インビジブルマイライフストーリー
幼児期
幼稚園時代
僕の名前は宇宙と書いてそらと言う、僕の人生は強烈だった、色々なことを経験したし色々な人を見てきた、もう本当に僕は生まれてきて正解だったのか?その答えはいまだにわからない、なんで僕が生きているのかと言う答えもわからない、でもこのようにして生きているのは事実だ、これから僕が体験しみて感じた僕の世界に案内しようと思う、僕の人生で何が起きたのか本当のことを話そうとお思う。
僕の誕生
僕はとある台湾の田舎町で生まれた。この後に、何が起きるとも知らずに僕は誕生した。僕が生まれた時この世界は輝いて見えた。でもその数日後に、僕は生まれたことを後悔した。僕は生まれて二週間後ぐらいに、大きな感染症にかかって死にかけた。今思えば、この時に死んでいた方がこの後の人生で待っている苦しい事を体験しなくて済む。僕は死の境を彷徨ったそして大人たちが、僕のことを一生懸命に助けてくれたおかげで一命は取り留めた。でも僕は生き返った代わりに貰ったものは障害だった。僕は普通に生まれたかった、でも大きな感染症のせいで僕は障がい者になった。この障害のせいで僕は親に捨てられて、新しい親が親になりまたその親にも捨てられてたらい回しにされ自分が誰なのかわからなくなり、みんなに迷惑をかけてしまうようになって今いる親のことが憎く思ってしまって人間を恨み続ける人生を送るようになっていった。
僕の家族は1人もいない、僕が生まれてから、僕に障害があるのを知った親はすぐに僕を捨てた、だから実の家族のことは何にもわからない、今の僕の家族は父、母、僕の三人。両親はキリストを信じているクリスチャンだ、クリスチャンはキリストを信じていると言うことなのだ、前の両親もクリスチャンだった。なんで僕がクリスチャンの夫婦に預けられたのかはわからないが、このせいで人生がさらにしんどくなっていった。
幼稚園時代
僕は捨てられて新しい親に引き取られてそこでしばらく生活した。病院からの退院後僕は家に帰った、この時の記憶は残念ながら覚えていない、そして僕は二歳になった、僕は台湾の保育園に行った出来事は少し覚えている、僕が持っている障害の影響がここで色々な形となって出てきてしまった、うまく歩くことができなかったり、すぐに疲れてしまったりしていた…でも障害とは関係なくそこの保育園では沢山の友達が出来た、人生で初めての友達だ、嬉しかった、どの人も初めての友達は幼稚園の時だと思う。赤ちゃんの時でも友達っていう人はいるかもしれないけど、喋れないしわかんないから、それはママ友のつながりから得た友達というやつなのだろう…僕は友達と遊んですごく楽しかった思い出が今もある、もし過去に戻れるのだったら僕はこの時からすべてをやり直せたらなと思う。でも全てをやり直したら、未来の事はもう分かっている事だから、もうこの時に死にたいと思ってしまってると思う、だってもう未来のことはわかるしこの先何が起きるのか分かってる、苦しい人生になっていることもわかっているから、この時に死にたいと思ったと思う、そして今の僕はもちろん存在しない、でももちろん過去に戻ることはできないから、僕は前を向いて歩くことしかできなかった。
僕は、日本に来た、日本に来た時僕はもう一回捨てられてしまった、理由はわからないけど施設に入れられたのだった、そこの施設での記憶は全くと言っていいほどない、ただ僕みたいな小さな子供たちがたくさん来ているところだとしか思わなかった、この時は親に捨てられたって感覚じゃなかった、その施設で僕は一年間過ごした、そして新しい夫婦に引き取られていった、この夫婦はすっごく優しそうだった、この後に待っている悲劇をこの時はしらずに過ごしていた、
