。
私はおしゃべりなワンコに手を振った。
「じゃあ明後日また来るわ」
クリスにも会釈して、扉を開ける。そして私は立ちどまった。
――何故か、日暮れだった。
「え……そんな時間? 今まで窓の外、明るかったよね……?」
「――アビーッ!」
小さくクリスが毒づいた。振り返った私と視線が合って、サッと両手でフードを目深にする。あら、珍しく感情的になったと思ったのに。
ジェムが肩をすくめた。犬なのに器用だ。
「アビーのいたずらだな。家の中の時間がおかしくなってたみたいだ。なーんか変な感じがするとは思ってたが」
「いたずら……? どうしよう、これ森を抜ける前に暗くなっちゃう」
「うちに泊めるか、送っていくか」
泊まるって、そんなわけには。おろおろしてたらクリスがボソッとつぶやいた。
「送る」
「クリスが行けよ? 小型犬がついて歩いてても護衛にならねえ」
硬い顔でクリスはうなずいた。どうしよう、なんだか申し訳ない。
心配そうな私を見てジェムがチョンと前足で蹴とばしてきた。
「いーんだよ。アビーのせいなんだから、弟子のこいつが尻ぬぐいすんのは当たり前だ」
「弟子?」
「おう。アビーはマジもんの魔女だぜ」
「えええ!」
だって鍛冶屋のおかみさんにしか見えなかったのに! クリスのお師匠様なの?
驚いているとクリスはさっさと外に出た。手にはランタンを持っている。ずっとマントも着たままだったから、他にはなんの支度もいらないみたい。
「んじゃ、行ってらー」
「あ、ジェムありがとう。またね」
留守番の態勢で敷物の上に座り込んだジェムに別れを告げて、私はクリスの後を追った。
暗くなりつつある森の小路を並んで歩きながら言ってみた。
「送ってくれて、ありがと」
「……」
黙り込むクリスの横顔をうかがっても、私には何もわからない。
困ったな、会話も通訳もなしにずっと歩くのかしら。夜が迫り、無言だとちょっと落ち着かなかった。
周囲の森は宵闇に沈みかけている。
空を仰いだら梢の木の葉の隙間にのぞくのは透き通る藍色。もう星がまたたき始めていた。
「足元」
ひと言クリスがつぶやく。少し先に木の根が張り出しているのがランタンの灯りで見えた。
「ありがとう」
「……」
――いい人なんだな、と思った。ちゃんと私のこと気にかけて安全に送り届けようとしてくれてるんだ。少し、いえかなり無口だけど、悪気はないんだわ。
そういう人だと割り切ることにして、しばらく黙って歩いた。チラリと視線を送られたので、微笑み返した。ブスッと目をそらされた。
――いい人、かな? なんか自信がなくなってくる。
「ひゃ!」
頭の上でホー、と低い響きがして、私は小さく悲鳴をもらした。
うわ、恥ずかしい。これフクロウよね。それぐらい知ってるけど実際に聞いたことはないからびっくりしたの。夜の森なんて初めてだから。
身をすくめた私をまたクリスがチラリと見る。
「……」
無言で手を出された。え、えーと。
「つないでくれるの?」
クリスは何も言わずに私の手首をつかむ。そして自分のマントに触れさせた。
「あ、マントにつかまっていいってこと……」
うなずくクリスはものすごくブスッとしていた。引き結んだ唇がランタンの灯りに揺れる。でも目は私の様子をうかがっていて――。
この人、怒ってるわけじゃないんだ。きっと困ってるだけ。人と接してこなかったから、どうすればいいのかわからなくて。
「ありがとう」
そっとマントの端を握った。そうね、私だって手をつなぐなんて恥ずかしいもん。
私とクリスはマントの布でつながったまま森を行く。
こうしているだけでも心細くない。だってクリスはすごい魔法使いなのよ、たぶん盗賊が出たって大丈夫。知らないけど。
黙っているのにも慣れた頃、突然クリスがこちらを向いた。
「リアが、使うのか」
ボソリと言われてびっくりした。
「え、と。何?」
「薬」
「ああ、惚れ薬? 違うわ。お嬢さまに頼まれたの。私はただの小間使いだし、そんなにお金もないから」
アビーさんにはそれなりの金額をお支払いしたんだもの。
それきり何も言わないクリスと二人、また黙々と歩く。揺れるランタンの灯りを見つめていると不思議に落ち着いた。
こうしていると夜の森も心地のいい場所かもね。
「月の光に一晩さらすんだ。今夜うまく雲がかからなければ、明日で薬に仕上げられるんだが」
フードに隠れてしまったクリスに代わり、ジェムが説明してくれる。
「安全をみて、明後日だな。もう一度来てもらわなきゃならねえのは悪いんだが」
「ううん、また来られるなんて嬉しい。誰にも会わないのが不思議なくらい素敵な森の散歩道だったもの」
「おう、それは結界のせいだぜ」
「けっかい……?」
