森の引きこもり魔法使いと惚れ薬
5失敗と勇気
「お帰り!」
森の出口で笑って迎えてくれたのはアビーさんだった。ひと目見てクリスがうめく。
「アビー!」
「たまにゃ人里に出なさいってことよ、この子は」
アビーさんは自分より背の高い弟子の頭をポンポンとなでて笑顔――どうやら私は引きこもり魔法使いを森から出すダシにされたらしい。
……なんかもう、ヘンな笑いしか出ないわよ。とりあえず文句は言ってみる。
「アビーさん、ひどくないですか」
「あはは、ゴメンね。クリスがあんまり人見知りだから、ちょっとしびれをきらして。先々を考えるとさあ」
アビーさんは私とクリスの肩をバンバン叩いた。
「まあ、そうでしょうけど……」
「……」
「ほら、何かお言い。自分のことだよ!」
アビーさんはクリスの頭をひっぱたいた。フードがずれてボサボサの黒髪がはみ出す。肩にかかるほどの長さの髪をフードにしまいながらも、クリスは無言。
「クリスってこんなだもの。リアちゃんは可愛いし、刺激になればって思ったのよ」
「へ?」
「女の子を夜の森に放り出したらシバこうと思ってた。でもやっぱり泊めるより送ってきたか。つまんない」
ケタケタ笑われて、ものすごく嫌そうにクリスがつぶやいた。
「……ウゼェ」
「あぁン?」
聞きつけたアビーさんは態度の悪い弟子の胸ぐらをつかむ。
「あんたが女の子とろくに話もできないからでしょうが。嫁を取れとか言ってるんじゃないよ、まずは客ぐらいあしらってから言いな」
「……」
「――男のお客さんなら、クリスも話せるんですか?」
クリスがだんまりを決め込むので訊いてみた。アビーさんが肩をすくめる。
「少しはね。リアちゃん相手ではどれぐらい話せた?」
「ええと……」
記憶をたどり指を折る私を見てアビーさんは爆笑した。
「まあ少しでも話したなら進歩かな。ありがとありがと。じゃあね、お嬢さんの作戦の成功を祈ってるわ」
「あ、まだ薬はできてなくて」
「え?」
アビーさんの目がキラン、と光った。
* * *
二日後、お屋敷に現れたクリスはとんでもなく不審者だった。
深くかぶったフードとマント。うつむいた顔。定まらない視線。よく取り次いでもらえたものだわ。
あの日のアビーさんはとても厳しくてね。薬を作ったらお屋敷に届けに行くこと、とクリスに命じたの。
『街を歩くぐらい、できるよね? 子どもじゃないんだから』
あおられて渋々うなずいたクリス。
お屋敷に来るのはできたけど、私を呼び出してもらうのが難しかったらしい。門前でウロウロしすぎて誰何されたんですって。
知らされた私は門に駆けつけた。
「クリス!」
「……」
クリスは無言で薬瓶を私に突きつけた。
私を見てかすかにホッとしているように思えたのはうぬぼれかな。でも私はとても焦っていた。
「間に合った! ダグラス様がいらしてるのよ」
この惚れ薬を使う相手、ダグラス様。
お嬢さまではなく旦那さまに面会を申し込んだということは、正式に婚約破棄の話をしに来たのだと思う。
私はクリスの腕を引っ張って走り出した。引きずられるクリスが目を白黒させているのにかまわず尋ねる。
「これ、どうすればいいの?」
「……」
クリスは口をパクパクするけど言葉が出てこない。ああもう、薬の用法を教えてよ!
「飲ませるの?」
首を横に振られてイライラし怒鳴った。
「はっきりしなさい!」
「――か、顔に」
気圧されたように、クリスはひと言しゃべった。
「顔にかけるのね?」
ブンブンうなずくクリス。
おっけー!
カップに入れて、お茶のふりしてローズ様がうっかり引っくり返せばいいわ!