日本の幼稚園や保育園にも通った。僕は、この時からの記憶がすごくある、悲しい事も苦しい事も、もちろん楽しかった事の記憶も残っている。初め日本に来た時、僕は保育園に行った。その保育園は、僕みたいにみんなとは…いや…一般人という人たちとは少し違った子供たちが通うような保育園だった。その時の僕は友達もいたしすっごく楽しい保育園時代を送っていた。これが普通なんだと思っていた。でも今では普通の保育園じゃなかったんだなと思う。僕は幼稚園にも行った。幼稚園は普通の子供達と一緒に遊べることができた。保育園よりも幼稚園の方が楽しかったことを覚えている。僕はみんなと一緒に幼稚園の行事にも参加した、その中で僕はお泊まり会の時に泣いた、その時に僕は先生の所に行った、そしてそこで落ち着く事が出来た。でもその他はみんなと楽しくお泊まり会に参加した、僕は夜が怖かった、だから先生にアイスをもらった…嬉しかった。又、幼稚園でも運動会があった。幼稚園の運動会で、僕は泣いてみんなを困らせて好きだった先生が慰めてくれたことを今も覚えてる。そして友達と砂場やトランポリンなど遊んだ、日本の幼稚園でも僕は友達が多かった、幼稚園の虎バスで幼稚園に行った。その時仲がいい子とも一緒だったから嬉しかった、幼稚園はすごく楽しかった。でも家に帰れば地獄だった、僕のことを幼稚園バスが止まる場所まで親は迎えに来てくれた、そして一緒に家に帰った、そのあとは僕を放置したりたまには僕に怒鳴ってきたり、そして手を挙げられることもあった、僕はなんでこんなことになってしまったんおだろうと小さい頭で考えたがその答えはわからずひたすら僕は泣いていた、でも後になって泣けばもっと酷いことをされることに気がつき僕は泣くのを我慢した、家ではすっごく辛かったけど幼稚園に行けば僕には友達がいたから友達と楽しく遊ぶことができた、最高に楽しかったのだ。
幼稚園を卒園して、小学校に行った。幼稚園の時は小学生が羨ましかった(赤や黒のランドセル、幼稚園みたいに劇をしたりトランポリンや友達と砂場で遊んだりするんだろうな、早く小学校に行きたいな)当時の僕はそのように思った。ここから僕の第二の人生が幕を開けた。
僕の名前は宇宙と書いてそらと言う、僕の人生は強烈だった、色々なことを経験したし色々な人を見てきた、もう本当に僕は生まれてきて正解だったのか?その答えはいまだにわからない、なんで僕が生きているのかと言う答えもわからない、でもこのようにして生きているのは事実だ、これから僕が体験しみて感じた僕の世界に案内しようと思う、僕の人生で何が起きたのか本当のことを話そうとお思う。
僕の誕生
僕はとある台湾の田舎町で生まれた。この後に、何が起きるとも知らずに僕は誕生した。僕が生まれた時この世界は輝いて見えた。でもその数日後に、僕は生まれたことを後悔した。僕は生まれて二週間後ぐらいに、大きな感染症にかかって死にかけた。今思えば、この時に死んでいた方がこの後の人生で待っている苦しい事を体験しなくて済む。僕は死の境を彷徨ったそして大人たちが、僕のことを一生懸命に助けてくれたおかげで一命は取り留めた。でも僕は生き返った代わりに貰ったものは障害だった。僕は普通に生まれたかった、でも大きな感染症のせいで僕は障がい者になった。この障害のせいで僕は親に捨てられて、新しい親が親になりまたその親にも捨てられてたらい回しにされ自分が誰なのかわからなくなり、みんなに迷惑をかけてしまうようになって今いる親のことが憎く思ってしまって人間を恨み続ける人生を送るようになっていった。
僕の家族は1人もいない、僕が生まれてから、僕に障害があるのを知った親はすぐに僕を捨てた、だから実の家族のことは何にもわからない、今の僕の家族は父、母、僕の三人。両親はキリストを信じているクリスチャンだ、クリスチャンはキリストを信じていると言うことなのだ、前の両親もクリスチャンだった。なんで僕がクリスチャンの夫婦に預けられたのかはわからないが、このせいで人生がさらにしんどくなっていった。
幼稚園時代
