早河シリーズ第六幕【砂時計】
 なぎさと金子は六本木のレストランで夕食を共にしていた。
出版業界で先輩の金子はいつもなぎさに的確なアドバイスをしてくれて頼りになる。話を聞くのも面白く、金子との会話が楽しかった。

(金子さんは優しいし、一緒にいて楽しくて、いい人だとは思う)

 金子を恋愛対象として好きになれたらきっとこんなに苦しい想いはしなかった。今からでも早河を諦めて金子を好きになれたら、早河を嫌いになれるなら……。

でも無理だ。一度好きになってしまえば、嫌いになれない、諦められない。早河と出会ってしまえば、出会う前にはもう戻れない。

『そうそう、香道さんのもうひとつの職場って四谷? うちの編集部の奴が四谷で香道さんをよく見かけるらしいんだ。家も確か四谷だったよね?』
「はい。職場も四谷です」
『前にもうひとつの仕事のことを聞いた時にワケありな感じだったから、今まで聞かなかったけど、実はけっこう気になってるんだよね』

 金子は両手をテーブルの上で組み、なぎさに微笑みかけた。

『好きな人のことをすべて知りたいと思ってしまうのは人間の性《サガ》だよね』

 初めて金子が積極的な好意の言葉を口にした。困惑するなぎさは食事の手を止めて彼を見据える。

「本当の私を知ればきっと金子さんは幻滅しますよ」
『どうだろうね。幻滅と言われても、香道さんは香道さんだから。むしろ本当の香道さんを知ってさらに好きになるかもしれない。……酒のせいかな、俺、さっきからさらりと告白してるね』

照れ笑いする金子の真摯で真っ直ぐな感情に対して誤魔化しやはぐらかすのは失礼だ。

「もうひとつの職場は探偵事務所です」
『香道さん探偵やってるの?』
「いえ、私は探偵の助手です。やることはほとんど事務仕事なんですけど……」

 彼女は探偵事務所で使っている早河の助手としての名刺を金子に差し出した。〈早河探偵事務所 助手〉と書かれたなぎさの名刺を金子はまじまじと見つめる。

『この探偵事務所で働く理由がワケありってこと?』
「……そうですね」

それ以上は語りたくなかったなぎさは視線を落とした。早河の助手となった経緯を話すのならば、2年前の兄の死についても話さなければならないからだ。

 なぎさの様子を察した金子は名刺をジャケットの胸ポケットに入れてドリンクのメニュー表を開いた。

『ごめん。言いたくないことを言う必要はないからね、詮索はしないよ。俺はもう一杯飲むけど香道さんはどうする?』
「私はお酒はもう止めておきます。紅茶はありますか?」
『あるよ。ホット? アイス?』
「ホットの……ミルクティーで」
『OK』

 金子が手を上げてウェイターを呼んだ。ウェイターに自分の分のアルコールとなぎさのミルクティーを注文する金子の言動はスマートで洗練されている。

向けられる好意も不快ではない。彼みたいな人を愛せたら幸せだった?
けれど、早河よりも先に金子に出会っていたのに、なぎさが恋に落ちたのは早河だった。
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