「ローズ様!」
応接室の前で落ち着かないローズお嬢さまに薬を差し出す。
「リア! これが?」
「はい。ダグラス様のお顔にかけるんだそうです」
「わかったわ。ビシャッとやってやる!」
え――キュポンと栓を抜くと、ローズ様は荒々しくドアを開けた。
いやそんな、お茶をよそおうぐらいしましょうよ! 私は慌てて追いすがった。
硬い表情で座っている旦那さまとダグラス様がこちらを振り向く。
「「ローズ!?」」
「ダグラス様の、ばかっ!」
ばっしゃん。
「――え?」
いきなり薬を浴びせられ、ダグラス様は茫然となった。とっさに横を向いたもののガッツリ食らったわね。
「タ、タオルをお持ちしましょうか……?」
進み出てビクビクしながら声をかけた私に、ダグラス様は視線を上げた。
目が合う。
マジマジと見つめられ――。
「君の名は?」
「はひ?」
熱っぽい声で言われ、私は妙な返事をしてしまった。そんな私から目を離さずに、ダグラス様は立ち上がる。
「なんて愛らしい人だ。今までどこに隠れていたんだい? 私を焦らしていたのかな」
「ダグラス様!?」
ローズ様が悲鳴を上げる。歯の浮くセリフに私は鳥肌が立った。なのにズズイと歩み寄られ、手を取られる。反射的に振り払った。微笑みがキモい。
「つれない素振りはよしてくれ、愛しい人よ」
「ダ、ダグラス君! 婚約破棄とは、うちの小間使いとそんな関係だったからかッ!」
「いえいえいえ私は違います!」
旦那さままで変なこと言わないで下さい! ていうかもう破棄の申し入れしちゃってたのね! そりゃそうか!
「リア! あなたに裏切られるなんて!」
「裏切ってないですッ!」
ローズ様もしっかりして! これ薬のせいだから! あなたがブッかけたんでしょうが! てか、どうして私に惚れるのよ!
「ああ、君はリアというのかい? 私の子猫ちゃん」
「誰が子猫!?」
ダグラス様が腕を伸ばして近づいてきて、私はパニックだった。目がとろんとしてるんだもの。怖い怖い怖い!
逃げようと後ずさったら、フワリと何かに包まれた。そしてその中で私をかばう力強い片腕。
「クリス――!」
私はマントにくるまれていた。
見上げたクリスは相変わらずの無表情で、だけど私を引き寄せる腕が少し震えていて、頑張って助けに来てくれたのが嬉しくて――なんだか嘘みたいに私の鼓動はうるさくなる。
そしてクリスは片手を動かした。
パシャーン!
また至近距離で何かを顔に浴びせられたダグラス様が動きを止めた。
「――あ、あれ?」
金髪から薬をしたたらせて頭を振るダグラス様――なんだか、正気に戻った?
「……中和、薬」
クリスがボソッとつぶやく。
ああ――安心した私はへたりこみそうになった。慌てたクリスが薬瓶を放り出して支えてくれる。
私からもクリスにしがみついて見上げたら目と目が合った。クリスが真っ赤になり、片手でギュッとフードをおろした。
だけど私を支える手は放さないでいてくれて――私はキュゥーン、となっちゃったのよ。
森の出口で笑って迎えてくれたのはアビーさんだった。ひと目見てクリスがうめく。
「アビー!」
「たまにゃ人里に出なさいってことよ、この子は」
アビーさんは自分より背の高い弟子の頭をポンポンとなでて笑顔――どうやら私は引きこもり魔法使いを森から出すダシにされたらしい。
……なんかもう、ヘンな笑いしか出ないわよ。とりあえず文句は言ってみる。
「アビーさん、ひどくないですか」
「あはは、ゴメンね。クリスがあんまり人見知りだから、ちょっとしびれをきらして。先々を考えるとさあ」
アビーさんは私とクリスの肩をバンバン叩いた。
「まあ、そうでしょうけど……」
「……」
「ほら、何かお言い。自分のことだよ!」
アビーさんはクリスの頭をひっぱたいた。フードがずれてボサボサの黒髪がはみ出す。肩にかかるほどの長さの髪をフードにしまいながらも、クリスは無言。
「クリスってこんなだもの。リアちゃんは可愛いし、刺激になればって思ったのよ」
「へ?」
「女の子を夜の森に放り出したらシバこうと思ってた。でもやっぱり泊めるより送ってきたか。つまんない」
ケタケタ笑われて、ものすごく嫌そうにクリスがつぶやいた。
「……ウゼェ」
「あぁン?」
聞きつけたアビーさんは態度の悪い弟子の胸ぐらをつかむ。
「あんたが女の子とろくに話もできないからでしょうが。嫁を取れとか言ってるんじゃないよ、まずは客ぐらいあしらってから言いな」
「……」
「――男のお客さんなら、クリスも話せるんですか?」
クリスがだんまりを決め込むので訊いてみた。アビーさんが肩をすくめる。
「少しはね。リアちゃん相手ではどれぐらい話せた?」
「ええと……」
記憶をたどり指を折る私を見てアビーさんは爆笑した。
「まあ少しでも話したなら進歩かな。ありがとありがと。じゃあね、お嬢さんの作戦の成功を祈ってるわ」
「あ、まだ薬はできてなくて」
「え?」
アビーさんの目がキラン、と光った。
* * *
二日後、お屋敷に現れたクリスはとんでもなく不審者だった。
深くかぶったフードとマント。うつむいた顔。定まらない視線。よく取り次いでもらえたものだわ。
あの日のアビーさんはとても厳しくてね。薬を作ったらお屋敷に届けに行くこと、とクリスに命じたの。
『街を歩くぐらい、できるよね? 子どもじゃないんだから』
あおられて渋々うなずいたクリス。
お屋敷に来るのはできたけど、私を呼び出してもらうのが難しかったらしい。門前でウロウロしすぎて誰何されたんですって。
知らされた私は門に駆けつけた。
「クリス!」
「……」
クリスは無言で薬瓶を私に突きつけた。
私を見てかすかにホッとしているように思えたのはうぬぼれかな。でも私はとても焦っていた。
「間に合った! ダグラス様がいらしてるのよ」
この惚れ薬を使う相手、ダグラス様。
お嬢さまではなく旦那さまに面会を申し込んだということは、正式に婚約破棄の話をしに来たのだと思う。
私はクリスの腕を引っ張って走り出した。引きずられるクリスが目を白黒させているのにかまわず尋ねる。
「これ、どうすればいいの?」
「……」
クリスは口をパクパクするけど言葉が出てこない。ああもう、薬の用法を教えてよ!