僕は捨てられて新しい親に引き取られてそこでしばらく生活した。病院からの退院後僕は家に帰った、この時の記憶は残念ながら覚えていない、そして僕は二歳になった、僕は台湾の保育園に行った出来事は少し覚えている、僕が持っている障害の影響がここで色々な形となって出てきてしまった、うまく歩くことができなかったり、すぐに疲れてしまったりしていた…でも障害とは関係なくそこの保育園では沢山の友達が出来た、人生で初めての友達だ、嬉しかった、どの人も初めての友達は幼稚園の時だと思う。赤ちゃんの時でも友達っていう人はいるかもしれないけど、喋れないしわかんないから、それはママ友のつながりから得た友達というやつなのだろう…僕は友達と遊んですごく楽しかった思い出が今もある、もし過去に戻れるのだったら僕はこの時からすべてをやり直せたらなと思う。でも全てをやり直したら、未来の事はもう分かっている事だから、もうこの時に死にたいと思ってしまってると思う、だってもう未来のことはわかるしこの先何が起きるのか分かってる、苦しい人生になっていることもわかっているから、この時に死にたいと思ったと思う、そして今の僕はもちろん存在しない、でももちろん過去に戻ることはできないから、僕は前を向いて歩くことしかできなかった。
僕は、日本に来た、日本に来た時僕はもう一回捨てられてしまった、理由はわからないけど施設に入れられたのだった、そこの施設での記憶は全くと言っていいほどない、ただ僕みたいな小さな子供たちがたくさん来ているところだとしか思わなかった、この時は親に捨てられたって感覚じゃなかった、その施設で僕は一年間過ごした、そして新しい夫婦に引き取られていった、この夫婦はすっごく優しそうだった、この後に待っている悲劇をこの時はしらずに過ごしていた、
日本の幼稚園や保育園にも通った。僕は、この時からの記憶がすごくある、悲しい事も苦しい事も、もちろん楽しかった事の記憶も残っている。初め日本に来た時、僕は保育園に行った。その保育園は、僕みたいにみんなとは…いや…一般人という人たちとは少し違った子供たちが通うような保育園だった。その時の僕は友達もいたしすっごく楽しい保育園時代を送っていた。これが普通なんだと思っていた。でも今では普通の保育園じゃなかったんだなと思う。僕は幼稚園にも行った。幼稚園は普通の子供達と一緒に遊べることができた。保育園よりも幼稚園の方が楽しかったことを覚えている。僕はみんなと一緒に幼稚園の行事にも参加した、その中で僕はお泊まり会の時に泣いた、その時に僕は先生の所に行った、そしてそこで落ち着く事が出来た。でもその他はみんなと楽しくお泊まり会に参加した、僕は夜が怖かった、だから先生にアイスをもらった…嬉しかった。又、幼稚園でも運動会があった。幼稚園の運動会で、僕は泣いてみんなを困らせて好きだった先生が慰めてくれたことを今も覚えてる。そして友達と砂場やトランポリンなど遊んだ、日本の幼稚園でも僕は友達が多かった、幼稚園の虎バスで幼稚園に行った。その時仲がいい子とも一緒だったから嬉しかった、幼稚園はすごく楽しかった。でも家に帰れば地獄だった、僕のことを幼稚園バスが止まる場所まで親は迎えに来てくれた、そして一緒に家に帰った、そのあとは僕を放置したりたまには僕に怒鳴ってきたり、そして手を挙げられることもあった、僕はなんでこんなことになってしまったんおだろうと小さい頭で考えたがその答えはわからずひたすら僕は泣いていた、でも後になって泣けばもっと酷いことをされることに気がつき僕は泣くのを我慢した、家ではすっごく辛かったけど幼稚園に行けば僕には友達がいたから友達と楽しく遊ぶことができた、最高に楽しかったのだ。
幼稚園を卒園して、小学校に行った。幼稚園の時は小学生が羨ましかった(赤や黒のランドセル、幼稚園みたいに劇をしたりトランポリンや友達と砂場で遊んだりするんだろうな、早く小学校に行きたいな)当時の僕はそのように思った。ここから僕の第二の人生が幕を開けた。