この魔女の家にむやみと人が来ないよう、目くらましの術がかかっているそうだ。普通の人は途中で折り返してしまうらしい。私はアビーさんの許可があったから通れたんですって。
「あれ、じゃあ薬を取りに来れなくない?」
「……」
クリスが私にスイと指をかざした。
「一度だけたどり着けるよう印をつけた――ホント、自分で言って?」
うんざり顔のジェムに吹き出してしまった。ずっとこれじゃ世話が焼けてしょうがないわね。クリスはどうやらすごい魔法使いなんだけど、ジェムがいないとお客さんの相手もできなそう。
私はおしゃべりなワンコに手を振った。
「じゃあ明後日また来るわ」
クリスにも会釈して、扉を開ける。そして私は立ちどまった。
――何故か、日暮れだった。
「え……そんな時間? 今まで窓の外、明るかったよね……?」
「――アビーッ!」
小さくクリスが毒づいた。振り返った私と視線が合って、サッと両手でフードを目深にする。あら、珍しく感情的になったと思ったのに。
ジェムが肩をすくめた。犬なのに器用だ。
「アビーのいたずらだな。家の中の時間がおかしくなってたみたいだ。なーんか変な感じがするとは思ってたが」
「いたずら……? どうしよう、これ森を抜ける前に暗くなっちゃう」
「うちに泊めるか、送っていくか」
泊まるって、そんなわけには。おろおろしてたらクリスがボソッとつぶやいた。
「送る」
「クリスが行けよ? 小型犬がついて歩いてても護衛にならねえ」
硬い顔でクリスはうなずいた。どうしよう、なんだか申し訳ない。
心配そうな私を見てジェムがチョンと前足で蹴とばしてきた。
「いーんだよ。アビーのせいなんだから、弟子のこいつが尻ぬぐいすんのは当たり前だ」
「弟子?」
「おう。アビーはマジもんの魔女だぜ」
「えええ!」
だって鍛冶屋のおかみさんにしか見えなかったのに! クリスのお師匠様なの?
驚いているとクリスはさっさと外に出た。手にはランタンを持っている。ずっとマントも着たままだったから、他にはなんの支度もいらないみたい。
「んじゃ、行ってらー」
「あ、ジェムありがとう。またね」
留守番の態勢で敷物の上に座り込んだジェムに別れを告げて、私はクリスの後を追った。
暗くなりつつある森の小路を並んで歩きながら言ってみた。
「送ってくれて、ありがと」
「……」
黙り込むクリスの横顔をうかがっても、私には何もわからない。
困ったな、会話も通訳もなしにずっと歩くのかしら。夜が迫り、無言だとちょっと落ち着かなかった。
周囲の森は宵闇に沈みかけている。
空を仰いだら梢の木の葉の隙間にのぞくのは透き通る藍色。もう星がまたたき始めていた。
「足元」
ひと言クリスがつぶやく。少し先に木の根が張り出しているのがランタンの灯りで見えた。
「ありがとう」
「……」
――いい人なんだな、と思った。ちゃんと私のこと気にかけて安全に送り届けようとしてくれてるんだ。少し、いえかなり無口だけど、悪気はないんだわ。
そういう人だと割り切ることにして、しばらく黙って歩いた。チラリと視線を送られたので、微笑み返した。ブスッと目をそらされた。
――いい人、かな? なんか自信がなくなってくる。
「ひゃ!」
頭の上でホー、と低い響きがして、私は小さく悲鳴をもらした。
うわ、恥ずかしい。これフクロウよね。それぐらい知ってるけど実際に聞いたことはないからびっくりしたの。夜の森なんて初めてだから。
身をすくめた私をまたクリスがチラリと見る。
「……」
無言で手を出された。え、えーと。
「つないでくれるの?」
クリスは何も言わずに私の手首をつかむ。そして自分のマントに触れさせた。
「あ、マントにつかまっていいってこと……」
うなずくクリスはものすごくブスッとしていた。引き結んだ唇がランタンの灯りに揺れる。でも目は私の様子をうかがっていて――。
この人、怒ってるわけじゃないんだ。きっと困ってるだけ。人と接してこなかったから、どうすればいいのかわからなくて。
「ありがとう」
そっとマントの端を握った。そうね、私だって手をつなぐなんて恥ずかしいもん。
私とクリスはマントの布でつながったまま森を行く。
こうしているだけでも心細くない。だってクリスはすごい魔法使いなのよ、たぶん盗賊が出たって大丈夫。知らないけど。
黙っているのにも慣れた頃、突然クリスがこちらを向いた。
「リアが、使うのか」
ボソリと言われてびっくりした。
「え、と。何?」
「薬」
「ああ、惚れ薬? 違うわ。お嬢さまに頼まれたの。私はただの小間使いだし、そんなにお金もないから」
アビーさんにはそれなりの金額をお支払いしたんだもの。
それきり何も言わないクリスと二人、また黙々と歩く。揺れるランタンの灯りを見つめていると不思議に落ち着いた。
こうしていると夜の森も心地のいい場所かもね。