女子アナを攻略した男
出逢い
出逢い
織田俊平、38歳。女性にプロポーズしたが断られ、北九州を離れて埼玉県への転勤を志願した。福岡空港のロビーで、出発までの時間を喫茶店で過ごすことにした。4人掛けのテーブルにひとり座っている男性に声をかけ、席を空けてもらう。なつみはジェイ・ルービンの「村上春樹と私」という本を取り出して読み始めた。ルービンはアメリカの日本文学翻訳家で、村上春樹の翻訳に加え、芥川龍之介や夏目漱石の翻訳でも有名な存在である。なつみは目次を見てページをめくろうとするが、どうにも集中できない。目の前に座る男性が気になって仕方ないのだ。その男性は少しイケメン風で、流行の眼鏡をかけているが、もしかしたらメガネ量販店で3,000円のフレームを買ったのかもしれない。髪はさらりとした質感で、顔立ちはなつみの採点では80点。服装もそれほど高級そうではないが、最近テレビで見た、体にまとう服の値段が150万円する男性より洒落て見える。なんとなく、ロールキャベツ男子──見た目は草食系だが、中身は肉食系──といった印象だ。この日のなつみはリクルートスーツ姿であり、他人のファッションにあれこれ言う資格はなかった。男性は窓の外をじっと眺めているが、どことなく疲れた雰囲気が漂っている。しばらくして、彼が低い声で話しかけてきた。
「時間潰しですか?」
意外にも渋い声に、なつみは内心ドキッとした。男性はさらに続ける。
「どちらまで?」
「はい、埼玉です。転勤なんです」
「キャリアウーマンですか」
「いえいえ、女子アナです。出張の帰りです」
彼は先ほどまでの暗い表情を急に明るくさせ、続けてこう言った。
「僕は失恋してしまって……」
ドスの効いた低い声でそう言われ、なつみは思わずクスッと笑いそうになる。彼の意外な一面に興味を抱いた。
「実は、つい最近プロポーズを断られたんです」
二人は同時に大きな笑い声をあげた。あいにく二人は別々の飛行機で、なつみは誘われることもなく、その出会いは一期一会となった。なつみは地方のキャスターではあるが、ファンもそれなりにおり、女子アナとしてそれなりの位置にいる。しかし、もう27歳。婚期が遅れつつある。以前プロポーズされたのはプロ野球選手だった。初対面で食事に誘われたが、確かに彼はプロとしてそれなりに活躍していた。しかし、社内にもそれなりの地位にいる人物がいるが、どうにも魅力を感じない。出発前、親友の尼崎幸子(33歳・独身)と居酒屋で、その件について色々と相談してみた。
「私の周りにいる男性は、プロ野球選手ならドラフトされ高額な契約金をもらうような人。高学歴で一流企業に入社している男性も、入社時が頂点という感じなの。女性としては、登りつめた男性にはなぜか魅力を感じないのよ。何かこう、情熱が感じられなくて。もしかしたら恋愛ドラマや映画に憧れるのも、これから登っていくタイプの男性が多いからかも」
幸子は頷きながら言った。
「だから私たち、婚期が延びちゃってるのかもね」
なつみは先ほどの男性を思い出した。彼はどちらのタイプだろうか。カジュアルな服装だったが、平日にはネクタイを締め、仕事に精を出している人かもしれない。そう考えながら、なつみの飛行機は羽田に到着した。
織田俊平は羽田空港に到着した。時計を見るとお昼の13時。モノレールで新橋へ向かい、そこから山手線に乗り渋谷駅に着いた。お腹が空いたので、駅の売店で求人誌を買い、トンカツ屋に入る。福岡にいた頃、一度は食べてみたいと思っていた定食屋だった。求人誌を片手に渋谷で職探しを始める姿は、少し田舎者らしい。俊平は30歳で、まだ仕事を探すには適齢期だ。彼は久留米の工業高校を卒業したが、正社員にはならず、人材派遣会社を転々としてきた。かつてモンダ自動車工場で働いた際、同級生も多数いたが、派遣の契約が切れた翌日に正社員の女性にプロポーズをしたところ、「風来坊のあなたは結婚相手として論外」と断られてしまった。
財布には五万円、銀行の通帳には三百万円の貯金がある。まずは就職先を決めてから住居を探すつもりだ。とりあえずの生活費はあるが、早く職を見つけなければ貯金もすぐに底をついてしまう。とりあえずアルバイトでもと求人誌をめくると、製造業の求人が目に入る。しかし工場は東京の中心から離れた郊外にあるため、俊平は埼玉県の所沢市に向かうことにした。
一方、なつみはフジテレビへ向かっていた。彼女の担当プロデューサーは45歳の上尾勝。なつみは彼のスケベそうな顔に、内心少し引き気味だが、その反面、プロデューサーとしての実力には一目置いている。上尾は彼女に「???ちゃん」と高音で呼びかけてくるが、なつみは仕事においては運と縁を大事にしているため、あまり気にしていない。また、恋愛に関しては、「気になる相手ができたら好きになってしまう」という性分だ。
なつみの脳裏には、朝に空港で出会った男性の姿が浮かんでいるが、彼が大学も出ておらず、派遣の身で現在職を探しているとは夢にも思っていなかった。なつみが東京本社に赴任することになった経緯も、今ひとつ理解しきれていない。もう27歳で、「ピチピチの若手」という年齢でもない。思い当たるのは、去年の正月特番での出来事だった。なつみは福岡では「ぶりっ子キャラ」として知られ、番組では「ぶりっ子キャラなつみ集」として放送された。その天然な振る舞いや笑顔が、プロデューサーの目に留まったのかもしれない。