「飲ませるの?」
首を横に振られてイライラし怒鳴った。
「はっきりしなさい!」
「――か、顔に」
気圧されたように、クリスはひと言しゃべった。
「顔にかけるのね?」
ブンブンうなずくクリス。
おっけー!
カップに入れて、お茶のふりしてローズ様がうっかり引っくり返せばいいわ!
「ローズ様!」
応接室の前で落ち着かないローズお嬢さまに薬を差し出す。
「リア! これが?」
「はい。ダグラス様のお顔にかけるんだそうです」
「わかったわ。ビシャッとやってやる!」
え――キュポンと栓を抜くと、ローズ様は荒々しくドアを開けた。
いやそんな、お茶をよそおうぐらいしましょうよ! 私は慌てて追いすがった。
硬い表情で座っている旦那さまとダグラス様がこちらを振り向く。
「「ローズ!?」」
「ダグラス様の、ばかっ!」
ばっしゃん。
「――え?」
いきなり薬を浴びせられ、ダグラス様は茫然となった。とっさに横を向いたもののガッツリ食らったわね。
「タ、タオルをお持ちしましょうか……?」
進み出てビクビクしながら声をかけた私に、ダグラス様は視線を上げた。
目が合う。
マジマジと見つめられ――。
「君の名は?」
「はひ?」
熱っぽい声で言われ、私は妙な返事をしてしまった。そんな私から目を離さずに、ダグラス様は立ち上がる。
「なんて愛らしい人だ。今までどこに隠れていたんだい? 私を焦らしていたのかな」
「ダグラス様!?」
ローズ様が悲鳴を上げる。歯の浮くセリフに私は鳥肌が立った。なのにズズイと歩み寄られ、手を取られる。反射的に振り払った。微笑みがキモい。
「つれない素振りはよしてくれ、愛しい人よ」
「ダ、ダグラス君! 婚約破棄とは、うちの小間使いとそんな関係だったからかッ!」
「いえいえいえ私は違います!」
旦那さままで変なこと言わないで下さい! ていうかもう破棄の申し入れしちゃってたのね! そりゃそうか!
「リア! あなたに裏切られるなんて!」
「裏切ってないですッ!」
ローズ様もしっかりして! これ薬のせいだから! あなたがブッかけたんでしょうが! てか、どうして私に惚れるのよ!
「ああ、君はリアというのかい? 私の子猫ちゃん」
「誰が子猫!?」
ダグラス様が腕を伸ばして近づいてきて、私はパニックだった。目がとろんとしてるんだもの。怖い怖い怖い!
逃げようと後ずさったら、フワリと何かに包まれた。そしてその中で私をかばう力強い片腕。
「クリス――!」
私はマントにくるまれていた。
見上げたクリスは相変わらずの無表情で、だけど私を引き寄せる腕が少し震えていて、頑張って助けに来てくれたのが嬉しくて――なんだか嘘みたいに私の鼓動はうるさくなる。
そしてクリスは片手を動かした。
パシャーン!
また至近距離で何かを顔に浴びせられたダグラス様が動きを止めた。
「――あ、あれ?」
金髪から薬をしたたらせて頭を振るダグラス様――なんだか、正気に戻った?
「……中和、薬」
クリスがボソッとつぶやく。
ああ――安心した私はへたりこみそうになった。慌てたクリスが薬瓶を放り出して支えてくれる。
私からもクリスにしがみついて見上げたら目と目が合った。クリスが真っ赤になり、片手でギュッとフードをおろした。
だけど私を支える手は放さないでいてくれて――私はキュゥーン、となっちゃったのよ。