織田俊平、38歳。女性にプロポーズしたが断られ、北九州を離れて埼玉県への転勤を志願した。福岡空港のロビーで、出発までの時間を喫茶店で過ごすことにした。4人掛けのテーブルにひとり座っている男性に声をかけ、席を空けてもらう。なつみはジェイ・ルービンの「村上春樹と私」という本を取り出して読み始めた。ルービンはアメリカの日本文学翻訳家で、村上春樹の翻訳に加え、芥川龍之介や夏目漱石の翻訳でも有名な存在である。なつみは目次を見てページをめくろうとするが、どうにも集中できない。目の前に座る男性が気になって仕方ないのだ。その男性は少しイケメン風で、流行の眼鏡をかけているが、もしかしたらメガネ量販店で3,000円のフレームを買ったのかもしれない。髪はさらりとした質感で、顔立ちはなつみの採点では80点。服装もそれほど高級そうではないが、最近テレビで見た、体にまとう服の値段が150万円する男性より洒落て見える。なんとなく、ロールキャベツ男子──見た目は草食系だが、中身は肉食系──といった印象だ。この日のなつみはリクルートスーツ姿であり、他人のファッションにあれこれ言う資格はなかった。男性は窓の外をじっと眺めているが、どことなく疲れた雰囲気が漂っている。しばらくして、彼が低い声で話しかけてきた。
「時間潰しですか?」
意外にも渋い声に、なつみは内心ドキッとした。男性はさらに続ける。
「どちらまで?」
「はい、埼玉です。転勤なんです」
「キャリアウーマンですか」
「いえいえ、女子アナです。出張の帰りです」
彼は先ほどまでの暗い表情を急に明るくさせ、続けてこう言った。
「僕は失恋してしまって……」
ドスの効いた低い声でそう言われ、なつみは思わずクスッと笑いそうになる。彼の意外な一面に興味を抱いた。
「実は、つい最近プロポーズを断られたんです」
二人は同時に大きな笑い声をあげた。あいにく二人は別々の飛行機で、なつみは誘われることもなく、その出会いは一期一会となった。なつみは地方のキャスターではあるが、ファンもそれなりにおり、女子アナとしてそれなりの位置にいる。しかし、もう27歳。婚期が遅れつつある。以前プロポーズされたのはプロ野球選手だった。初対面で食事に誘われたが、確かに彼はプロとしてそれなりに活躍していた。しかし、社内にもそれなりの地位にいる人物がいるが、どうにも魅力を感じない。出発前、親友の尼崎幸子(33歳・独身)と居酒屋で、その件について色々と相談してみた。
「私の周りにいる男性は、プロ野球選手ならドラフトされ高額な契約金をもらうような人。高学歴で一流企業に入社している男性も、入社時が頂点という感じなの。女性としては、登りつめた男性にはなぜか魅力を感じないのよ。何かこう、情熱が感じられなくて。もしかしたら恋愛ドラマや映画に憧れるのも、これから登っていくタイプの男性が多いからかも」
幸子は頷きながら言った。
「だから私たち、婚期が延びちゃってるのかもね」
なつみは先ほどの男性を思い出した。彼はどちらのタイプだろうか。カジュアルな服装だったが、平日にはネクタイを締め、仕事に精を出している人かもしれない。そう考えながら、なつみの飛行機は羽田に到着した。
織田俊平は羽田空港に到着した。時計を見るとお昼の13時。モノレールで新橋へ向かい、そこから山手線に乗り渋谷駅に着いた。お腹が空いたので、駅の売店で求人誌を買い、トンカツ屋に入る。福岡にいた頃、一度は食べてみたいと思っていた定食屋だった。求人誌を片手に渋谷で職探しを始める姿は、少し田舎者らしい。俊平は30歳で、まだ仕事を探すには適齢期だ。彼は久留米の工業高校を卒業したが、正社員にはならず、人材派遣会社を転々としてきた。かつてモンダ自動車工場で働いた際、同級生も多数いたが、派遣の契約が切れた翌日に正社員の女性にプロポーズをしたところ、「風来坊のあなたは結婚相手として論外」と断られてしまった。
財布には五万円、銀行の通帳には三百万円の貯金がある。まずは就職先を決めてから住居を探すつもりだ。とりあえずの生活費はあるが、早く職を見つけなければ貯金もすぐに底をついてしまう。とりあえずアルバイトでもと求人誌をめくると、製造業の求人が目に入る。しかし工場は東京の中心から離れた郊外にあるため、俊平は埼玉県の所沢市に向かうことにした。
一方、なつみはフジテレビへ向かっていた。彼女の担当プロデューサーは45歳の上尾勝。なつみは彼のスケベそうな顔に、内心少し引き気味だが、その反面、プロデューサーとしての実力には一目置いている。上尾は彼女に「???ちゃん」と高音で呼びかけてくるが、なつみは仕事においては運と縁を大事にしているため、あまり気にしていない。また、恋愛に関しては、「気になる相手ができたら好きになってしまう」という性分だ。
なつみの脳裏には、朝に空港で出会った男性の姿が浮かんでいるが、彼が大学も出ておらず、派遣の身で現在職を探しているとは夢にも思っていなかった。なつみが東京本社に赴任することになった経緯も、今ひとつ理解しきれていない。もう27歳で、「ピチピチの若手」という年齢でもない。思い当たるのは、去年の正月特番での出来事だった。なつみは福岡では「ぶりっ子キャラ」として知られ、番組では「ぶりっ子キャラなつみ集」として放送された。その天然な振る舞いや笑顔が、プロデューサーの目に留まったのかもしれない。
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